彼の眉間に出来る皺が好き。


「みょうじ、いい加減資料をまとめろ」
「はーい。ちょっと待ってよ、良い所まで読み終わったらね」

 会議の資料を作るために放課後生徒会室へ呼び出された私は、手塚が一人黙々と作業している横で読書をしている。だって手塚が遅く来るから悪いんだよ。と付け加えると、手塚は押し黙った。

「.....『若きウェルテルの悩み』か、素晴らしい作品だが。....お前、そんな本が読めたのか」

 この口ぶり的に、どうやら手塚も読んだ事があるらしい。しまった。今日は昼休みも終わりそうで慌ててたからなあ。適当に借りてくるんじゃなかったと反省しつつ、焦りを出さないようにベッと舌を出した。

「ちょっと、失礼しちゃうわねー。私だって本くらい読みますよーだっ」
「ほう.....ウェルテルとシャルロッテが結婚する所まで読んだのか?」
「....うん。今子作りに励んでるよ」

 子作りのシーンなんてあるかすら分からない。適当に話しを合わせたら、一瞬のうちに手塚の眉間に深く皺が刻まれたものだから、外れたと分かった。手塚は少し下がっていた眼鏡を戻して私にちらりと視線を移す。その瞳は、呆れたと物語っている。

「みょうじ、読んでないだろう。ウェルテルは結婚しない」
「は、はめられた!」
「人聞きの悪い事を言うな。早く手伝え」
「.....鬼会長」
「鬼で結構」

 ため息を付いた手塚は資料の束を私の前のテーブルに置き、また黙々と自分の作業を再開させた。小さく愚痴を言えば、まるでツッコミのように即座にピシャリと言い放つこのテンポの良さに思わず笑みが零れる。ばれたら仕方が無いと諦めて、私も積み上げられた資料に手を伸ばす。

 壁に掛っている時計のカチカチという規則的な音。
 知らず知らずのうちにタイミングが合って、重なって聞こえる紙を捲る音。
 窓を閉めているせいで、遥か遠くから聞こえてくるように感じるグラウンドの部活動の活気。
 この何気ない全部が全部愛おしく感じるのは、それを共有しているのが手塚だからなんだろう。時間が止まってこの瞬間に閉じ込められてしまえばいいのに。そう、思わずにはいられない。

 手塚はきっと、私が作業したくないから毎回本を読んだり宿題をしたりしているんだと思っている。私が声を掛けられてから慌ててロッカーからバッグに教科書を詰めている事も、ダッシュで図書室に行って本を借りている事も、知らないんだ。だから、本当は少しでも貴方と一緒に居たいって事も、知らないんだ。頭が良いくせに、なんて勘の働かない男だろうと思う。そう考えたらちょっと可笑しくて、くすくす笑ってしまった。
 はっとした時には遅くて、資料から目を離して顔を上げるとさっきより深く刻まれた皺を携えた手塚が居た。

「まったくお前は。貸せ」

 ぶっきら棒にそう言った手塚は、自分だってまだ残っているのに私の資料の大半を取り、また黙々と作業を繰り返した。
 結局いつも私の仕事は彼の3分の1にも満たない量になる。部活があるんだからさっさと自分の分を終わらせて行けばいいのに、私が終わるのを待ってくれて、校門近くまで送ってくれる。
 その優しさが嬉しいながらも素直になれない自分が居て、ありがとう。と言いそびれてばかりいた。今日こそは校門でさよならを言う前に伝えよう。そう心に決めて私も作業に戻った。


 彼の眉間に出来る皺が好き。
 だってそれが出来る時は、良くも悪くも私の事を考えている時だから。

(2015.07.04)

眉間の皺

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