帰り際幸村君に聞かれてお互いの連絡先を交換した。まさか自分のアドレス帳に幸村君の名前があるなんて。夢みたいな出来事が一日の内に立て続けに起こった事に私は嬉しさと興奮が入り混じったふわふわした気持ちで帰路についた。オレンジ色の空はいつもよりうんと綺麗で、不快な生温かい風でさえ心地よい気がした。家に帰るとお母さんが夕飯の準備をしていて、いつもより浮かれた『ただいま』の声に不思議そうな顔をされたものだから何だか恥ずかしくて急いで二階へ駆けあがった。
 部屋着に着替えすぐケータイのマナーモードを解除して画面を確認した。早速幸村君からメッセージが届いていた。内容は全国大会の日程。もらったメッセージに書いてあったのは決勝戦の日時だけだった。絶対に勝つから。と力強く書かれた文面を見ると、きっと、いや必ず決勝まで勝ち進んでくれるんだろうと感じた。無事家に着いた?と最後に加えられたそれをじっくりと何度も読み直し、幸村君の性格というか人柄というのかが文面からも滲み出ている事に頬が緩んだ。
 返信を考えるのにこんなに頭を使ったのは初めてじゃないだろうか。神の子に粗相の無い様に、バカっぽいのが文面に現れていないか十分に吟味してメッセージを送った。夕日で照らされていたはずの部屋はいつの間にか薄暗くなっていて、夕飯にと呼びに来たお母さんが暗い部屋でケータイを操作している私を見て怒りだしたのは言うまでも無い。
  幸村君とあれから毎日メッセージのやり取りをするようになった。おはよう。や、今日も暑いね。なんて他愛もない事ばかりだったけれど、講習という二文字に雁字搦めにされた私にとって、いつしかそれは毎日の憂鬱を解消してくれる素敵な時間になっていた。校舎に入る前も知らず知らず幸村君を探してテニスコートを見ていた。たまに幸村君は私に気付いてくれて小さく手を振ってくれた。それが嬉しくて私も控えめに手を振った。


「お前は」

 補習が終わって新しく出された課題が詰まった鞄を手に廊下を歩いていると、丁度階段を下りてきた人に声を掛けられた。声の方を見れば柳君が立っていた。生徒会総会の時の書記の顔しか知らなかったけど、幸村君と同じジャージを身に纏っていて、そういえば彼もテニス部だと騒がれていたのを思い出した。

「柳君・・・だよね。私に何か用?」
「・・・いや。呼びとめてすまない。精市と同じクラスだろう。見覚えがあってつい口が動いてしまった」
「せい、あ、幸村君とね。なんだ、そうだったの」
「柳先輩待っててって言ったのに!置いてくなんて酷いッス!!」

 パタパタと早足で誰かが階段から降りてきた。どうやら後輩らしいその彼は大量の教科書を抱えて柳君に文句を言っている。しかし私の存在に気付くと目を丸くさせてパチクリと瞬きをし、「あー!!!」と廊下に響き渡る大声を出した。

「あ、あんた、あれっしょ、部長が」

 部長が。彼もあのジャージを着ているし、きっと幸村君の事だ。そう理解するかしないかの間に彼の声は柳君によって遮られた。

「トイレくらい一人で行け。花子さんなんて出る訳がないだろう」
「ちょっ!お、俺は別に花子なんて怖くないっすよ?!」

 ぴしゃりと言い放つ柳君に、彼はまた食ってかかる。全然動揺を隠し切れてなくて、彼がトイレの花子さんという存在を信じていて、だからさっき早足でこちらに来たのかなあ、なんて思った。柳君は彼を適当にあしらって私に小さく会釈をした。

