合宿所の風呂場から出ると、隣にある女湯のドアの前で耳をそばだてている一年の群れに出くわした。
 何が目的かは知らないが、どうやらマネージャーの名前が風呂に入っているのを知って、ドアに張り付いているようだ。快彦なんか明らかに顔が赤い。さすがにこれは風呂に入って温かくなった所為だけではないだろう。
「おい、お前ら何してんだよ。ここで何かあったら木戸川清修中学校サッカー部から合宿行事どころか、ホーリーロードへの出場権が消えるんだぞ」
 さっさと今日の反省して寝ろ、明日も朝から地獄メニューだぞ、そう脅しをかけると、一年はすごすごとその場を後にした。

 さて、一年を追い払ったはいいものの、名前が浴室の中にいるというのなら、自分もつい気になってしまうのが実のところである。
 少しの間ここにいるくらいならいいだろう、別に名前に何をするわけじゃないし、と心の中でそう言って、俺はそこに佇むことにした。

 あまり長くそこにいるつもりはなかったが、長居というものはついついしてしまうものだ。
 風呂場の中から聞こえる音は、嫌でも名前が風呂に入っている様子を俺に想像させる。柔らかいスポンジで体を洗って、鼻歌を歌いながら頭を洗って、最後は肩までゆっくり湯船に浸かる――
「跳沢、何してるんだ」
 背後から突然声を掛けられて、掛け値無しに俺の体はびくりと跳ねた。
 咄嗟に振り向くと、和泉が呆れたと言わんばかりに腕を広げて立っていた。
「まさか言いつけを忘れたわけじゃないだろ? ここで何かあったら木戸川清修中学校サッカー部から合宿行事どころか、ホーリーロードへの出場権が消えるって」
「んなこた言われなくても分かってら! それよかいきなり後ろから声掛けんなって!」
「いや、女湯の入り口に佇む跳沢の様子が、いかにも名前に何か起こしそうだったから……」
 やましいことでも考えてたんだろ? と言われ、思わず、そんなんじゃねえよ! と食ってかかる。さっきの想像のどこがやましいんだか……。
「ちょっと、うるさいよ」
 いつの間に出てきたのか、言い合いを続けていた俺と和泉の前に名前が立っていた。普段一つにまとめている髪の毛が下ろされていて、いつもと全く違った印象を受ける。
「お風呂上がったんならさっさと部屋戻って明日の準備しなよ。ここで何かあったら木戸川清修中学校サッカー部から合宿行事どころかホーリーロードへの出場権が消えるんだから」
 肩に掛けているタオルで髪の毛の水分を拭き取りながら名前は言う。その動きと同時に名前のシャンプーの甘い匂いが辺りに舞った。
 その匂いに圧倒された俺は、これは早くここを立ち去って部屋に帰らないと深夜まで悶々とする羽目になると悟った。和泉に早く戻ろうと言おうとすると、何も言わずただにやにやしている和泉と目が合った。
「あ、跳沢、お風呂上がったばっかりなの?」
 ふざけんな和泉! と叫んで殴りかかろうとしたところ、名前の言葉に遮られた。
「……ああ、そうだけど」
「ちゃんと髪の毛乾かさないと風邪ひくよ?」
 明日も朝から地獄メニューなんだから、調子悪くちゃやってけないよ、と言う名前の声が、わずかばかり遠い。
 突然視界が白いものに覆われたから何事かと思ったが、どうやら名前が、名前の使っていたタオルで、俺の頭を拭いてくれているようだった。

 ……いや、それは、つまり……?

 タオル越しに伝わる名前の手の感触や、先ほどから辺りに漂う匂いがさらに濃くなった甘い匂いの所為で、一気に頭に血が上った。
 それらは俺のチャチな想像なんかよりはるかに生々しくて、嬉しくもあって――
 何故だか遠のいていく意識の中で、俺を上から覗き込む名前と和泉の顔が見えた。その名前の心配そうだけどどこか優しく笑っている顔と、和泉の相変わらずにやけた顔に、またさらに頭に血が上って、その後は、朝までまるで記憶がないのだ。


再起不能機器


2014.9.15
2019.3.3 修正


- ナノ -