――自分の役目は、これで終わりだと思っていた。
 ロックマンは、楽しそうに話す熱斗の笑顔を不思議な気持ちで見上げていた。

 熱斗たちが6年生になって初めての土曜日。春の訪れを感じさせるやわらかな陽気の中、4人は秋原町の公園に集まっておしゃべりをしていた。
「こんなにのんびりできるのもなんだか久しぶりね〜」
「まりこ先生、すごく張り切ってたよね」
「6年生って大変なんだなあ……」
「ほんとだぜ、授業までそんなに頑張らなくてもいいよなあ、宿題が多すぎて困っちゃうぜ」
 6年生になって数日間の緊張感から解放された4人の口からは、苦労や不満といった言葉がこぼれるが、時折混じる笑い声と一緒に緩やかな風に乗って運ばれていく。
 オペレーターたちが集まって話しているの時を同じくして、ナビたちもまた秋原スクエアで話をしていた。
 ロールに手を引かれ、ロックマンは久しぶりにインターネットを歩いた。秋原スクエアへ向かう道のりに、プロト事件の痕跡はほとんどなく、より快適なインターネット状況にするための工事を行っている所もあった。
「ここでN1の最初の予選が始まったのよね」
「N1ですか……もうずいぶん昔のことのように感じます」
「デカオさまとガッツマンもベスト8まで勝ち残ったでガス!」
「もう、それならグライドとやいとちゃんもだし、ロックと熱斗くんは決勝まで行ったでしょ!」
「ガス〜……」
「しかし、N1の運営にWWWが関わっていたと判明して急遽決勝戦が中止になってしまったのは残念でした」
「ほんとよね〜。でもロックとブルースなら絶対ロックが勝つわ! ね、ロック?」
「えっ? あ……うん」
 みんなの話を聞いていたつもりが、自分の両足が再び電脳世界の地を踏みしめていることに違和感を覚え始め、ちゃんと踏みしめているはずなのに少し斜めに傾いているような感覚にとらわれて、知らず知らずのうちに上の空になってしまっていたようだ。
「ロックマン、どうしたでガス?」
「いや、なんでもないよ」
「大丈夫でガスか? そんな調子だと、ブルースより先にガッツマンがロックマンを倒すでガスよ!」
「かかってこいよ、ガッツマン! そう簡単にはいかないぜ」
「なにおう、熱斗! 俺たちだっていつまでも負けっぱなしじゃねえぞ!」
「へへん、どうかな、デカオ?」
 いつの間にかオペレーターたちの話は終わっていたようで、熱斗とデカオがナビたちの会話に加わってきた。
 今にもナビそっちのけでオペレーター同士が取っ組み合いを始めそうなやりとりにみんなで笑っていると、突然アラームが鳴った。
「あっ、いけない、メイルちゃん! そろそろピアノのおけいこの時間よ!」
「えっ、もうそんな時間なの?」
 メイルの言葉に、みなPETで時間を確認する。
「ごめんみんな、先に帰るね」
「やいとさま、やいとさまもそろそろお父様に言われているお勉強の時間です」
「あたしはそんなの必要ないわよ!」
「そう言われましても……後でお父様に怒られるのはやいとさまですよ?」
「あーもう分かったわよ! 行くわよ、グライド!」
「そういや俺も母ちゃんに手伝い頼まれてたんだっけ。じゃあな、みんな!」
「行くでガス! みんな、またでガス!」
「おう、みんな、またな!」
「うん、みんな、またね!」
 それぞれがそれぞれの用事で帰っていくのを手を振って見送ると、熱斗とロックマンは2人ぽつんと寂しく残されてしまった。
「熱斗くん、僕たちも帰ろうか?」
「うーん、そうするか」
 PETから見上げる熱斗の顔の向こう側に、端の方が既に赤く染まり始めている青空が見える。緩やかだった風が僅かに勢いを強めてきている。春というにはまだ少し冷たい風だ。桜も今年は例年より遅い開花になるそうだ。それでも、この公園を囲むように植えられている桜の蕾はだんだんと膨らんできている。長く厳しい冬を越えて、季節の足音は確実に春に向かってやってきている。新しい生命の芽生える季節。気持ちを晴れやかに、前向きにしてくれる、新緑の香りを纏った爽やかな風。
 ……それなのに、なぜか、思い出してしまった。
 身体中にプロトが侵入してきて、記憶まで食い荒らされているかのような不快感に襲われたときのことを。
 希望と願いを託して遠く放った光を見送った後に胸の内に広がった、達成感とも無力感とも言い難い感情を。
 「あ、メールだ」
 重く頭にのしかかるロックマンの思考を、熱斗のなんでもないいつも通りの声が遮った。
 少し反応が遅れた所為か、ママからだよ、読むね、とロックマンが言う前に熱斗がメールを読み上げた。
「ママからだ。『熱斗、大変! コンパネの調子が悪いの、ちょっと見てくれない?』だって。よし、行くぞ、ロックマン!」
「う、うん」

