幸村君は同じクラスの男の子で、テニス部の部長をしているしっかり者だ。勉強もスポーツも得意で男子から慕われ、端整な容姿も相俟ってそれはそれは人気者な男の子だ。勉強もスポーツも苦手な私は自分とは正反対な幸村君が「神の子」といわれているのを知って、全くもってその通りだと感じた。きっと幸村君は神様にいっぱい愛でられて産まれた子なのだと。そんな良い意味で人間離れした彼と私にはクラスメイトであるという以外、全然接点が無かった。

 幸村君が重い病で入院する事となった。クラスで話し合い、毎日順番に幸村君のお見舞いに行く事が決まり、私にも当然当番は回ってきた。授業で配られたプリントやノートの写しが入った封筒を鞄に入れて、私は電車で病院に向かった。とても緊張したのを覚えている。あらかじめ先生から聞いていた情報を頼りに病室へと入れば、幸村君の姿は無かった。どうしようと病室の入り口で戸惑っていると、通りすがりの看護師さんが声を掛けてくれた。検査に行っていると聞いて、少しほっとした。だって挨拶以外ほぼ話した事が無いのに、ましてや入院している人と何を話したらいいんだろう。と頭を抱えていた悩みが消えたから。ベッド脇にあったテーブルに封筒を静かに置いて、私はすぐに病室を後にした。
 二回目は5月に入ってからだった。その日、初めて会話らしい会話を幸村君と交わした。クラス替えは無くそのまま持ちあがりで3年生になったのでお見舞いは継続していた。また検査だったりして。なんて暢気に病室の戸を開けた私は、幸村君の綺麗な目に捉えられて固まってしまった。

「やあ」
「・・・・こ、こんにちは」
「そんな所で止まらないで、座ってよ」

 優しい声に促されて、病室の中に入った。幸村君が出してくれた椅子に腰を下ろして鞄を開ける。封筒を幸村君に差し出すと幸村君も腕を伸ばしてくれて、透き通るような白くて細い腕にゴツゴツした点滴が刺さっているのが見えた。その周りには青い痣があって痛々しそうで思わず顔が引きつる。幸村君はそれに気付いたらしく封筒を受けてすぐに腕を隠すように袖を伸ばした。失礼な事をしてしまい、何だか話しかけるのすら億劫になってしまった私は俯いて鞄の金具の部分にべたべたと何度も指紋を付けた。紙の音が聞こえて幸村君が封筒の中身を確認してるのが分かった。

「・・・・やっぱりみょうじさんだったんだね」
「え?」

 何の事か分からず顔を上げると、幸村君は柔らかく微笑んでいた。

「検査の時来てくれたの。せっかく来てくれたのに悪かったね」
「ううん」
「・・・みょうじさんのノート見やすくてすごく助かるよ、ありがとう」
「そんな大したものじゃないよ」
「昨日は佐々君だったんだ。せっかく持ってきて貰っては悪いけれど・・・彼の字は解読困難でね、大変だったよ」

 幸村君のテーブルには勉強道具が並んでいて、佐々君が書いたコピーを取り私に見せてくれた。幸村君の言うとおり、とても読みやすいと言えるものではなかった。私がそれを見て笑うと、幸村君もくすくすと小さく笑った。身構えていたよりとても話しやすい。幸村君の声は澄んでいて、心地よいくらいだ。

「今日は学校で何かあった?」

 きらきらした綺麗な目が私の言葉を待っていた。私はそれに応えようと朝からの出来事を思い出しながら話した。幸村君は静かにそれを聞いてくれて、時折情景が目に浮かんだのか頷きながら笑った。

 一言も幸村君の病気の事に触れずに帰ってきてしまった事に気付いた。幸村君は入院しているのに、お大事に。すら言わなかったのだ。お見舞いに来たのになんて間抜けなクラスメイトだろうと幸村君は思っただろう。だって私もそう思うのだから。次からは気を付けようと帰り道に心の中で呟いた。
 けれど、次のお見舞いの機会はやってこなかった。ある日、面会に行かないようにと先生からHRで言い渡されてしまった。誰が何を聞いても、先生は知らないの一点張りで結局その日以降、あまり納得はしないまま誰も幸村君のお見舞いには行かなかった。
 それからしばらく経って、良い知らせだ。と笑顔で先生が教室に入ってきた。その知らせというのは、幸村君の手術が成功したという事。そして来週にも登校してくるという事だった。ワッとクラス中に歓声が上がった。幸村君はやっぱりうちのクラスに無くてはならない存在なんだなと実感した。私も当然嬉しかった。だから登校した日にはお帰りって皆と一緒に声を掛けたかった。けど特に親しい訳じゃ無かったからなんだか変じゃないかとか、どうせ私の声なんて届かないんじゃないかって考えたら、もう声を掛けるなんて出来なくて、皆に囲まれている幸村君をただ見ていた。ただただそれだけだった。

