きっかけさえあれば。
俺はいつもそう思う。きっかけさえあれば。
一週間前、俺はそのきっかけを手に入れた。あいつに話しかけるきっかけを。だが、今度はまた別の問題が頭を擡げる。
……どうやって、なんて言えばいい?
『映画の二枚組のチケットがあるんだけど、一緒に見に行かないか?』
頭を捻って考え出した言葉はこうだ。
文字にすればたったこれだけの内容なのに、なぜか俺はずっと言い出せないでいた。
かくいう今日は金曜日。チケットの有効期限は、次の日曜日。
要するに今日渡さなければせっかくのきっかけが水の泡になってしまう。
……でも、どうやって?
考えれば考えるほど行動に移しづらくなって、とうとう何も言えないまま帰宅の時間になってしまった。
それでも、渡さなければ、渡さなければ、そう考え込んでいると、ぱん、と誰かに肩を叩かれた。
「どうしたの風丸くん」
「うわっ、ふ、ふ、吹雪!」
驚いてその顔を見る。
にこにこと目尻を下げて笑う彼は、俺が今までずっとチケットを渡そうと思っていた本人だった。
「あれっ、なにそれ」
吹雪は俺の肩の上から俺が手に持っているチケットを見ようとした。
か、顔が、近い。
「こ、これ、映画のチケットなんだ」
「見せて」
吹雪はひょいっと俺の手からチケットを奪った。
「あ、これ!」
吹雪の声が高くなる。僕、すごく見てみたいんだよね、これ。
「じゃ、じゃあ……見に行かないか、一緒に」
ややつっかえつっかえではあったが何とか口にすることができた。案外、あっさり。
「え、いいの?」
先ほどから吹雪の目はきらきらとしていたが、今はさらに輝いている。
俺が頷くと、
「風丸くんって、てっきりこういうのは女の子誘って行くんだと思ってた」
と言った。
「それは吹雪の方だろ」
そんなことないよ、じゃあ、一枚もらってくね、また明日。吹雪はそう言って帰り道を走り出した。
俺はたまらず声をかける。
「ふ、吹雪!」
「なあに、風丸くん」
「……いや、なんでもない」
一緒に帰らないか、俺はなぜかその言葉を飲み込んでしまった。
吹雪は、変なの、風丸くん。そう言って、でも笑顔で手を振って帰っていった。
俺も手を振り返す。吹雪が見えなくなると、ため息をついた。安堵と、情けなさの両方で。
一歩進んだと思ったら、次を踏み出そうかまた迷ってしまう。
でも、ひとまずこれでちょっとは前に進めたかな。重要なのは、明日だ。
翌日、俺と吹雪は映画館前で落ち合った。
「楽しみだね」
吹雪の顔がいつもより綻んでいる。
「ああ」
そう答える俺の顔も、実は締まりがないのかもしれないが。
映画自体は面白かった。吹雪はずっと見たかった、と言っていたわりにはなかなか怖がっていた(そう、俺たちが見たのは最近有名なホラー映画だった)。
なにか出てくるたびに大げさに怖がったり、時には俺にしがみついてきたりして、俺も別の意味でどきどきしていた。
「はあ、面白かったね」
映画館を出て、俺たちは出店でクレープを買って食べながら道を歩く。
「そういう割には怖がってたんじゃないか?」
「そっ、そんなことないもん」
俺がからかうと吹雪は頬をぷくっと膨らませてぷいと横を向いてしまった。そんなところが実に可愛らしい。
俺はなんだか拍子抜けしていた。なんだ、話をするって意外と簡単なんだな。
今まで、きっかけがあれば、なんてうじうじしていた自分がいかに無駄な時間を過ごしていたかということがよく分かった。
そんなことで悩むくらいなら、他愛ない会話でもいいから、少しでも距離をつめようと努力した方がいいに決まってる。
……い、今なら。もう少し、踏み出してみてもいいんじゃないか。
空いている吹雪の右手を握ろうと俺は左手を伸ばした。
あと少しで触れる――というところで突然吹雪がこちらを向いた。
「ねえ、風丸くん」
「うわっ、な、なんだっ吹雪!」
吹雪は目を丸くして俺を見る。そしてまたこう言うのだ。
「変なの、風丸くん」
くすくす笑う吹雪につられて、俺も笑ってしまった。
企画「はりけーん!」さまに提出
2011.3.27 修正
2013.10.7 修正