生存設定





 最近、士郎に元気がない。登下校中も、授業中も、部活の時も。何をしていても表情がぱっとしない。何かあったのか本人に聞こうにも、俺が話しかけようとすると士郎はするりと俺をかわして行ってしまうのだ。
 そんなこんなでかれこれ一週間、同じ家に住んでいるというのに俺と士郎は全く言葉を交わしていない。
 今まで生きてきてずっと士郎を見ているし、こんなことはこれまでに何回もあったから、表情がいまいちぱっとしなくなった時点で士郎は何か抱え込んでいるんだろうということは想像がついた。
 だがしかし、今回には今までと違う点がひとつある。それは、士郎が完全に俺を避けているということだ。今までなら士郎に何かあったと感づいた俺がいろいろ話を聞いてやるのだが、今回はそれすらもさせてくれない。口にもできないほど重いものを抱えているのか、それとも俺に聞かれたくないことなのか。
 今夜も夕飯を一緒に食べる機会を逃してしまった。どうしてこんな時だけ素早いんだアイツは。しかも皿洗ってないし。士郎が流し台に置いていった皿を洗いながら、俺はどうしたものかと首を捻った。
 だって、士郎の笑顔は俺の大切なエネルギー源だから。士郎には、いつも笑っていて欲しいから。
 静かな家の中、食器が触れ合う音がやけに大きく響いた。

 翌日。長ったらしくてしょうがない授業を終え、俺は意気揚々とグラウンドに出る。俺の学校生活はこの午後部活のためにあるようなものだ。他の部員に指示を出し、着々と部活を始めるための準備を進めていく。
 そんな中、俺は一足遅れて部室に入っていく士郎の後ろ姿を見とめた。あんな顔してても、ちゃんと部活には来てくれるんだよな。ますます士郎が何を抱え込んでいるのか分からない。
 少ししてユニフォームに着替えた士郎が部室から出てくるのと同時に部活の準備が整った。まずはパス回しから始めることにする。

 部活も途中までは順調だった。最近は士郎に申し訳ないくらい調子が良くて、シュートの威力も上々だった。本日何本目かのゴールを決め、まだまだやるぞ! とボールを返す。そして何回かパスを回し、士郎にボールが渡ろうとしたところで悲劇は起こる。

 士郎が、転んだのだ。

 仲間からもらった何の変哲もないパス――それを受け取ろうとして、足が上手く出なかったのだろうか、士郎は転んでしまった。考えるより先に体が動いた。
「っおい士郎! 大丈夫か!?」
 急いで駆け寄り声を掛ける。しかし士郎は俺に視線を合わせてくれない。ふと士郎の足元を見ると、足首を手で押さえている。顔から血の気が引いた。
「士郎、足捻ったんじゃ……」
「大丈夫だよ、これくらい」
 俺に視線を合わせることなく消え入りそうな声で士郎は言った。久しぶりに言葉を交わしたというのに感動も何もなかった。
「保健室、行くぞ」
「何で、大丈夫だって」
「悪化したらどうするんだよ!」
 思わず声が大きくなってしまう。俺の剣幕に気圧されたのか、士郎はうん、と頷いた。
「立てるか」
「……肩、貸して」
 俺が士郎を支えやっと立ち上がると、部員に個人練をするよう指示を出して保健室までゆっくり歩いていった。

 お決まりのように保健室の先生はいなかった。とりあえず士郎を椅子に座らせ、湿布と包帯を探す。俺自身は何回も保健室にお世話になっているから、どこにあるかはすぐに分かった。
「アツヤ、僕がやるよ」
 どこが痛いのかが分からず湿布を持ったまま困っていると士郎が静かに声をかけてきた。
「いや、俺がやる」
 俺は首を横に振る。ここはなんとしても意地を張りたい。
 すると士郎はふう、と息を吐いて恐らく痛いと思われる箇所をさすった。俺はそこに湿布を貼り、包帯を巻いて固定する。素人のやることだから心許ないが、何もしないよりはましだろう。俺が士郎の足首に包帯を巻いている間、全く言葉は交わされなかった。
 俺が包帯を巻き終わると、士郎はもう用は済んだとばかりに体ごとそっぽを向いてしまった。心なしか、視線が下を向いているように見える。俺は士郎に声をかける。
「……士郎」
「……」
「なあ、士郎」
「……」
 俺の口調に感づいたのか、士郎は頑に無言を貫き通す。しかしここで折れる訳にはいかない。
「教えてくれよ」
「……」
「どうしてそんなに元気なさそうなんだよ」
 俺の懇願が効いたのか、士郎は小さく口を動かしている。
「……アツヤの所為なのに?」
 ようやっとそう言って俺を見据える士郎の目には、怒りとも悲しみとも悔しさとも言い切れない感情たちが渦巻いている。俺は少なからず衝撃を受けた。俺の所為だって? 一体どういうことなんだと問い詰めようとすると、
「ああでも、アツヤだけの所為にするのはよくないね」
 と士郎は力なく微笑み、まるでその先へ踏み込ませないかのように自らシャッターを下ろした。
「(……どうしてそう……!)」
 士郎はいつも一人で溜め込んでしまう。弟である俺にだって話してくれないこともたくさんある。
 その士郎が抱え込んでいる半分でも、いやもっと多くても少なくてもいい、一緒に抱えてやれたらと思うのに、いつも士郎はそれをさせてくれない。なんでだよ。士郎一人で抱え込んで、一体何が楽しいってんだよ。
「……僕は……!」
 突然士郎が口を開く。寒い時にするように、自分の腕で自分の身を抱いて。
「完璧じゃないと……嫌なんだ……!」
 大きく見開かれた、不安と恐怖の色をした目。今の士郎は見ても言葉を聞いても痛々しかった。
「アツヤのフォワードは完璧なのに、僕のディフェンスは完璧じゃない……パスも上手く繋がらないし、相手のシュートを守りきることもできない……こんなんじゃ僕、父さんに顔向けできない」
 士郎は堰を切ったようにどっと吐き出すと、俺のユニフォームの裾を引っ張って背中に顔を埋めた。泣いているのか、と思ったがそうではなかった。こう見えて士郎は強情だからこんなところで泣いたりしないことは俺自身がよく分かっている。
 そして俺は少し安堵した。士郎が話してくれたことに対しても、士郎が悩んでる内容に対しても。それなら言ってくれれば、もうとっくに解決していただろうに。俺はなるべく士郎の精神を刺激しないように言葉を選んで話し出す。
「あのな、士郎」
「……うん」
「いつだって俺は、士郎のディフェンスを頼りにしてるんだ。士郎が失敗したと思っても俺は全然気にしてないし、今できなかったら次できればいいんだから」
「……うん」
「それと、士郎が思ってるほど俺だってまだ完璧じゃないから、これからも二人で頑張ろうぜ!」
 な、と念を押すと士郎はようやく俺の背中から顔を離した。やっと生気がが戻った瞳の縁に、みるみるうちに涙が溜まっていく。無言で士郎の背中に手を回してやると、士郎は俺の腕の中で泣くだけ泣いた。


あははって言ってみな。きっと笑える


 その後見れた久々の士郎の笑顔に、俺の口元も自然と綻んだ。





image song:No Logic/ジミーサムP
企画「稲妻曲XI番」さまに提出
title by 星屑の終焉


2011.3.27 修正
2019.3.11 修正


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