「あの穴ぼこ山の中に書いた相合い傘のこと、覚えてる?」
 彼女は突然僕にそんなことを聞いてきた。僕は頷く。もちろん、忘れるはずがない。幼い頃、君と二人で公園の穴ぼこ山の中にこっそり釘で書いた相合い傘。僕は幼いなりに大胆なことをしたものだなあ、と目の前の愛しい彼女を見て思う。
「どうしたの、急に」
 僕は読んでいた雑誌から目を上げて彼女を見る。彼女は俯いていて、下から見上げても表情がよく分からない。彼女はゆっくりと僕の隣に座ると、僕の肩に頭を預けてきた。
「ううん、士郎が覚えてるか聞きたかっただけ」
「そう」
 彼女の答えを聞いて僕はまた雑誌に視線を落とす。そして、それを読むフリをして考え込まざるを得なかった。なぜかって、今までこんな風に彼女から僕に甘えてくることがなかったからだ。

 彼女が今どんな気持ちで、何を思いさっきの問いを僕にしたのか、僕には全く見当がつかない。見当がつかないのだから、考え込んでもしょうがない。僕はそっと右手を伸ばし、いつも彼女にするように優しく彼女の頭を撫でる。そうしたら少しは何か分かるかなと思って。すると、彼女はさらに僕にすり寄ってきた。
 どうしちゃったのさ、ホント。
 ぽかりと浮かんできた疑問は、つい口をついて出てしまっていたらしい。
「……不安に、なっちゃったの」
 彼女は相変わらず僕の肩に顔を埋めているから、その表情は分からない。だけど、不安だと言うか細い声と、小刻みに震えている小さな肩は、どう見ても何かに怯えているようだった。
「何かあったの」
「……ううん、そういう訳じゃなくて」
 僕の服を掴み肩に顔を埋めたまま首を振る彼女は今にも泣き出しそうで、どうにか彼女の気持ちを宥めてあげられないものかと僕は考えた。だけど、僕がいい案を思いつくより先に彼女がぽつりぽつりと話し始めた。
「……あの、ね……本当に、私が、士郎の隣に……いていいのかなって……、士郎には、もっと似合う子が、いるんじゃないかって……考えたら、不安になっちゃって……」
 そこまで言うと、彼女は静かに泣き始めた。
 僕は驚いた。彼女が泣いてしまったことにももちろん驚いたけれど、それ以上に彼女が口にした胸の内に驚いた。彼女がそんな風に思っていたなんて、初めて知った。僕は君の彼氏なのに、情けないな。そう思うと同時に、どうして彼女があの問いをしてきたのかがやっと分かった。

 ……あの、あのね……。きみに、きいてほしいんだ。

 僕は彼女の手を取り、彼女の目を真っ直ぐ見つめる。僅かに赤くなり、潤んだ瞳と目が合った。
「あの時した約束、覚えてる?」
「……!」
「……僕は忘れてない。だから今、君とここにいる。僕の一番は、昔からずっと君だけだ」
「士郎……」
「でも、聞いて欲しい。僕は君を大事にしたい。中途半端な約束で、君を傷付けたくないんだ。だから、今はまだ言えないけど」
 いつか僕がちゃんとした大人になったら。
 僕はそこまで言うと口に人差し指を当て、彼女に笑いかける。それを見た彼女の瞳から最後の涙がきらきらと宝石のように輝いて転がり落ちた。


今はまだ言えないけど、いつか言うよ


『ずーっとずーっといっしょにいて、しあわせにしてあげるからね!』





企画「くちびるに魔法」さまに提出


2011.3.27 修正
2019.3.3 修正


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