※性行為しています。

(悲しみに暮れる暇もない)

 ねえ、私だけを見て
 こんな事が言えたらどんなに幸せなんだろう。そう考えると胸の奥が疼きじわじわと何かが込み上げてきそうだった。
 シャワーを浴び終わった仁王は青白い肌を少し紅潮させ、私の隣に座ると見向きもせず自身の髪に含まれた水気を丁寧に拭き取り始めた。たまらずその手を掴み、じっと顔を見つめる。目が合うと彼は観念したのかタオルをぐちゃぐちゃのまま床に落とし、私に向かって体を寄せる。そしてついばむよう様に小さなキスを繰り返した。水気を含んだ音が部屋中に木霊して、その音で頭がいっぱいになりおかしくなりそうだった。彼の唇が次第に私の口から下へ移動して、首筋に優しく触れた。少し荒くなった吐息がかかり、それでさえ快感に感じる。
 行為中彼はずっとずっと優しい。荒々しい腰の動きとは正反対で、そっと頬を触れば察したと言わんばかりにキスが落ちて来て、寂しくベッドに投げ出された手は彼の大きな手が包み込んでくれた。その度に私は、愛されている、と錯覚してしまうのだ。
 今朝変えたばかりなのにもう存分に皺を作ってしまったシーツを手繰り寄せ身体に巻き、生々しい空気を逃がそうとベランダへ続く所の窓を開ける。爽やかで肌寒い風がレースカーテンを揺らし、月明かりまるでスポットライトの様に差し込んだ。その明りを辿って月を眺めていれば、ジュッと火の熾る音がした。彼はいつの間にかサイドテーブルに煙草を準備していて、マッチ棒のぼんやりとした橙色の明かりが顔をわずかに照らしていた。火が付くとゆっくりとそれを吸い込み、暫くしてふわふわと不確かな煙が立ち上った。

「何がいいの?美味しくないし」
「なまえの味覚はお子様じゃからの。気分転換には十分」

 私を抱くと気が滅入るのか。とでも言いたくなった。けれどその言葉は言えない。もし肯定されたら怖いから。ベッドに戻ると彼の腕に抱かれ私は多少の窮屈さと大きな安堵感を得ていた。
 割り切った関係。
 仁王はそう思っている。けど私には無理だった。結婚を考えている彼女が居ると分かっていても、会う度、身体を重ねる度、彼に対する独占欲が強くなって止められない。彼にとって私は都合の良い女でしかない事は十分理解していた。彼は私を抱きながら、家で待っているあの人の事を想っている。それが堪らなく悔しくて悲しくて辛い。

「なまえ、どうした?」
「....ううん。何でも無い」

 うっすらとした笑みを浮かべた。けど上手く笑えていない様な気がした。口元の筋肉はふるふるするし、眼頭が熱くなった。きっと私は、わざとこんな笑顔を作ったんだろう。私の気持ちを彼に気付いてほしかったんだ。けど彼はそんな私の事など気にも留めず、ゆっくりと瞼を閉じた。そして私の頭を撫でて、寝ろと促す。
 目を瞑るのが嫌だった。起きたら彼と別れなくちゃいけない。そしてまた、酷い孤独感と虚しさに苛まれながら、彼から連絡が来る日を今か今かと待ちわびる日々が続くのだ。頭の中で悶々とその事を考えていると、彼が私の口の端に優しくキスをした。単純な私はそれだけで一気に暗い事を考える思考が停止し、彼の胸に顔を埋めて瞼を閉じた。

(160301)

悲しみに暮れる暇もない

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