※現パロ




 耳元を風が掠めるような擽ったい感覚で、目が覚める。うっすらと開けた目に映し出されたのは見慣れない男の人で、細くて白い腕で頬杖を付いてじっとこちらを見ていた。壁にポスターでも貼ったっけ?あまりに顔が整っているので、寝ぼけた頭でそんな事を考えていると、そのポスターは口を動かした。

「おはよ」
「・・・おはよう?」
「やっと起きたね。口すごい開いてたよ」

 ポスターは思い出したように小さく笑う。次第に頭が冴えて来て、ポスターもとい男の人と一緒にベッドで寝ていて、加えて自分が下着姿だという事実を付きつけられて思わず大声が出る。

「ちょ、誰?誰誰誰?!何で居るの?!」
「あー、やっぱり覚えて無い?飲み過ぎてたもんね」
「嘘!嘘でしょ?!」
「今鬼みたいな顔してるよ君。昨日はあーんなに可愛かったのになあ」
「や、止めてよそういうの!」

 面白がってからかっているに違いない彼は笑いながら、本当に覚えて無い?と聞いてきた。昨日は友達に誘われて久々に飲みに行く事になっていたはず。それは覚えている。やけ酒女子会と銘打って二人で永遠と別れた彼氏の愚痴をし続ける予定だったのだ。それをどうやったらこんな状況まで持ってくる?思い出せずうんうん唸っていると、彼とばっちり目が合う。

「な、何ですか?」
「いや、良い眺めだなって」

 明らかに胸元へ視線を落としながらにやりと厭らしい笑みを浮かべる彼の顔を覆う様に枕を押しつける。まず服を着よう。そう心に決めてタオルケットを身体に巻きつけてベッドから抜け出すと、部屋の中に散乱する昨日着ていたスカートやブラウスが目に入った。__ちなみに男の服らしき物は私と違って綺麗に畳まれていた__なんだかそれが妙に生々しく見えて焦って掻き集めていると、慌てている私とは正反対な暢気な声がベッドから聞こえてきた。

「ねえ、美味しい朝食食べたくない?」
「い、要らないです!お腹空いてないし!」

 こういう所でどうして私はしくじるのだろう。言葉とは裏腹に正直な身体はぐうぅ〜、と間抜けた音を鳴らした。一瞬の沈黙の後、それを打ち破る様に彼は大声で笑い、私は顔が真っ赤になるのを感じながら恥ずかしさでいっぱいになった。一通り笑い終わった彼は起きあがり、手を組んで腕をいっぱいに伸ばした。よく見れば彼は私の元彼が置いていった部屋着を着ていて、一瞬ドキリとしてしまった。地味に悔しくなりながら、掻き集めた服と着替えを抱いて洗面所に急ごうとドアに手を掛けると後ろから彼の声が聞こえてきた。

「キッチン勝手に使って良い?」
「・・・・汚さないで下さいね」

 初対面なのに彼は何処か人懐っこい笑顔で笑うものだから、私は彼の提案を拒否する事が出来なかった。一人の寂しさを紛らわせたかったのもある。というかそれが一番の理由だと分かってはいたけど素直に認められなかった。
 昨日張り切ってメイクをしたから悲惨な事になっているだろうと覚悟を決めて鏡を見たのに、必死で赤ら顔を隠していたファンデーションも、気合を入れた目尻のアイラインも、てらてらしてたグロスも綺麗さっぱり消え去っていた。酔っていたのに珍しいと驚きながら、身支度を整えリビングに戻ると、甘い香りが部屋に充満していた。香りの発信元である繋がりのキッチンには着替えをした彼が腕まくりをしてフライパンを片手に立っていて、私に気付くと座ってて。と声を掛けてくれた。手持無沙汰に思いながらも寝起きと酔いを引きずっている気だるさに負けて大人しく椅子に腰を掛けてぼんやりと朝のニュースが流れているテレビを見た。最近リビングのローテーブルばかり使っていたからごちゃごちゃ物を出しっぱなしにしていたはずのダイニングテーブル。それが小奇麗になってるのに気付いたのは彼が美味しそうな香りを纏ってプルプルの柔らかそうなフレンチトーストをテーブルに置いた時で、彼は気付くの遅くない?と小さく笑った。いつかに買って食器棚の奥に眠らせたままになっていた木製のサラダボウルに色鮮やかな野菜が盛りつけられ、彼はまるで自分の家のように手際よくカトラリーを取り出し二つのランチョンマットに並べた。ふわりと湯気が立つスープマグが小さく音を立ててテーブルに置かれると、やっと彼も足を止めて席に着いた。

「さてと。覚えてないだろうから改めて自己紹介するね。俺、加州清光。よろしくね、なまえ。あ、ちなみに同じ年だから敬語は止めてね」
「あ、うん・・・よろしく」
「じゃ、ご飯食べよっか」

