「いくぞ、跳沢!」
「おう!」
「清水、止めるぞ」
「よっしゃ!」
 和泉と清水が相手の進路を塞いで素晴らしい守備を見せたのにも関わらず、総介と跳沢はその間をかいくぐって、見事な連係プレーでシュートを決めた。その途端、体育館が歓声で騒がしくなる。中には、女の子の「かっこいい!」なんて声も混ざっていた。
 サッカー部は、何やらせてもサマになっちゃうし、目立っちゃうね。私は軽く息を吐きながら、そう思った。
 
 今は、体育の授業中で、バスケをやっている。サッカー部の人たちはなかなかセンスがよろしいから、大抵のスポーツであれば難なくコツを掴んでプレイしてしまう。すごいね。ただのマネージャーである私には、到底真似できない業だ。
 未だに大声援を受け、活躍を続けるサッカー部の四人を見て、私は、何か足りないな、と思った。そう、一人、足りないような……。私は人が入り乱れているコートの中を見回す。すると、ゆらりと揺れる、青色の髪が目に入った。
 ……あ、そうか、貴志部だ。あの四人の中に、貴志部がいなかったんだ。でも、どうしたんだろう、なんだか動きがふらふらしてる。
 そんな貴志部の様子が気になって、もう少し貴志部を見ていようと思ったけれど、私のチームの休憩時間が終わったようで、私は名前を呼ばれて、試合に出ることになってしまった。スポーツはさして得意なわけじゃないけど、私も自分の試合に夢中になってしまって、この授業中、あれ以降、貴志部を気にかけることはなかった。
 
 授業後、制服に着替えて更衣室から出ると、未だに着替えもせず、壁にもたれて座り込んでいる貴志部が見えた。
 ……なんか、息、苦しそうじゃない? 顔も赤いし。
 私は慌てて貴志部に駆け寄る。私に気付いたのか、貴志部は顔を上げるけれど、その視線は何だか虚ろで、どこか違うところを見ているようだった。
「ねえ、大丈夫?」
 私は貴志部にそう訊いてすぐ、我ながら馬鹿な質問をしたと思った。今のこの貴志部の様子は、誰がどう見たって大丈夫なんかじゃないし、貴志部はどんなに調子が悪くたって、「大丈夫?」って訊かれたら「大丈夫」って答えるに決まってるから。案の定、貴志部からは「大丈夫だよ」と返ってきて、思わず、ふざけるな、と貴志部を打ちそうになってしまった。
「……ちょっとごめん」
 その打ちたい気持ちを抑えて、私は貴志部の額に手を当てる。……うん、十分熱いよね、これは。
「ねえ貴志部、アンタ熱あるよ」
「ああ……なんか今日は調子が悪いなと思ったら……」
 私は盛大にため息をつく。貴志部は何でも一生懸命やろうとするから、今日は体の調子が悪くて上手くいかないはずなのに、上手くいかなくて当たり前なのに、今日は何か上手くいかないな、って思って、余計に頑張っちゃったんだろうな。だからこんな状態になっちゃったんだ。
 ……普通は、自分の体調くらい、自分で分かるもんだと思うけど、貴志部の場合、頑張ることの方に意識が行っちゃったんだろう、きっと。だけど、この状態だと、保健室に連れて行って、寝かせてあげなきゃかわいそうだ。それに、もうじき部活の始まる時間だし、どうしようか。
 そう思ったとき、ちょうどサッカー部のみんなが、着替えを終えて更衣室から出てきた。今の今まで気付いていなかったのか、貴志部の様子を見て、みんな驚いたようだった。
「貴志部、どうしたんだ」
「熱あるから……保健室に連れて行こうと思ってたんだけど」
「……分かった」
 じゃあ俺たちが連れてくな、貴志部の荷物も持ってこなきゃだよな、あ、着替えもか、とみんなの対応はとても早くて、あれよあれよという間に貴志部はちゃんと保健室に連れて行かれることになった。
 貴志部が総介と跳沢に肩を担がれて、ふらふらと保健室に連れて行かれる様子を見て、私は何故かとてもつらくなってしまった。そのまま居ても立ってもいられなくなって、和泉と清水に「照美監督に、貴志部部活出られないって言ってくる!」と叫んで、私は走って体育館を後にした。
 走ってる間に、ちょっと鼻の奥がツンとしたのは、風が目に沁みたからだよね、そうだよね、きっと。
 
