ちょっと待て。今、士郎、何て言った?
 士郎の話を聞きながらコップに麦茶を注いでいたアツヤは驚いて、手に持っていた麦茶のボトルを取り落としてしまった。派手な音が、台所に響いた。
「わ、もう、何やってるの……」
「……悪い」
 音に反応した士郎は朝食を作る手を止め、びしょびしょになってしまった机をアツヤと二人で拭いた。アツヤは今の騒動で士郎が言ったことを忘れかけてしまったので、もう一度士郎に尋ねた。
「ええっと、それで、何が何だって?」
「だから、今日、部活ないんでしょ」
「ああ」
 アツヤが頷くと、士郎は机を拭く手を止めた。
「僕、用事あるから、一緒に帰らないよ」
「え……」
 さっきも聞いた筈のことなのに、何度聞いても、鈍器で頭を殴られたように衝撃的な言葉である。いつも何があっても俺と一緒に帰る士郎が、用事があるから一緒に帰らないと。帰れないんじゃなくて、帰らないんだと。
 それ以降、ちゃんと朝食を食べたのか、歯を磨いて顔を洗ったのか、玄関の鍵を掛けたのか、アツヤには定かな記憶がなかった。
 ただ一つ、遅くなるかもしれないから夕飯よろしくね、と言った士郎の顔だけが妙に印象に残っていた。ほんのりと頬を赤く染め、どこか遠くに思いを馳せているような士郎のそんな顔を、今の今まで見たことがなかったからだ。



 その日、アツヤは何となくもやもやとした気持ちを抱えながら授業を受けた。もちろん、授業に集中できないのなんか、言うまでもない。その間にも、忘れられない士郎のあの顔。アツヤにも、思い当たる節が無い訳ではない。
 五時間目の終業を知らせるチャイムが鳴って、長ったらしくてしょうがなかった授業が終わるとすぐに、アツヤは教室を飛び出た。離れたクラスにいる“ヤツ”を見つけて、その机を両手でばん、と叩く。イヤホンをして目を閉じてノリノリで音楽を聴いていた南雲は、その衝撃に驚いて、慌ててイヤホンを外した。そして目の前にいるものすごい形相のアツヤを見ると、やれやれとため息を吐いた。
「吹雪は吹雪でも、アツヤの方かよ……」
「んだとコラ」
「で? 俺に何か言いたいことがあるんじゃないのかよ」
 ごもっともだ。それを言うために、ここまで走ってきたのだから。
「南雲、お前、よくも俺の兄貴を……」
「取ってくれたな、って?」
 アツヤの台詞を途中で南雲が攫ってしまったので、アツヤはうっと息を詰まらせた。南雲の余裕なにやにや顔が妙に癪に障る。
「俺から誘ったんじゃねえからな」
「な……!?」
 南雲の予想外の言葉に、アツヤはまた耳を疑った(今日は一体何度自分の聴力を怪しまなければならないのか)。まさか。士郎が、自分から南雲を誘ったっていうのか?
「な、南雲くん……」
 アツヤが思案を巡らせていると、ごめん、遅くなっちゃった、と肩に掛けた鞄の紐をきつく握り締めた士郎がやってきた。
「お、士郎か。ちょうどいい暇つぶしが来てくれてたから平気だぜ」
「はあ? 暇つぶしとはなんだ暇つぶしとは」
「アツヤ!? 何でここにいるの……」
「あ、兄貴……」
 落胆したような呆れたような口調で士郎にそう言われ、アツヤは蚊の鳴くような声しか出せなかった。そんなアツヤを南雲は一瞥して言った。
「それじゃ、行くか」
「――うん!」
 士郎は向日葵のように眩しい笑みを浮かべた。すれ違いざまに南雲が「後着いてきても無駄だからな」と呟いたのに誘われるままに、急いで鞄に荷物を詰め込んでアツヤも学校を後にした。



 三段重ねのアイスクリームの塔をスプーンでつつきながら、士郎は上機嫌だった。丸いテーブルの向かい側に座っている南雲も、頬杖こそついているものの、楽しそうにしている。
「良かったあ。アイスの割引券、ちょうど今日が期限だったんだ」
「そりゃ良かったな」
「なんか悪いな、南雲くんの分まで貰っちゃって」
「いや、俺甘いのは苦手だから」
「あはは、そうなんだ」
 南雲と会話をする間も、士郎がアイスを掬うスプーンの動きは止まらない。士郎は最後の一個に取りかかり始めた。
「……で、ホントに俺と来て良かったの?」
 南雲は何となく、という風を装って士郎に聞いた。その視線の先には、アイス屋の屋台に隠れて二人の様子を窺っている桃髪の少年がいる。
 南雲は微かに笑った。アイツは俺が気付いていることに気付いてないかもしれないけど、俺の目を侮るなんて百年早え。だから着けてきても無駄だって言ったのにな。
「え? うん、……あ、迷惑……だったかな……」
「そんなことねえよ」
 折角士郎が誘ってくれたのに、行かない方がおかしい。そう言うと南雲は机から身を乗り出して士郎の手を掴んで、スプーンに掬われていたアイスクリームを、見せつけるように口に入れた。南雲が椅子に座り直すと、二人同じ顔をしてわなわなと震えていた。……やっぱり、兄弟なだけあるな。一人は赤い顔で、一人は青い顔だったが。
「な、南雲くん……甘いもの苦手なんじゃなかったの……」
「士郎が食ってるものなら平気かな」
「なにそれ……」
 士郎はあからさまに照れて俯いてしまった。うわ、耳まで真っ赤だ。その様子を見て、南雲はにやりとアツヤに向かって笑いかけた。ああ、こっち見てる。やっと気付いたのかよ、バーカ。普段深い色を湛えている瞳が、メラメラと怒りの炎を燃やしているのは、なかなかに面白い光景だった。

 さ、そろそろ帰るか、と言って南雲は立ち上がった。誰かさんが今にも「南雲テメエ」と飛びかかってきそうだったからだ。それを聞いた士郎は、最後の一口を慌てて口の中に放り込んだ。


エンビーアンドアンガー


「……ねえ南雲くん、さっきから後ろ振り向いてばっかりだけど、何かあるの?」
「ん?いや、何もねえよ」
「(南雲コロス南雲コロス南雲コロス……)」


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サミーさんから「南吹←アツで放課後デート」というリクエストを頂きました!
タイトルは「envy and anger」です。何のヒネリもありません。笑
歴とした(?)南吹を書くのは初めてだったのでいろいろ迷走しておりますが……書いていてすごく楽しかったです(^o^)!
放課後デートっぽい雰囲気があんまり無くて申し訳ないです……まず放課後デートの定義をどなたか詳しくお願いしますorz

サミーさん、リクエストありがとうございました!
こんなものでよろしければどうぞお持ち帰りくださいませ(*´∀`*)


2011.8.30


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