高校生くらい





 懐かしい姿を見付けたと思った瞬間、反射的に声が出ていた。
 そして自分を呼ぶ、どこか聞き覚えのある声(昔はそれに似た声をよく聞いていたものだ)を聞いた瞬間、彼もまた歩みを止めて振り向いたのだ。
「光か」
「炎山!」
 炎山の目には、このプラットホームの人混みの中を全速力でこちらに向かって駆けてくる少年は、昔と何ら変わりないように映った。久しぶりだな、こんなとこで会うなんて珍しいじゃん、と言う熱斗の声は弾んでいる。しかしそれは懐かしさをもたらすと同時に、何かしらの違和感をも炎山に感じさせた。
「光……」
 風邪か? と聞こうとして、炎山は口を噤んだ。その違和感は、自分だって経験したことのある違和感じゃないか。もう随分前の話になるが。
 そこまで考えて、炎山はやっと熱斗の顔をまともに見ることが出来た。そして、昔には存在し得なかった二人の身長差に気が付いた。
「炎山、背え伸びたか?」
「光だって伸びてるんじゃないのか」
「えっいや、それはそうだけど……」
 だって炎山のが背え高いじゃん、と熱斗は言った。
 そうか、違和感は声だけじゃなかったのか、と炎山は今更ながら気が付いた。ほんの少しではあるが熱斗を見下ろせる身長差。……もし俺が光より背が低かったら、それは――と考えて、いや、考えようとして、炎山はハッとした。
 下らない。こんな下らない『優越感』なんてものは、とっくの昔に捨て去ったんじゃなかったのか。
 ……不思議なものだ。身長差なんて、いくらあっても足りないと、そんなようなことを思っていた時期が確かにあったのに、いざそれが出来てみると、二人の隔たりのように思えてしまうだなんて。
 それをどことなく悔しく思っている自分がいて、そして悔しいだなんて思う自分を憎む自分もいて、炎山は暫く黙って虚空を睨んでいた。
「炎山?」
「……ん、どうした」
「いや、なんか炎山黙っちゃってるから、どうしたのかなあって思って」
 それは今まで見たことのないアングルだった。炎山は戸惑って、思わず言葉を濁す。
「あ、ああ……久しぶりだからか、なかなか言葉が出てこなくてな」
「あー、確かにそうかも」
 俺だって炎山と何話していいかよく分かんないんだもん、と頭の後ろで手を組んで熱斗は言った。
 そこで熱斗の腕に掛けられたスクールバッグに目が行った。そうだ、今日は平日、そして今は普通の学生だったら学校のある時間帯じゃないか――
「どうしてこんな時間に駅にいるんだ?」
 思った以上にすんなりと、いや、特に何も考えること無しに炎山の口から言葉が出ていた。
「ん? ああ、テスト期間なんだよ、今」
 炎山だって今仕事とかじゃないのか? つーかいつも移動は車使ってんじゃん、俺いつもこの駅使ってるけど今まで炎山と会ったことないし、と熱斗が矢継ぎ早に言ったところで電車がホームに滑り込んできたので、二人は電車に乗り、横向きのシートに隣り合って座った。
「今日はたまたまなんだ」
「へえ」
 久々に電車に乗ってみたい気もしたしな――と炎山は言った。これは、本当に、嘘偽りの無い言葉だ。本当に、今日ここに来たのは、たまたまなのだ。
 かくんと僅かに車体が揺れて電車が走り出すと、熱斗は半開きになっていたスクールバッグから最近の電子科学についての参考書を取り出し、ペンで慎重にアンダーラインを引きながら、ぼそぼそと口に出して復唱しては眉間に皺を寄せている。
 炎山にはその声が何だか心地良く聞こえた。そして日々の仕事の疲れもあってか、炎山は電車の揺れに誘われるかのように静かに目を閉じた。

 肩にこつんと軽い感触があって、炎山は目を覚ました。どうやら、いつの間にか寝てしまっていたようだ。体重が掛けられている右肩の方を見ると、こちらも疲れているのだろう、熱斗が微かに寝息を立てて眠っている。
 炎山は改めて熱斗が手にしている参考書を見た。熱斗が勉強している姿なんて、珍しいことこの上ない、と炎山は思ったのだ。科学省に入るなら、やはりそれなりの勉強をしなければならないと、光博士にでも言われたのだろうか。そう思わせるほど、熱斗の勉強ぶりには気合いが入っていた。
 ふと電車が動き出して、次の駅は炎山が降りなければならない駅であるとアナウンスの声が告げる。熱斗はどこで降りるのだろう?少なくとも自分よりは後だろう。
 炎山はそっと熱斗の頭を向こうに押しやった。すると熱斗の手から参考書が滑り落ちた。炎山は慌ててそれを拾うと、ちょうど開かれたページにあった大量の書き込みを見て、あることを思い付いた。そこでペンを取り出し、さらさらと何かを書いてからまた熱斗に参考書を持たせたところで、またアナウンスの声が炎山の降りる駅名を告げた。


more slowly,


 かくんと電車が動き出す。
 熱斗は手に持っていた参考書を取り落としそうになって、はっと目が覚めた。そして、さっきまで隣に居たはずの人がいないことに気が付いた。
「(炎山、行っちゃったか……)」
 熱斗は深いため息を吐いた。そして居眠りなどしてしまったことを酷く悔やんだ。
 せっかく会えたのに。
 熱斗の心にはそのことばかりが渦巻いていた。久しぶりに会えたから、話したいことがいっぱいあったのに。炎山は考え事をしていたようだったから何だか話し掛け辛かったし、自分がテスト続きで疲れていたということもあった。
 だけど、だからって折角の機会をこんなにあっさりと逃して良かったのか。熱斗は後悔した。どうでもいいことだって、何でもかんでも話せば良かった。
 熱斗はまたため息を吐くと、仕方ないと割り切って参考書を開いた。すると、見覚えのない筆跡が真っ先に目に飛び込んできた。
 まさか、と思って振り向いた時には、もう駅のホームは遥か彼方だった。
 ああ、遅かった――そう思いながら流れて行く景色を見つめていると、不意に目から涙が零れ落ちた。
 なんだ。炎山も、そう思ってたのか。ならやっぱり、話せば良かったな。……だけど、本当にそうなら、炎山だっていっぱい話し掛けてくれれば良かったのに。
 熱斗は目元をぐいっと拭うと、また参考書に目を落とした。この返事は、いつ、どこですれば良いのだろうか。見慣れない筆跡が、何故か熱を帯びているように、まるで本人が声に出しているように、鮮明に熱斗の目には映った。


2012.1.16
2019.3.11 修正


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