季節は紛れもなく、秋。

 綺麗な茜色に染まった空を背に、士郎は帰り道を歩いていた。道端の草木は風に揺れ、さわさわと心地良い音を辺りに響かせている。
 士郎はふと足を止め、その音に耳を澄ませた。そしてそこにしゃがみ込み、近くに生えていた草を引っこ抜く。
 そこまでやってはっと気がついた。
 ――珍しいな、何をしているんだろう、僕は。
 あまりにも壮麗な景色に、何故か童心が蘇ってきたのだ。
 遠くで少年たちが遊び戯れている声が聞こえる。その声に士郎は自分が小さかった頃の思い出の数々を重ねてみた。
 するとなんと、向こうの方から「兄ちゃん」と自分を呼ぶ声が聞こえるではないか。
 驚いてはっと顔を上げると、視線の先にはえのころぐさを片手にこちらに手を振る幼い我が弟が見える。
「アツヤ!」
 そう叫んで、思わずアツヤに駆け寄っていた。なんだかだんだん、体が小さくなっていくような気がする。

 士郎がアツヤの隣に並ぶと、背丈はアツヤと同じになっていた。
 どうしてアツヤがこんなところに? と、ぽけーっとしていると、アツヤは乱暴に士郎の手を引っ張った。
「わっ、なにするのっアツヤ!」
 士郎はアツヤの突然の行動を咎めるが、アツヤはおかまいなしに歩き始めた。そして、アツヤは歌を歌い始める。
 士郎は最初はむすっとしていたが、アツヤが歌う非常に優しくどこか愁えを覚えさせる旋律が、自分も歌えるものだと分かると、一緒に歌い始めた。
 士郎も歌い始めたことにアツヤが気付くと、不思議そうな顔で士郎に聞いた。
「あれっ、兄ちゃんも知ってたっけ、この歌」
「うん、僕もアツヤも大好きな歌だよ」
「そっか」
 士郎の答えに満足したようで、アツヤは士郎に向かってにかっと笑った。
 あれ、僕の弟はこんなに可愛く笑うものだったかしら、と士郎が思案に耽っていると、アツヤは次にこう言った。
「あっ、見て見て兄ちゃん! すごくいい天気だよ、サッカーやろう!」
 そんな馬鹿な、と思って空を仰ぐと、先ほどとはうって変わって、抜けるような秋晴れの青空が広がっていた。
 アツヤに視線を戻すと、二人はいつの間にかサッカーフィールドに立っていた。
「そらっ」
 アツヤが蹴った力強いボールが士郎に向かって飛んでくる。すんでのところで士郎はそれを蹴り返し、二人はしばらくボールとじゃれ合った。

「あっ」
 ボールを蹴ろうとしたアツヤが突然バランスを崩し、ぺたりとしりもちをついてしまった。
「アツヤ、大丈夫?」
 心配した士郎がアツヤに駆け寄ると、アツヤは体のそこらじゅうを砂埃だらけにしながらも、
「へへっ、楽しいね、兄ちゃん」
 とこれまたにかっと笑うのだ。その笑顔に、士郎は心を抉られたような気分がした。

 この笑顔は、もし君が生きていたら――

 そう気付いた瞬間、フィールド中に強い風が吹き始めた。
 あっという間に視界は煙り、近くにいたはずのアツヤの姿すら見えなくなる。
「アツヤ! アツヤ!」
 必死でその名前を呼び腕を振り回すが、小さい士郎の体ではどうにもならない。
 とうとう士郎の視界も完全にぼやけて――





 ピピピピ、ピピピピ……

 規則正しい電子音が起床の時間を知らせる。士郎はアラームを止め、むくりと起き上がった。
(……夢か……)
 さっきまでの光景が夢であったことに士郎は驚き、あれは夢であったという安心感と、アツヤがいないという虚無感の両方に苛まれる。
 しかしもう家を出る準備をしなければ、練習に遅れてしまう。
 急いで着替え鞄を肩にかけて部屋を出ようとすると、
「兄ちゃん」
 と声が聞こえたような気がした。
 士郎は驚いて振り返った。さすがにアツヤの姿は見つけられなかったが、士郎は口元に笑みを浮かべる。
「行ってきます、アツヤ」
 士郎がそう言うと、カーテンが呼応するように風に揺れた。
 家を出て見上げた空は、夢で見たのと同じ青い空だった。


埋もれ合ってユートピア


2011.3.27 修正
2013.10.7 修正


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