「みょうじ、呼びとめてすまなかったな。赤也行くぞ。また弦一郎が怒りだすと煩わしい。」

 そう言って二人は早足に私の前から去っていった。その二人の元気そうな背中を残された私は見えなくなるまで見届けた。


『赤也が変な事言ってたみたいでごめん。忘れてね』

 そんなメッセージが幸村君から届いた。昼寝をしてすっかり寝ぼけた眼でそれを眺め、『わかったー』と適当な返事をしてから少しずつ学校での出来事を思い出す。あの赤也と呼ばれる彼が『部長が』と言いかけていた。それの事だろうか。確かについさっきまで忘れるくらい気にも止めて無かった。だけどやってはいけないと言われると余計やりたくなるように、忘れて、と言われると意識してしまって何だか気になってきてしまった。言いかけていた次の言葉はなんだったんだろう。まだ不確かな意識の中でぼんやりと幸村君を思い浮かべた。
 まさか、好きとか?
 考えただけで顔が火照ってきた。いやいやいや、無い無い無い。頭をブンブン振って不釣り合いにも程がある考えと火照りを消し去ろうとした。けどどんどん顔が熱くなってきて、どんどん頭の中で幸村君と距離を縮める自分を想像してしまって、堪らずベッドから起き上がり机の上に広げっぱなしだった課題に取り組んだ。とにかく少しでもこの真っ赤な顔をどうにかしたいと思った。


 幸村君達テニス部は順調に勝ち進み、ついに決勝の試合の日がやってきた。

 私はワクワクしていた。テニスの試合を見るのも、誰かを応援するのも初めての事だから。最終試合を控えコートに立った幸村君はすごく堂々としていて、かっこよかった。試合が始まってからもルールさえよく知らない私でも分かるくらい、幸村君は圧倒的に強かった。あんなに強くなれるほど打ち込めるものがあるなんてなんて素敵なんだろうと思った。負けてしまったけれど幸村君はキラキラしていた。会場で一番輝いていた。


「みょうじさん」

 閉会式が終わって人の波に流されるように会場を出て、自販機の脇の木陰になっているベンチに座った。幸村君にメールを送ろうと鞄の中にあるケータイを探していると声を掛けられた。顔を上げると幸村君が立っていた。日焼けで少し赤くなっている頬を指し照れくさそうに笑っているけど目が少し充血していた。ついさっきまで泣いていたんだろうと思うと、なんだか私までしんみりしてしまった。会場とは違って随分と静かな場所で、ざわざわと風に揺られて木の葉っぱが心地よい音を鳴らす。

「見に来てくれてありがとう」
「幸村君、カッコよかったよ」
「負けちゃったけどね」
「それでもカッコよかったよ。輝いて見えた」
「本当に?」
「うん。私、こんなぐうたらな奴だから。ほら、勉強もスポーツも、なんにも取り柄が無いし。だから、羨ましいなって」
「そっか」

 合ってるのか不安だった。応援に行くのだって初めてだったから、こういう時なんて声を掛けたらいいのか分からなかった。それに幸村君と面と向かって話すのは久々で、メールと違って確認してから言葉を発するなんか出来なくて、段々歯切れが悪くなって、声が小さくなるのに気づいたけど止められなかった。会話が途切れてしまって暫く俯いていると、幸村君がさっきよりずっと近くに居る事に気付いた。焦って顔を上げると私の顔のすぐ目の前におでこにヘアバンドの跡が付いている幸村君の綺麗な顔があった。

「ゆ、幸村君?」
「どうしてだろうね」
「え、えーと、何が?」
「好きだよ、みょうじさん」
「・・・・・・」

 驚きすぎて声が出せない。音を出さない口はパクパクと動いて空振りばかりで幸村君は面白がってクスクス笑っている。だって、こんなのズルい。不意打ちに言われた言葉に反応した私の頬はきっと幸村君よりも赤くなっているに違いない。思考が追いつかない。だ、だって幸村君が、好きって。私の事好きだって言った。ハッとしてすぐに辺りを見回して何処かに人が隠れていないか確認した。

「ゆ、え、え、え、ど、ドッキリとか?」
「あははは。告白してそう言われると傷付くなあ」

 口を大きく開けて笑う幸村君は、私の頬をむにゅっと摘まんだ。

「俺、みょうじさんが好きなんだ」

 摘ままれた頬はちょっぴりの優しい刺激に包まれて、これが夢ではない事を教えてくれた。幸村君の笑顔に私の胸は高鳴りっぱなしだ。

(160226)

丘の上のアガパンサス 後

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