 手術は成功したと言っても、常に誰かに心配されるような彼と同じ掃除の班になった私は校庭の掃除をしていた。掃き掃除に加え、花壇の手入れもしなければならず、暑い夏の日差しを頭のてっぺんから背中に掛けて受けながら雑草を抜いていた。その時花壇を挟んで向かいで同じく雑草を抜いていたのが幸村君だった。ぶちぶちと小さな振動を起こして抜ける草の土を払っていると勢い余って向かいの幸村君にまで飛んでいってしまった。

「あ、ごめん」
「ううん。大丈夫だよ」

 腕にかかった土を軽く払った幸村君は柔らかく微笑んでまた雑草を抜き始めた。いつも聞いてるはずなのに、久々に私に向けられた声はなんだかいつもより優しい気がして胸がふわふわする。それにしても、この暑いのになんて涼しい顔をしているんだろう。雑草を抜きながら幸村君を見ていると、その顔に正直美しいと思った。視線を感じたのか幸村君はこちらを不思議そうに見た。

「どうかした?俺の顔、何かついてる?」

 土で汚れた指先は使わず手の甲で頬周りを擦る幸村君。私は慌てて首を左右に大きく振り、否定を表した。

「・・・・今日は暑いね」
「そうだね。・・・暑いの嫌い?」
「雨よりはいいかな。湿気で髪がボサボサになる事も無いし」
「ああ。それは分かるな」

 私達の会話は此処で途切れた。幸村君の体調を心配したクラスメイトが幸村君を抜けさせたからである。幸村君は大丈夫と言っていたけどやっぱり暑さもあり心配だと言い張るクラスメイトにお礼を言って、早足に部活へと向かったようだった。

 次に幸村君と話したのは終業式の日の放課後だった。先生に呼び出されて職員室に行けば有無を言わさず夏季講習への強制参加を言い渡されてしまったのだ。とぼとぼ歩いて昇降口に向かい上履きを片づけると、忘れ物に気付いてそのまま教室へと向かった。教室の床をワックス掛けをするらしく他のクラスも机が廊下に出されていた。当然自分のクラスもいくつか机が出ていて、急いで中を覗くと今まさに私の机を運ぼうとしてる幸村君がいた。

「あ!ちょ、ちょっと待って!!」

 出さなくてもいいくらい大きい声が出た。幸村君は驚いた顔をしたがすぐにいつもの顔に戻り、忘れ物?と言って持っていた机を下ろしてくれた。

「はい、どうぞ」
「ありがとう。ごめんね」
「気付いてよかったね」
「うん!帰ってる途中で思い出したから慌てて戻って来たよ」
「上履きも履かずにね」

 クスクスと幸村君に笑われて、途端に恥ずかしくなってしまった。机の中を大慌てで探り、必要な教科書を取り出して立ち上がった。

「もう大丈夫?」
「うん、ありがとう」
「どういたしまして。じゃあ、廊下に運ぶね」

 幸村君はそう言って置いていた私の机を軽々と持ち上げて再び運び出した。私も続いて廊下に出ると、ちょうど隣のクラスからも人が出て来た。幸村君と同じテニス部の人だと気づく。ガムを膨らませて出てきた彼は幸村君を見つけると声を掛けた。

「あ、幸村君ワックス掛け?手伝う?」
「大丈夫だよ。遅れるから部活は真田に任せているからしっかりね」
「了解ー!んじゃまた部活でねー」

 そう言って彼は所々机が障害物になっている廊下を走り抜けていった。

「みょうじさん、気をつけて帰ってね」
「うん!幸村君も部活頑張ってね」
「ありがとう」

 にっこり笑う幸村君は手を上げてバイバイ、と私に挨拶してくれた。私も小さく手を振って挨拶した。ローファーを手に取って一息付くと、胸がドキドキしているのに気付いた。幸村君の笑顔が脳裏に浮かんできて、その日中ずっと私の胸を刺激していた。

(20150907)

丘の上のアガパンサス 前

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