 そう言って加州はポチャンと、ポタージュにまあるいスプーンを落とした。
 久しぶりにちゃんとした朝ごはんを食べた。スープを流し込むと食道がじんわり暖かくなって身体がぽかぽかした。香ばしいバターが口いっぱいに広がるフレンチトーストを咀嚼していると、加州がテレビを見ながら昨日の話をしてくれた。昨日間違いなく私は友達と飲みに行っていて、帰りに駅でぐったりしている所を加州に助けられたのだという。肩を貸して眠りそうな私に道を聞きながらやっと家まで送り届けいざ帰ろうと思ったら、トイレで戻してすっかり元気になった私の飲み直しに付き合わされたらしい。下着姿の事に関しては言われなかったし恥ずかしくて聞けなかった。

「まあ、ダイエットは自由だと思うけど?何も食べずに飲んでたらそりゃ酔いも酷くなるでしょ」

 ドクリと胸が高鳴った。赤みがかった加州の瞳はお見通しと言わんばかりに私を捉えていた。

「別れ際に綺麗じゃない、可愛くないって言われたら誰だって頑張るでしょ」
「・・・ふーん」

 それからお皿の中が空になるまで沈黙は続いたけど、ご馳走様。と小さく囁くとお粗末様。とにっこり笑って加州は言った。食器を洗って片付けると、リビングに移動していた加州はご丁寧に珈琲を用意してくれていた。温かいマグカップを両手で持って加州の隣に腰を下ろす。なんだかとても落ち着いた。ローカルニュースが始まると、俺が助けて無かったら今頃なまえの名前が出てたかもね。なんて加州がふざけて言いだして、二人でテロップを考えてバカみたいに笑った。

「ねえ、なまえ。駅まで送ってよ」

 番組が終わってテレビが一段落着くと、加州は立ち上がった。

「え・・・あ、うん」
「この辺初めて来たし、昨日は暗かったから道良く覚えてないんだよね」

 そうだ。加州と会ったのは昨日が初めてで、きっともう会う事は無いだろう。
 そう理解したら何だか無性に寂しくて、引き留めたいなんて馴れ馴れしい考えが脳裏を過った。けれどそんな事言える訳も無くて、家の鍵を手に持って玄関へ移動した。


「所でなまえって野暮ったいよね?生まれは何処?」

 家を出て少しすると加州は悪びれもせずに私を貶した。

「や、野暮ったい?!こんな洗練された都会派レディに向かって?」
「洗練された都会派レディはこんなガニ股で歩かないと思うけど?」
「っく。言い返せない」

 他愛の無い話をしながら緩やかな坂道を歩いていくと、次第に駅が見えてきた。建物に気付いた加州は指をさして私を見る。

「うん、あそこだよ。そういえば、電車代はある?」
「ありがとう。うん、大丈夫」
「・・・じゃ、じゃあ」

 こんな別れ方で良いんだろうかと自問自答しながらも、私の口からは素っ気ない言葉しか出て来ない。加州はと言うと、何かを探しているみたいであちこちに手を当てていた。パンツのポケットからお目当ての感触を探り当てるとするすると手を突っ込み、それと一緒に出て来たのはケータイだった。 

「なまえ、ケータイ出して」
「え・・・・」
「ほら、連絡先交換しよ」
「・・・うん」

 嬉しくて顔が思わずニヤけてしまった。加州にばれないように鞄からケータイを取り出すのに合わせて顔を下げてなんとか緩んだ顔を正した。お互いに同じ動作でケータイを操作して暫く待っていると画面が自動で切り替わった。そこには驚くべきものが写っていた。

「なっっっ!!!」

 あろうことか彼の連絡先のアイコンは私の寝顔__彼の言ってた通りめちゃくちゃ口開いてた__で、私の反応を見て満足した彼はケラケラ笑って、消してと懇願する私を無視してケータイをポケットに戻した。

「ほら、笑ってよ」
「いや、笑う所じゃないからね」

 だっていくら見ず知らずとはいえ、加州の友達とかに今私のアホ全開口全開の寝顔が晒されている訳で。こんな状況で笑うとかそんな強靭メンタル持ち合わせて無い。

「なまえはすっごく可愛いよ」
「・・・へ?」

 どうやってケータイを奪おうか考えていた私は、加州の言葉に随分と腑抜けた声を発した。日光をいっぱいに浴びた加州の髪は、ふわりと輝く。

「なまえは可愛いよ。うんと綺麗だよ。俺が保証してあげる」

 加州は目を細めて優しく微笑んで、ぽんぽんと私の頭を撫でてくれた。恥ずかしくて、でも少し嬉しくて、こそばゆい感じがした。雑踏が聞こえなくなって、代わりにどくどく脈打つ心臓の音がいっぱいに木霊する。

「ちょ、やだな。いいからそういうの」
「そうやってすぐ照れる所も。俺は可愛いと思う」

 絶対連絡するから。そう言って加州は駅の中へ消えていった。
 振りかえって手を振ってくれた後、彼の背中が見えなくなったのを確認して、一人でまた来た道を帰る。最近この道のりが憂鬱だった。家に帰ると私は一人ぼっちで。シーンとした部屋に居るのが嫌で、寂しくて。そんな寂しさに囚われてしまうのが怖かった。
 けどもう大丈夫。怖くなかった。家に帰っても悲しくない。彼の言葉が優しく私を包み込んでくれている気がした。

(160411)

魔法の言葉

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