生存設定





 午後三時のおやつどき。俺はるんるんしながら冷蔵庫のドアを開ける。しかしそこには、俺が食べるはずだったプリンの姿はなかった。俺は何も言えずその場に立ち尽くす。するとトコトコと後ろから士郎がやってきた。
「あれ、どうしたのアツヤ?」
 俺は疑いの目で士郎を見た。するとそこに証拠はあった。
「……士郎、俺のプリン食ったか」
「うん、食べたよ」
 そうにこっと笑い首を傾ける我が兄。その口元についているのはまごうことなきプリンである。
「あれ俺のだって何回も言っただろ!」
 いつもなら兄のその笑顔に折れてしまうのだが、今回は別だ。俺の小遣いはたいて買った限定品なんだぞ。
「だ、だって……食べたかったんだもん」
 いつもと違う俺の様子に気が付いたのか、士郎は弁解するように言うが今の俺には逆効果だ。俺は士郎の手首を掴んで、体ごとぐっと壁に押しやる。
「ちょ、痛いっ……アツヤ!」
「兄貴、そう言って前も俺のモン結構食ったよな?」
 俺は士郎の手首を掴む力をさらに強めた。
「だからって、ここまでする……?」
 涙目で訴える兄に俺はとうとう怒鳴った。
「毎回毎回やられてちゃかなわねぇよ!」
 そう言い捨てて、俺は兄貴を突き放して家を出た。俺だって、あのプリン食いたかったんだよ!

 すぐ家に戻る気にはなれなかったから、俺は走って走って、とりあえず烈斗の家に行くことにした。インターホンを鳴らし、返事も聞かずドタドタと上がり込む。二階の烈斗の部屋に行くと、烈斗は椅子に座り、机に足を投げて雑誌を読んでいた。
「……烈斗!」
「うわあああ」
 俺が呼ぶと烈斗は大袈裟に驚いて椅子から落ちた。俺が手を貸して起こしてやると、烈斗は俺に聞いた。
「急にどうしたんだよアツヤ」
「……兄貴と、ケンカした」
 烈斗から視線を逸らして言うと、烈斗はひとつため息をついて、俺に座るよう勧めてくれた。
「なんで?」
 俺がクッションに座ると、烈斗は単刀直入に聞いてきた。その特に俺たちを心配する様子も、深くは詮索する様子もない口調に俺は安心して経緯を話すことができた。烈斗は聞きながら俺が話しやすいように適当に相槌を打っている。だから俺はいつも兄貴と何かあるとこいつに話を聞いてもらう。話して毒を吐いてしまえばたいてい冷静さは戻ってくる。今回もそうだった。
「そろそろ帰ってあげたら」
「……そうだな」
 俺の話を聞き終わってしばらくすると烈斗は言った。俺ももう士郎を許していたし、何より自分の行動が浅はかであったことを反省していた。
 なんでこんなに感情的になっちまったんだ俺。たかがプリン一個食われただけだ。いつか士郎に何か奢らせればいいだけの話だろ。俺は立ち上がり烈斗の部屋を後にする。
「ありがとな」
「ああ」
 烈斗はもう他人の喧嘩に興味はないという風に、また雑誌を読み始めた。

 烈斗の家を出て、家への道を歩く。いつの間にか結構時間が経っていたようで、日が暮れ始めている。初秋の夕風は少し肌寒い。公園を通り過ぎた辺りで俺のケータイが鳴った。見ると、士郎からのメールだった。
(何だろ……)
 その文面には、こうとだけ書かれていた。

『早く帰ってきて』

 絵文字もなにも飾りのない、士郎の気持ちそのままの文面である。俺は「悪かった、すぐ帰る」と返信しようとしてメール編集画面を開く。すると、士郎からのメールにはまだ続きがあった。長い長い改行の後に、小さく控えめにこう書かれていた。

『君のプリンを食べたのは僕ではありません』

 思わず笑みが零れた。今さらこんな下手くそな嘘つかなくたって、俺はもう怒ってなんかねえよ。どうしようもなく愛おしさが湧いて、俺はメール編集画面を閉じて士郎に電話をする。

「もしもし」

 早く帰ってその顔を見たくて、走る俺の足音は弾んだ。


甘味奪取注意報





●士郎のメールの一部を星屑の終焉さまからお借りしました


2011.3.27 修正
2019.3.11 修正


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