「――――っ、」

 ぎくり、と。
 体が痙攣のようなものを起こし、それに伴って目が覚めた。
 体に纏わり付く重苦しさ。それは布団だけのせいではない気がした。

 真っ正面には、見慣れてきたオフホワイトの天井がある。中央に電灯が見え、居候している部屋の天井で違いなかった。
 早鐘を打つ心臓を宥めながら、硬直した体から、ゆっくりと力を抜いていく。布団の重みが現実感を主張するなかで、嫌な汗で纏わり付くシャツが気持ち悪い。

「はあ……」

 腕で目元を覆い、部屋一杯に溢れる朝日から逃げる。
 無性に風呂に入りたい。一つ深い呼吸をすると、重苦しいものがほんの少し出ていった。

 こうも嫌な目覚め方が、ここ最近続いている。
 ……というか、毎晩と言っていいほど、夢を見る。
 元の世界の思い出ではない。舞台はどうやらこちらの世界だ。全く知らない雰囲気の森で、俺が全く知らない土地。ポケモンの姿は無いが、不思議と確証のようなものがある。

 生まれも育ちもコンクリートジャングル、臨海学校の経験もない俺にとって、自然というものはまだまだ未知の領域だ。
 鼻の奥までつまるような湿気も、少し抜かるんだ土も、よく繁った木々も、夢ほど濃厚に感じた体験は無い。……はずなのに、あのやたらとリアルな夢はなんなのだろう。

「……くあ、」
「あ、おはよ、姫」

 ポケモン用の小さなベッドで眠っていたヒメグマが、目元を擦りながら大きくあくびをしていた。かぱりと開けた口内の歯並びはとてもきれいだ。もぞもぞベッドから這い出す姫に目を細めつつ、自分も準備しなきゃな、と体を起こした。



 ×



「ほんとに出ていくの?」
「うん。ここはグリーンの帰る場所だし、俺もそろそろ前に進まなきゃ」

 寂しくなるわ、久しぶりに一人きりじゃなくて、とても楽しかったのに。
 そう眉を下げるグリーンのお姉さん……ナナミさんに、俺はありがとうと何度も言った。本当の家族の様に接してくれ、面倒を見てくれた彼女には礼を言い尽くせない。
 今日はついに、半年お世話になった下宿先から、離れる日である。

「今日で、この部屋ともお別れかぁ」

 半年の間、少しもレイアウトの変わらなかった部屋を見回す。少ない私物を段ボールに詰めるだけの簡単な作業。は、昨日までで終えてしまった。
 居候の身で、部屋に物や家具を増やすのは躊躇われた。主がいない間に部屋を侵食したくはなかった。帰る方法はまだ分からないけど、絶対に帰りたくないわけじゃない。ただ、物理的な思い出じみたものを作ったら、なんとなく、引き返せなくなる気がしていた。

「確か、トキワに行くんだったわね」
「うん。でもその前に、センパイの誘いでコガネシティに行ってみようかなって」
「ジョウトに? 遠くまでいくのね……一人で大丈夫?」

 すると腕の中で、姫が「ヒメッ!」と鳴いた。ナナミさんは笑って、そうね、一人じゃないわね、と姫を撫でた。

 昔は春のポケモンコンテストで優勝をおさめたこともある、元ポケモンコーディネーターのナナミさん。オーキド博士の孫で、グリーンのお姉さん。彼女が毎日飲んでいる紅茶は、コーディネーターになる前から愛飲しているらしく、タマムシデパートへ一緒に買いに行ったこともある。姫も紅茶が好きだったし、彼女にけづくろいしてもらうのも気持ち良さそうにしてたな。
 ああ、また来たいな。とても穏やかな場所だった。

「それに、俺達だけで行くわけじゃないんだ」
「そうなの? グリーン?」
「いや、」

 不意に羽ばたきが耳に届いてきて、思わずにやっとしてしまう俺に対し、ナナミさんはなるほどと笑った。
 みんなして上空を仰げば、青空を滑空してくる赤い巨体。そのポケモンは、俺達から少し離れた場所に着陸し、背中から一人のひとを下ろした。

「おはよ、レッド」
「……おはよ」

 キャップで隠れた黒髪に、遠くから見ても光を宿した赤い瞳。その肩にしがみつくピカチュウ。巷ではいまだにカントー最強と謡われる男は、今日も今日とてローテンションだ。





'120228

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