「ああ、またそんなに汚くして」
「しょうがないでしょ。利き手じゃないから上手く出来ないんだもん」
マニキュアを爪に乗せていると、寝ていたはずの観月が私の手元を見て顔を顰めた。寝起きだと言うのに観月はもう自分のペースで辛抱堪らずかすぐに起きあがり、貸しなさい。と声を掛けられた。自分で塗った爪を見たら勿論続きをする気にはなれなくて素直に従えば、器用にブラシを瓶の口で回し不要なマニキュアを落として私の手を引いた。そして、私が塗った斑なそれを塗りつぶすように彼は慣れた手つきで綺麗に重ねていった。観月の手つきはまるで女のそれみたいで、女の子同士でマニキュアの塗り合いをしているような気分になる。けどちょっと手から上に視線を向けると程良く鍛えられた平らな胸板が目に入るので、何だか可笑しかった。
「いいでしょう」
暫くすると観月はマニキュアボトルをキュッと締めて、満足げに呟いた。爪は先ほどは違いムラなく仕上がり、上品な光沢が蛍光灯に反射しててらりと光った。観月は何をしてもそつがないと改めて思う。
「ありがと」
「いいえ。それより、今日はデートをするんですか?」
「言ったじゃない。映画を見に行くって。この間行ったレストランで夜ご飯を食べてからね」
「ああ。だから・・・」
その言葉の続きは彼の口から紡がれる事は無かった。その代わり、ハンガーを掛けたままソファに横たわる私の服を横目で見ていた。その冷たい視線は、おしゃれをするのが駄目だとでも言わんばかりである。デートの日くらい、おしゃれをしたって罰が当たる訳でもないのに。
「観月も早くシャワー浴びたら?出掛けられないじゃない」
「ええ、そうします」
起きあがってバスローブに身を包んだ観月は、浴室へと移動する。私はその姿を見ながら手をぱたぱたと振っていた。流れていたテレビを見ていると、ブルブルと短くポケットが震え、ケータイがメッセージを受信したと分かる。爪に気を付けながらケータイを抜き出すと、やはり画面が明るくなっていた。
髪を丁寧にセットして、ブラウスに袖を通す。ハニーブラウンのストッキングで脚を隠し、その上をスカートが覆う。一つ一つの動作が、ちょっとずつ私の胸を高鳴らせてくれる。夜だからと普段よりちょっと華やかなラメの入ったアイシャドウを施し、マスカラもたっぷりと付ける。ネックレスをどれにしようかケースと鏡とを交互に睨めっこしているとスリッパの軽やかな足音を立てた観月がやってきた。もう髪をセットし着替えも終わった彼は私の準備が気になるらしく、一緒になってドレッサーの前に並ぶ。しばらくすると、さも自分が付けるかのようにネックレスを一つ選び、私の首元へ腕を回した。観月が選んだネックレスは鏡の中の自分と恐ろしいくらいぴったり合い、思わず笑みが零れた。
「僕、そういうファッションは好きじゃないです」
「そう」
観月が握る香水を取り、手首に軽くワンプッシュ吹き掛ける。ふんわりと香りが空気中に舞うと観月はまた顔を顰めた。
「香水だって、こんなのより僕が渡した奴の方が何倍も貴女に合っています」
「ふふ、けど好きだからこっちを付けて行くの。わ、もうこんな時間。遅れちゃう」
時計を見て、慌ててバッグを探す。観月は我関せずですでに玄関へ向かおうとしていた。カーテンを締めて部屋の電気を消すと一気に部屋は暗い空間へと変わった。玄関前のライトがほのかに光り、それを求めて歩く。観月はもう靴を履き、じっとこちらを見ていた。影の掛った顔がうっすら微笑む。
「いい加減僕のものになればいいのに」
その声は、極めて優しい声で、冗談を言うみたいに軽い口調だった。けど、観月の目は冷たく鋭く私を捉えていた。
「嫌よ。私には淳君がいるもん」
「本当、君はいけ好かない女だ」
「あら、失礼ね」
静かに笑いどちらともなく軽いキスを交わす。私はこの日の為に買ったパンプスを履き、今までの行為を掻き消すようにグロスを塗ってから家を出た。
(150804)
深いグロス