「ママ、大丈夫?」
 熱斗が家に駆け込んだとき、母はコンパネの近くでおろおろしていた。
「熱斗、さっきから冷房がついたり、消えたと思ったら今度は暖房がついたりで変なのよ。どうなってるのかしら?」
「うーん……あっ、ウイルスにやられてるみたいだ!」
「やだ、困ったわ」
「大丈夫だよ、ママ。よし、行くぞ、キャノンだ!」
 ウイルスの姿を確認するや否や、チップデータの転送だけでウイルスを倒そうとする熱斗を見て、ロックマンは思わず声を上げた。
「熱斗くん、僕が行くよ!」
「! そうか……頼むぜ、ロックマン!」
 久々のウイルスバスティングではあったが、幾多の厳しい戦いを乗り越えてきた2人にはこの程度のウイルスを倒すことくらい何でもなかった。助け出したプログラムくんたちと共にコンパネを正常化させてプラグアウトすると、ロックマンを賞賛の言葉が待っていた。
「助かったぜ、ロックマン」
「ロックマン、ありがとう」
「うん、もっと危険なウイルスじゃなくて良かったよ」
 照れ隠しのように俯くことで、ロックマンは自分の中に芽生えた暗い気持ちを2人に悟られないようにした。
 2人にお礼を言われて嬉しいと思う一方で、なんとなく焦りや戸惑いの気持ちが湧いてきたのだ。
 先ほどのウイルスバスティングで、自分を電脳世界に送り込むより先にバトルチップを取り出す熱斗の姿が、ロックマンの頭の中をぐるぐると掻き回している。
 確かに、チップのデータを送り込むことができればウイルスバスティングは可能だ。でも、精度や威力はやはりナビが使った方が遙かに高い。それなのに、熱斗はナビより先にチップを使おうとした。それは自分がいなかった数ヶ月間でできた習慣だといえばそれまでだけど、ロックマンは簡単には割り切れなかった。
 これは、熱斗くんが僕なしで生きるために努力して得た成果だ。でも今は、僕がいるのだから無理を冒さずに僕を頼ってほしい。そのためにナビがいる。
 ……いや、こうして熱斗くんが努力した形跡を見せてくれるのは、僕がいなくなったからで、僕はあのまま消えていたら、熱斗くんのこの成長ぶりを見ることもなくて、そうしたらこんな暗い気持ちを抱えることもなかっただろう。
 だって、ナビの本分がウイルスバスティングやオペレーターの活動の助けをすることだったら、自分でない、他のどんなナビだってできるんだから。なんなら、ナビとして与えられた役割を果たせないのなら、ナビなんか、僕なんか、いなくてもいい。
 ……でも、こんなことを考えてしまったら、あのとき助けてくれたおじいちゃんとパパに、あまりにも失礼だ。
 熱斗が夕飯を食べて、風呂に入って、ベッドに入ってすやすやと寝息を立て始めても、ロックマンはまだ1人で暗い気持ちを抱えていた。

