成人の設定









 飲み屋の大きな部屋を貸し切って行われた同窓会兼忘年会は、すごく賑わっていた。
 
 盛り上がりも終盤に近付き、次第に声はまばらになって、皆ちびちびと酒を啜って時が経つのを、解散するのを、急ぐ事無く待っていた。その頃私は下の階のトイレに入り浸っていた。
 
 頭とお腹が痛い。
 
 すごく最悪な気分。トイレの便器に顔を突っ込んで少しスッキリしてトイレの隣に設けられた洗面器で口を濯ぐ。顔を上げるととんでもないブスが目の前に居た。本当、びっくりするくらい。あんなに念入りにブローして、ケータイの動画を止めながら見よう見まねで必死にセットした髪は見る影も無く、ちょっとお高いパックをして化粧水を叩きこんでからメイクしたはずの顔は崩れかけて、コンシーラーで隠したはずのクマが覗いている。可愛い色でお気に入りだったグロスは綺麗に消え去ってる。そんなせいでこの日の為に新調した服とか、一昨日新しくしてもらったばっかりのネイルが妙に浮いて見えて情けなくなる。そんな時、後ろから誰かがトイレにやってくる気配を感じた。今動く事はちょっと出来そうにないから極力邪魔にならないようにと、しゃがみ込んで洗面器のカウンター側に寄り添う。足音が近づいて来て私の背後、トイレの入り口で止まる。入るのだろうと思っていたのに、その足音がまた鳴る事は無く、代わりに優しい声が聞こえてきた。

「みょうじさん?」

 振り向くと不思議そうに私を覗きこむ幸村君が居た。同窓会の席で久々に会った彼は、随分と大人びていた。


 幸村君は、テニスの上手な人でその端整な顔立ちも相まって学校ですごく人気のある人だった。6年間同じ学校に居たけど、同じクラスになったのは中学1年生の時の一回だけ。たったそれしか接点がないのに、私は6年間片思いをしていた。なんでそんなに長い間片思いをしていられたんだろうとふとした時に思い出しては考える。だって、中学高校の6年、たった6年という短い期間なのに、私はずっと片思いを続けていたせいで、今思うと随分と勿体無い学校生活を過ごしてしまったと感じる時がある。当時は憧れの存在で、席替えで近い席になった時や、廊下ですれ違う時、はたまたグラウンドに居る彼の姿を目撃した時、たったそれだけで嬉しくて胸の奥で密かに想いを募らせたものだ。その間、もっと他の人と恋愛だって出来たはず。卒業してから何人かの人と付き合ったけど、その度に彼の事が頭にちらついた。付き合ってすら居なかったくせに、きっと幸村君だったらこう言ってくれたはず、とか、こうしてくれたはず、なんて考えると、もうその恋は続かなかった。私の中でもう完璧な理想像として出来あがっていた彼を超える人を気付かないうちに求めてしまっていた。
 周りでぽつりぽつりと結婚話が出始めると、少しずつ私も焦りを感じていた。このままではいけない。と。そう分かってはいてもなかなか行動出来なかった私はある雑誌を読んだ。
 思い出は美化される。
 それに書かれていたこの言葉を見た瞬間、真っ先に幸村君の事が浮かんできた。きっと、そうだ。私は彼を美化しすぎているんだ。だってもしかしたら、彼は今プー太郎で、引きこもりなのかもしれない。はたまた、飲んだくれのギャンブラーかもしれない。結婚はしてても暴力が酷くて奥さんから離婚を付きつけられてるかもしれない。まあ、そこまで酷い事になってないとしても、ちょっとでいい、ちょっと私の理想を崩してさえくれれば、何か私の背中を押すきっかけになるかもしれない。だから、無性に彼に会いたいと思った。そんな矢先、好都合とばかりに同窓会を兼ねた忘年会をすると知らせを受け取った。最近顔を見ていない友達と会うのももちろん楽しみだったが、それ以上に私は、幸村君が気になっていた。
 
