生存設定





 夕暮れ。部活を終えた帰り道。士郎とアツヤは川沿いの道を歩いていた。

 今日の部活はミーティングから始まり、その後に軽くパスの練習をしただけだった。いつも部活が始まってから下校時刻ギリギリまで、ずっとボールを追いかけているアツヤには今日の練習は物足りなかったようで、彼は不満気に呟いた。
「……蹴り足んねえなあ」
 その言葉を聞いて、士郎は苦笑する。
「まだ練習するの?」
「別にいいだろ? ……おらっ」
 掛け声と共にアツヤは河川敷に飛び降りた。見れば、早速ボールと戯れている。

 楽しそう。

 士郎は土手に座りながら、アツヤがボールを蹴る姿を見てそう思った。アツヤは本当に楽しそうにボールを蹴る。それはそうだ。相手の動きも考えなくてはならないパスの練習より、自分の好きなようにボールを操ることができる方が、楽しいに決まってる。

 士郎はしばらくアツヤを眺めていたが、ふと上空で何かが光ったような気がして、空を見上げた。
 さっきアツヤと歩いていた時には見えなかった、いくつかの星が姿を現している。
士郎はボスッと後ろに倒れ込んだ。草が刺さってちくちくするけれど、それは気にしない。
 アツヤがボールを蹴る音が聞こえる度に空は暗くなって、見える星の数は増えていく。
目を閉じてゆっくり息を吸うと、周りに生えている草の青い匂いと、夜独特の甘く芳ばしい匂いがした。耳を済ませると、アツヤがボールを蹴る音や土を踏む音の他にも、虫が鳴いている声や、川がさらさらと流れる音も聞こえる。
 気持ちいい、な。丁度良く吹いてきた風に頬を撫でられて、士郎は目を閉じたまま静かに微笑んだ。

「何してるんだ?」
 しばらくその音と匂いを堪能してから目を開けると、もうボールを蹴ることには満足したのだろうか、ボールを小脇に抱えたアツヤが士郎を覗き込んでいた。
「アツヤ」
 士郎はアツヤが隣に座り込んだのを見て、軽く上体を起こす。
「……星が綺麗だなあ、って」
「確かに」
 士郎に言われて、アツヤは夜空を見上げた。そして、ボールから手を離して、士郎と同じように寝転がった。士郎も両腕の力を抜いて、また仰向けになる。
 アツヤが手離したボールは、ポン、ポン、と軽やかな音を立て、坂を跳ねて転がっていった。
 二人は同じ体勢で、しばらく何も言わずに夜空を見つめ続ける。
 とうとうボールが跳ねる音がしなくなった。先ほどのアツヤようにボールを蹴っている人もいないので、辺りはとても静かだった。余りにも完璧な静寂で、虫も鳴くことを忘れてしまったようである。

 街から遠く、あまり明かりが届かないここでは、見事なまでの満天の夜空を見ることができた。空を覆う静かな黒は滑らかで、気を付けていないと、今にも吸い込まれてしまいそうなほどだ。
 士郎は思わず、一つの星を掴んでみたいと手を伸ばした。だが、その手は徒に虚空をかき回すだけに終わる。そんな士郎をからかうように、風が吹き抜けていった。

 今手を伸ばしてみて改めて分かった、星たちとの無限の距離。こんなの、届くはずがないよ。どうして“手を伸ばせば届きそう”とか言うんだろう。あんなに遠いところに手が届かないのなんか、既に分かりきったことなのに。

 は、と短く息を吐いて士郎が下ろしかけた手を、突然、アツヤが握った。
 その力は収まらない。お互いの指の間に指を絡ませて、固く、強く、離れないように。離さないように、しっかりと。
 思わずアツヤの顔を見ると、力強い輝きを湛える星が二つ見えた。
 士郎も負けじとアツヤの手を握り返す。手の平で二人の鼓動が重なり合って、そこに確かな熱が生まれる。士郎は何とも言えない、満ち足りた気持ちになった。
「あったかい……ね」
「だろ?」
 士郎の手を握りしめたまま、アツヤは満足げに微笑んで目を伏せる。
 今や手の平の熱は士郎の体中に巡っている。僕のだんだんと速くなっていく鼓動も、君の鼓動も同じ速さだから、もし、もしこれが同じ気持ちだったら、それはすごく嬉しいなあ。


星を


 そうだ。たとえ夜空に輝くあの幾億の星たちが、どんなに熱く燃えていようとも、その温度はちっとも僕に伝わらないのだから、そんなのこっちの知ったこっちゃない。今僕の隣に確かにあるこの温かさは、僕にしっかりと伝わる、君の生きている証は、僕にとってたったひとつの、そう、手の届く星なんだ。





9/9 アツシロの日!


2012.9.9


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