 翌朝、規則正しいアラームの音が鳴ると同時に起き上がった熱斗の耳に、母が助けを求める声が届いた。
「熱斗、起きた? またコンパネの調子が悪いの、見てくれる?」
「はーい」
 熱斗はてきぱきと着替えをすると、PETを手に取って階下に向かった。
「ママ、今日はどうしたの?」
「それがね、今日は電源が上手く入らないの」
「そうなんだ。ロックマン、見てきてくれよ」
「うん」
 コンパネの電脳世界に降り立ったロックマンは辺りを見渡すが、分かりやすく目に見える異常はなかった。
「今日はウイルスはいないみたいだけど……」
「うーん、そうか」
「あっ、ちょっと待って!」
「どうした、ロックマン?」
 プログラムくんたちを見ていると、1人様子のおかしいプログラムくんがいることに気が付いた。
「熱斗くん、このプログラムくん、データが少し破損してるみたいだ」
「本当か?」
「あら、それは気が付かなかったわ……ごめんなさいね」
「イエ、ワタシモヒカリケノミナサンノヨウニガンバラナケレバトオモッテ……デモスコシムリヲシスギタヨウデス」
「ロックマン、なんとかできそうか?」
「うーん、とりあえずリカバリーで応急処置はできるけど、今度パパにちゃんと見てもらった方がいいと思うよ」
「そっか、分かった。じゃあリカバリーを送るぜ」
「うん、お願い、熱斗くん」
「カタジケナイデス」
「もしかして、もっと前にウイルスに襲われたとかでデータが少し破損してたのかな? それでウイルスが侵入しやすくなってたり、ウイルスを追い返せなかったりしたんだね。でも、これで当分は大丈夫だし、もしまたウイルスが来ても僕が倒すからね」
「アリガトウゴザイマス!」
 プログラムくんの治療を終えてプラグアウトすると、朝食を食べながら、また熱斗が褒めてくれた。
「やっぱりロックマンはすごいな、プログラムくんが壊れてたなんてちっとも気付かなかったよ」
「そ、そうかな……?」
「そうだよ。だって俺は電脳世界には行けないし。……ママ、ごちそうさま、行ってきます!」
「はーい、行ってらっしゃい……って、熱斗、どこに行くの?」
 熱斗があまりに勢いよく飛び出していくので、ロックマンも、
「熱斗くん、今日は日曜日だよ、学校は休みだよ!」
 と言うことができなかった。

