Fl士郎
Pfアツヤ





「……あー、士郎、そこ」
「え?」
「ほら、そのAの音、いつも低くなるって」
 唐突にアツヤの伴奏が止まる。伴奏という支えを失った僕は吹くのをやめた。そしてアツヤにそう容赦なく指摘されて、はあっと楽器を下ろす。

 今は、僕とアツヤでソロの練習中。フルートを吹くのが僕で、ピアノの伴奏がアツヤ。来週末にソロコンを控えた僕たちは、今日も二人で練習に励んでいる。
 ただ、僕はまた伸び悩んでいた。ここがいいと、あそこが駄目。今度はそこばっかり意識しちゃって他がおざなりになる。自分が吹く時はともかく、他人の演奏をよく聴くことのできる耳を持つアツヤに一々指摘を受け、なかなか一曲が通せない。
「……もっかい個人練させて」
「ああ」
 じゃあ十分後に、と時間を決めて僕は練習室を出る。すごく情けない。アツヤだって自分の練習をしたいだろうに、こんな僕のために時間を割いてくれている。管楽器のソロコンテストだからピアノは審査対象外だけど、伴奏だって決して楽なもんじゃない。
 僕はまた、はあ、と息を吐いた。練習しなくちゃ、そう思うのに、どうしてもフルートの吹き口を口元に持って行くことができなかった。

 結局満足な通し練習も出来ずに音出し終了の時間になってしまった。僕はうなだれながら楽器を片付ける。そんな中、アツヤは「お疲れ様でしたー!」と僕を待たず一足先に練習室を後にしていた。
 ふいに、目元がじんとした。僕があまりにも吹けないもんだから、アツヤはとうとう僕に痺れを切らしてしまったんだ。泣きそうになってしまったのが周りにばれないように手早く片付けを済ませ、「お疲れ様でした!」と僕も練習室を後にする。

 冬の夜は寒い。自転車を止め、はあっと息を吐くと白いそれは僕を取り巻いて消えていく。ふと耳を澄ますと、家の中からピアノの音がした。アツヤが弾いてるんだ。
 僕はそっと部屋を覗き見る。するとそこには、書き込みで真っ黒になった楽譜と鍵盤とにらめっこするアツヤがいた。そしてアツヤはうんうん唸りながらピアノを弾き始める。
「(僕の……伴奏……!)」
 僕は目を見開いた。アツヤが僕に構わず早く帰ってしまったのは、僕の伴奏を練習するためだったんだ。僕はそっと扉を閉じる。聞こえてくる伴奏に僕の旋律を重ねて、小さな声で歌う。すると、アツヤの伴奏は非常に歌いやすいことに気が付いた。
「(いや、違う)」
 アツヤが僕の吹き癖をいちいち覚えていて、リタルダンドの速さやタイミングやダイナミクスレンジや曲想まで、全部僕が吹きやすいように練習してくれているんだ。あの書き込みで真っ黒な楽譜。アツヤの指標であり、僕の指標でもある。
 扉に寄りかかりながら、僕はフルートを取り出してアツヤの伴奏に乗っかる。扉越しのアンサンブル。何故だかすごく、楽しかった。

 そのまま最後まで吹き終わると、アツヤが静かに扉を開けた。
「帰ってきてたのか」
「うん」
「……今のはなかなか良かったけど、元気なさすぎ。あと、やっぱりあのAの音が低い」
「……分かった」
 ねえ、もう一回やろう?僕はアツヤに提案する。するとアツヤも頷いた。君がこんなに頑張ってくれてるんだから、僕が頑張れなきゃ嘘だ。
 もうアツヤの指摘ではへこまない。むしろ、その指摘がやる気に繋がる。一個一個、できないところは潰していこう。旋律だって伴奏だって、同じ一つの音楽をしていることに変わりはないんだ。
「その前に、音出しさせて」
 アツヤが頷くのを見て、僕は頭部管を温め何度かスケールを吹く。アツヤはまた何かを楽譜に書き込んでいる。
 ソロコンまであと一週間。僕一人だけだったら絶対に途中で諦めていた。でも、アツヤが一緒だから。僕のためにこんなに頑張ってくれるアツヤに負けないように、僕も頑張ろうと思った。


君がいるから





リタルダンド=速度記号。だんだん遅くの意。
ダイナミクスレンジ=音の強弱や大小のこと。


2011.3.28 修正
2019.3.11 修正


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