ピピピピ、ピピピピ……。
 広さはあるが閑散とした副社長室に、体温を測り終えたことを告げる電子音が響く。炎山は脇に挟んでいた体温計を抜き、画面に表示された数字をちらっと見ると、隣で心配そうに見つめている熱斗に見られないように、手早くケースの中にしまった。
「熱、何度だった?」
「……36度7分だ」
 熱斗の問いに対し、炎山はさきほど見た温度よりは幾分か低い温度を答えると、熱斗は訝しげな顔をして繰り返した。
「36度7分?」
「ああ」
 何とか平常な声のトーンで相槌を打つことができたが、内心では、バレたな、と思った。熱斗は納得いかない、という顔をしている。
「ホントに36度7分なのか? 炎山、まだ赤い顔してんじゃん」
「心配するな。暖かくして寝てたからだ」
 と言って急に炎山は咳き込んだ。
「……熱、測るぞ」
 とうとう我慢できなくなった熱斗は、炎山の額に右手を当てようとしたが、虚しくもその手は炎山の右手によって遮られてしまった。
「いい。心配するな」
 炎山は少し苦しそうに言い、いつものように不敵に笑ったが、突然ガクッと体重を熱斗に預けた。
「過労でぶっ倒れてたくせに、よく言うよ」
 熱斗は呆れ顔でそう言うと、もう一度炎山をベッドに寝かせてやった。

「すまない……熱斗……」
 寝ている炎山は見れば見るほど苦しそうで、一体どれくらい熱があるんだろう、と考えずにはいられない。それでも嘘をつけるくらい、炎山は気丈である。それともただの意地っ張りなのか。
「……せっかく来てくれたのにな」
「俺が来なかったら今もあの状態なんだぜ」
「ああ、分かってる……」
 炎山はそういうと、熱斗が用意した薬を飲んで、目を閉じた。さほど経たないうちに、かすかに寝息が聞こえてくる。

「あーあ、まいったな……」
 そもそも、何故熱斗はIPCの副社長室にいて、何故炎山は熱を出しているのか?
 最近の熱斗と炎山の楽しみといえば、暇な時間に二人きりで話をすることだった。それは愚痴だったり些細な世間話だったり現状報告だったりと様々だが、二人で過ごす時間は他の何とも代え難い幸せな時間である。
 しかし、弊害も少なからずあるわけで。熱斗はいわゆるごく普通の小学生なので、学校を終えてから遊びに来るわけだが、如何せん炎山は毎日仕事に追われている。熱斗と話をする時間は楽しみではあったが、その時間でできる仕事がどんどんたまっていってしまうのが炎山の悩みだった。仕事をなおざりにするわけにはいかない、それでも“楽しみ”という欲求には、あの炎山ですら勝てなかった。熱斗と話し合って、会う日は二週間に一度にしようと決めた。それなら、仕事にもそんなに影響は出ないだろう。
 しかし、それでも厳しいものがあった。よりによってこんな時にばかり仕事は舞い込んでくる。一時の暇さえ惜しんで仕事に向き合わなければならない状況に陥ってしまったのだった。それでも炎山は必死で頑張った。たった二週に一日だけのために。炎山は自身の睡眠時間までも削り、片っ端から淡々と仕事を片付けた。

 そして迎えた約束の日。炎山の絶え間ない努力の成果により、見事に仕事は片付けられ、その上、副社長室の中も綺麗に掃除できた。これで、いつ熱斗が来ても大丈夫だ。
 しかし、炎山自身が熱斗と話をできる状態ではなかった。日々の過労やら寝不足やらが積み重なり、あろうことが熱を出してしまったのだ。それも、起き上がれないほどの高熱を。普段からブルースには適度に休憩をとるように言われてはいたが、ここ最近は休憩など全くとらなかったため、体が壊れてしまったのだ。
「おーいっ、炎山!来たぞ!」
 そんなことはつゆ知らず、学校帰りの熱斗が元気良くIPCの副社長室に入ってきた。
「……あれ、炎山?」
 大声で呼びかけても反応がないので、熱斗は額に手をかざして炎山を探した。そして熱斗は、
「……おい、炎山!」
 床に倒れている炎山を見つけたのだった。

 こうして話は冒頭に戻る。
「……どうしよっか」
 せっかく来たのにもう帰ってしまうのもなんだか名残惜しいし、かといってこのままここにいても炎山には迷惑だろう。まあ炎山にはブルースがいるし、薬もまだあるから大丈夫だ。
 帰ろう。
 そう思って熱斗がベッドから飛び降りようとすると、服の裾を何かに掴まれた。
「炎山?」
 そう、それはまごうことなき炎山の手だった。炎山は熱斗が呼んでも何も言わないが、裾を握る力は強くなるばかりだ。
「……えーっと、」
 困った熱斗は、目線を宙に泳がせ、ぽつりぽつりと話し出した。
「……今日は、給食がおいしかった。授業もマジメに受けたし、掃除もしたぜ。……そうそう、俺、今度またネットバトル大会に出ることにしたんだぜ!炎山も暇だったら出ろよな」
 そこで熱斗は言葉を切り、これでいいか……? と炎山の表情を伺う。
 すると炎山は、先ほどとはうって変わって安らかな笑顔を浮かべていた。熱斗の服の裾も、いつの間にか炎山の手から解放されている。熱斗は言うことだけ言ったら早々に帰ろうと思っていたのだが、普段は絶対に見せないであろう炎山のその表情に見とれてしまった。ちょっとカッコいいかな、なんて思ってしまう。
「……炎山のバカやろっ、早く治せよなっ!」
 照れ隠しにそう言い残して、熱斗は夕暮れに染まる副社長室を走って出て行くのだった。


夕暮れセンチメンタル





主催企画「星屑に願い事」に提出


2011.3.28 修正
2019.3.11 修正


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