「今日、日曜日だったのか……」
 校門の前で、熱斗はがっくりとうなだれる。
「ごめん、熱斗くん。熱斗くんがすごい速さで出て行くから、今日学校休みだって言えなくて」
「いや、いいよ。でもせっかく外に出たんだし、すぐ家に帰るのもなあ」
 そう言いながら熱斗の足はなんとなく公園に向かっていた。空いていたベンチに腰掛けて、風を感じながら空を見上げる。
 今日もすっきりとした青空がどこまでも遠く広がっている。まだ朝だから肌寒さもあるけれど、昼過ぎには心地よい陽気に包まれるだろう。
 ……僕がプロトに取り込まれそうになったときの不快感を思い出したりとか、あのまま消えるはずだったのに帰ってきてしまって、なんとなく居心地が悪いように思ったりとか、僕は本当にここにいてもいいのかなんて考えてしまったりするのは、それらは春がやってくるのとは逆の気持ちだから、余計に暗く重く捉えてしまうんだ。
 そんなことを考えていると、いつの間にか熱斗がPETを覗き込んでいた。
「どうしたんだよ、ロックマン。そんな顔して」
「熱斗くん……」
 たとえ自分が消えてしまおうとも、この命を引き替えにしてでも、どうしても守りたかった存在だ。その命の鼓動を持つ人に、その命を輝かせている人に隠すことはできないと思って、ロックマンはこれまで抱えていた暗い気持ちを正直に熱斗に話した。
「ロックマン、そんなこと考えてたんだ」
「……」
「あのさ」
 熱斗は一度言葉を切って、口調を少し改めて言った。
「実は前にも、今日とか昨日みたいにコンパネにウイルスが入って壊れたことがあったんだ。あの日すごく寒かったのにエアコンが全然つかなくてほんと大変でさ! 俺も焦ってたから余計にウイルス倒せなくて困ってたんだけど、そしたらみんなが助けてくれてなんとかなって。でも、その時、こういうときにロックマンがいてくれたらなって思っちゃったんだ」
 熱斗はベンチの背もたれに寄りかかって空を見上げる。
「なるべくそう思わないようにがんばってきたんだけどさ、一度ロックマンにいてほしい、ロックマンに会いたいって思っちゃったら、1人で生きるのってすごく寂しいなって思ったんだ。いや、本当はママもパパもみんなもいるから1人じゃないんだけど、あの時ウイルスを倒してくれたみんなを見てたら、やっぱり、ナビがいるっていいなって思ったんだ。でも、そんなこと考えるのって、必死で俺を助けてくれたロックマンに悪いだろ? だから、もうそんなこと考えないように、ウイルスバスティングの練習とか、勉強とかすごくがんばったんだ」
「じゃあ、昨日真っ先にチップを取り出したのは……」
「ごめん、完全に癖になってたよ。ロックマンの話を聞いて、悪いことしちゃったなって思った。ロックマンがいてくれるの、ほんとに嬉しいのにさ」
「えっ……?」
「昨日、ロックマンと一緒に戦えたのがすごく嬉しかった。ロックマンにずっと危険な戦いをさせてきて言うのもなんだけど、すごく楽しかった。ロックマンじゃない他のナビじゃ絶対こんなふうに思わないよ。だって、俺のナビはずっと前からただひとり、ロックマンだけだから。今ロックマンがいてくれて分かるんだ。俺って、ロックマンがいるだけで何をするのも楽しいって思うんだ、って」
 そう言って熱斗は笑う。
 その笑顔を見て、ロックマンは、ああ、と思った。
 この笑顔を、この笑顔が存在する世界を、守りたかったんだ。
 この笑顔を守れるのなら、自分の命なんか惜しくないと思った。あの時は、それしか方法がなかったから。でも、その行動で熱斗くんを悲しませることは本意ではなかった。
 その笑顔が、僕が、他の誰でもない僕が帰ってきて嬉しいと言うのだから、僕が帰ってきたとき、みんなにめちゃくちゃに歓迎されたのを、素直に受け止めて、喜んでいいんだ。きっと、僕が熱斗くんを守りたいと願ったのと同じくらいに、いや、もしかしたらそれ以上にかもしれない、僕はみんなに望まれて帰ってきたんだから。
 そして、何より僕自身が、熱斗くんの補佐をするナビとしての役割を果たしたいと思う以上に、ただ熱斗くんと一緒にいたい、また一緒になることができて嬉しいと思うのだから。
「ロックマン、俺、大切な人がいないからこそ強くなれることってあると思うんだけど、やっぱり、大切な人と一緒にいた方が、もっとずっと強くなれるよな」
「うん……そうだね」

 ――僕の役目は、これで終わりだと思っていた。
 ロックマンが見上げる熱斗の笑顔は、これまでに見たこともないくらい眩しく輝いている。
 この命が続く限り、すぐそばで、この笑顔を守りたい。
「これからもずっと一緒だぜ、ロックマン!」
「うん、もちろんだよ、熱斗くん!」
 新たな決意の誕生を祝福するかのように風は吹いて。
「おーい、熱斗!」
「2人ともこんなところで何やってるでガスか?」
「デカオ!」
「ガッツマン! それにみんなも!」
 その風に誘われたかのようにやってきたみんなとの穏やかな時が流れる。



小指を確かに掛けた夢の話



2021.9.26

pictSQUAREでのオンラインイベント「FUTURE ROCK FES Newt_online」にサークル参加し、イベント当日新作として展示しました。


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