 仕事を早めに切り上げて、ドキドキしながら会場に向かった。部屋に案内されて意を決してドアを開けると、そこには懐かしい雰囲気があった。当時の面影を残しつつ少し大人っぽくなった人が大半。それでも中には、中学の頃からさっぱり変わっていない人や、誰だか一瞬分からない程の変貌を遂げた人もいた。そしてお目当ての彼はというと、まだ到着していなかった。一人、また一人とやってくるけれど予定していた開始時間になっても幸村君は来なかった。

「幸村、急に仕事入って来れないかもって。顔出せたら出すって書いてあるけど。もう始める?」
「まじかあ。んじゃ、乾杯しまーす!」

 幹事の後藤君が小声で話していたのを聞いてしまい、幸村君が来ないのを知ると残念に思いながらもほっとしている自分が居た。幸村君に会って今の彼を見たらもしかしたら幻滅するような事になっていた事もあり得た。私はそれを望んでいたはずなのに、何処かでそんな幸村君を見るのが嫌だと感じていたのかもしれない。そんな事を考えつつ、久々に会った友達と話しをした。


 普段はお酒なんか飲まないのに、今日は楽しかったのと後藤君に何度もお酌をしてもらったおかげで随分沢山飲んでしまったみたい。動機が激しくて心臓の音がすごく大きく感じる。それに少し気分が悪い。

「なまえ〜、何処に行くの?」
「ん、ちょっとお手洗い」

 我ながらしゃんとしない情けない足取りで手摺を頼りに階段を下りる。トイレに入って大きく口を開けた便器を見た途端、条件反射みたいに身体の中から一気にせり上がってきた。

 しばらくして冒頭に戻る訳だけど、私は幸村君との久々の再会でとんでもない姿を見られてしまった事に恥ずかしさでいっぱいだった。スーツを着た幸村君は、相変わらずキラキラしていて、それとは対照的過ぎる自分が惨めで仕方なかった。立ち上がろうとしたけど頭が痛くてそれすら出来ない私に幸村君はそっと手を貸してくれた。

「大丈夫?具合悪そうだね」
「ちょっとね。けど大丈夫だよ」
「無理しないで。顔、真っ青だよ。送っていこう。みょうじさん歩ける?荷物はそれだけ?」
「だ、だめだよっ。幸村君来たばっかりでしょ?」

 きっと皆、幸村君に会いたがっているはず。慌てて幸村君の手を離すと、彼は昔みたいに優しく微笑んでちょっと強引に私の手を引いてきた。肩を抱かれあまりに近い距離に収まりかけていた動機がまた少しずつ激しくなるのを感じた。
 店の外のベンチに座って待っているよう言われて幸村君は近くのコンビニへと走っていった。どうせ一人では立つ事さえままならないから素直に従っていると、ビニール袋を持った幸村君が戻ってきてそれに合わせたかのようにタクシーがやってきた。また支えてもらってタクシーに乗り込むと、住所を言う様促された。あの幸村君が、同じタクシーに乗っている。それだけで私の胸は、まるで昔に戻ったみたいにときめいていた。

「幸村君、ごめんね。ありがとう」
「大丈夫だよ。気にしないで」
「でもせっかく皆に会える機会だったのに。本当にごめんなさい。お、お茶でも出すよ」
 
 タクシーを降りた後、家の前まで送ってもらい申し訳なくて頭を下げた。寒さで少し酔いが醒めてきたみたいでやっと思考がまともになってきた。せめてもと、玄関を開けてどうぞ。と声をかけた。本当は、もっと幸村君と一緒に居たかった。正直に言えばこんなボロボロな恰好してるくせに少し、少しだけロマンチックな雰囲気になるかなって期待した。けど、私の想いとは裏腹に幸村君は首を横に振って、ゆっくり休んで。と声を掛けてくれた。 

「気持ちだけ貰っておくよ。これ、飲めそうだったら飲んでごらん。無理はしないで。お大事にね」

 幸村君は爽やかに微笑んで私に先ほどのコンビニのビニール袋も持たせると、手を振って階段を下りて行った。その笑顔を見た時、私は彼以上に想いを寄せられる人がいないんじゃないかと思った。たぶん、ずっとずっと。

title by花畑心中

(2015.07.13)

たぶん、ずっとずっとね

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