※微量ですが出血表現あります





 手を、伸ばしていた。
 何に向かってかは分からない。努力しても与えられなかった正当な利潤か、それとも失ってしまったあの人の温もりか、それとも自分の代わりに精一杯戦ってくれている仲間たちか、それとも――。
 何かを手放すでもなく、答えを手に入れるでもなく、炎山は暗闇の中でただ手を伸ばしていた。

 ……違う。俺が本当に求めているのは――

 ぎり、と強く歯を食いしばった、丁度その瞬間だった。
 目の前に長い髪を持った赤いナビが現れて、一度口を苦しそうに開いたかと思うと、それは一瞬にしてどす黒い霧に飲み込まれた。未だ記憶に新しいその光景に、炎山は息を呑み目を見開くことしかできない。
 やがてその霧が少しずつ消えていくと、そこにいるのは変わり果てた姿の自分のナビだった。そして先程と相反する歪んだ笑みを浮かべ、右手にソードを構えると勢い良く炎山に斬りかかってきた。
「―――!!」



 その名を叫ぶと同時に目が覚めた。どうやら、いつの間にか机で寝てしまっていたらしい。時計を見ると、もう早朝の四時になっていた。そして造作もない手つきで傍らのPETを手に取るが、依然として暗いままの画面を見ると、炎山は唇を噛み締めて机を拳で叩いた。その拍子に、コーヒーカップが床に落ちて、割れた。
 炎山はその鋭い音にはっとして慌てて砕け散ったコーヒーカップの欠片を拾おうとするが、指に痛みが走って、その欠片を取り落としてしまった。
 見ると、指先にぷっくりと血の球が出来ている。炎山は暫くそれを眺めてから、口元に持っていき舌で血を舐めとった。口の中に何ともいえない鉄の味が広がる。炎山は顔をしかめるとため息をついて秘書を呼びつけた。

 全く、素手でカップの欠片を拾おうとすればこうなることなんか、分かっていたのに。
 ……分かっていた、筈、なのに……。

 コーヒーカップの片付けを秘書に任せ、炎山はシャワールームでシャワーを浴びていた。
シャワーのお陰で寝汗の不快感は流れていったが、ブルースが手元に居ないという事実は洗い流せない。炎山はシャワールームの壁を叩く。今度は、反動が拳に伝わるばかりだ。
「ブルース……」
 掠れた声で炎山は呟く。
 何故。どうして。
 何度その問い掛けをしただろう。そしてその度に思い出すのは――

『赦せ、ブルース!』

 思い出したくもない、だがしかし、紛れもないその事実。あの時ばかりは仕方がなかったが、今の状況を考えると、自分は何と愚かなことをしてしまったのだと、思わずにはいられない。
「ブルース……」
 炎山はもう一度呟く。その目尻を伝うのは、シャワーの水か、それとも――

 炎山がシャワールームから出ると、コーヒーカップの片付けは終わっていた。礼を言おうとしたが、秘書は既に副社長室を出て行ってしまっていた。
 仕方ない。炎山はパソコンの前に座って、仕事用のデータファイルを開いた。

 その瞬間だった。

 突然、辺りが光沢を帯びた玉虫色に豹変した。同時に、部屋に鳴り響く警告音。
そして目の前に現れる、変わり果てた姿の、手元に帰って来て欲しいと望んで止まない、自分のナビ。
 警告音が鳴り止まない中、二人はじっと動かず対峙していたが、ややあってブルースは歪んだ笑みを浮かべ、ソードを構えた。
 夢で見たのと何ら変わらない光景。炎山は咄嗟にバトルチップゲートをひっ掴み、バトルチップを挿入する。
 キン、と耳を突く鋭い音が辺りに響いた。
「何故止める」
「ブルース!」
 もう止めるんだ、と答えも虚しい叫びをバリアの内側から飛ばす。防御の為のバリアが、まるで自分とブルースとの間の心の隔たりを示すようだった。こんな隔たり、何時の間に出来てしまったのだろう?
「もう止めろ? ……馬鹿なことを」
 お前を倒すまで止めはしない、そう叫んでブルースはもう一度炎山に斬りかかる。
「ブルース!!」



 気付いた時には、ディメンショナルエリアも、ブルースの姿も跡形も無く消え去っていた。副社長室の散らかり様を見ると、どうやらブルースが来て暴れていったのは本当のことのようだ。自分が知らない間に、きっと熱斗たちが何とかブルースを追い返してくれたのだろう。
 さて、この副社長室をどう片付けたものか……そう考えた時、偶然机上のPETが目に入った。それを胸に抱くと、どうしようもできないやりきれなさに、炎山は抑えることの出来なかった涙をつっと頬に伝わせる。

 なあ、ブルース。
 お前は、俺のナビなんじゃないのか?そうだろう?

 炎山はしゃがみ込み、声を押し殺して泣いた。画面は涙で濡れても、何一つ答えを返してはくれない。


覚めない夢を見ている




image song:Just Be Friends/Dixie Flatline
企画「滲んだ世界は、」さまに提出


2011.6.27
2019.3.11 修正


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