 照美監督に貴志部のことを話して、一度教室に戻って自分の荷物をまとめてから保健室に向かった。保健室の前で、貴志部の荷物を持った和泉と清水とちょっとした話をしていると、総介と跳沢が中から出てきた。
「貴志部、どうだって」
「アイツ大したことないって言い張るんだけど、念のため薬飲まして寝かしといた」
「分かった、ありがとう」
 一体何が「大したことない」なんだか。同じサッカー部の部員の手前、弱い自分は見せられないと思ってそう言ったんだろうけど、そこまでして意地を張らなきゃいけないものなのか。つらいならつらいって、ちゃんと言えばいいのに。
 もう部活が始まるから、みんなには先に部活に行ってもらった。私は和泉と清水から貴志部の荷物を受け取り、保健室に入った。
 
 保健室の中に、一つだけカーテンの閉められているベッドがあった。貴志部が寝てるのはそこだな。私はそのベッドに近付いて、カーテンの隙間から顔を出した。
「……貴志部?」
 私のその呼び掛けが貴志部に届いたのかは分からない。貴志部は微かな寝息を立てて寝ていたから。飲んだ薬が効いたのか、さっきよりも幾分呼吸は楽そうだ。
 私はベッドの端に腰掛けて、貴志部の顔を見る。差し込む陽の光のせいか、貴志部の顔は赤く見えた。さすがにまだ熱は下がってないんだろうな。寝ている貴志部の様子を見て、またちょっと鼻の奥がツンとした。違う違う。私は首を横に振る。これはきっと、保健室の匂いのせいだ。
「荷物、置いとくよ」
 私はもう部活に行くから、そう言って立ち上がったは良いものの、スカートの裾を引っ張られて、私はそれ以上動くことができなかった。
 ――誰に?
 そんなのここに一人しかいない。私は振り向く。寝ているはずの貴志部のその腕が、私に向かって伸びていた。貴志部、起きてたの? ……いや、それ以前に、私のスカートを引っ張らないでよ!
 貴志部の手は一向に私のスカートを離そうとしないから、私は仕方なく、またベッドの端に座るしかなかった。
「どうしたの」
 私は貴志部に訊いた。私の問いから少しの沈黙の後、私の腰元に、遠慮がちに二本の腕が巻き付いた。
 その貴志部の今の様子と、控えめな動作の割に、しっかりした腕。それを意識した途端、私の顔にばっと熱が集まる。
 そして、この貴志部に腰に抱きつかれた状態のまま、
「もう少し、ここに居てくれないか……」
 と細い声で頼まれてしまえば、もう折れてここに座り続けるしかないじゃないか。
 
 貴志部は安心したのか、また微かな寝息を立て始めた。ああ、これじゃあ動けない。部活に行けないじゃないの。私は貴志部を起こさないように気を付けながら、カバンからケータイを取り出して、部活遅れます、と打って送信した。
 はあ。ケータイを閉じて、私はため息を吐く。みんなを待たせてることだし、早く部活に行きたいんだけどなあ。貴志部はすっかり寝入ってしまったようで、私を離してくれる気配が全くしない。
 ……大丈夫、大丈夫。これ以上はないってくらいに赤くなってる私の顔は、貴志部には見られてないし、破裂しそうなほど鳴り響いている私の心臓も、貴志部には知られてないから。
 余りにも恥ずかしすぎて、本当は貴志部を起こしてでも、早く離れたかった。そうじゃないと今にも死んじゃいそうだ。でも、貴志部に抱きつかれているこの状況も、さして悪くない、まだまだこのままでいたい、とも思えてしまうから質が悪い。
 普段はすごく頑張り屋で、人一倍努力家な貴志部の、こういう面を見れたことは、今の貴志部に熱があるからかもしれないとはいえ、もしかしたらすごいことなんじゃないかと思うし、そんな貴志部を、まだまだずっと近くで見ていたいんだ。
 未だに早鐘を打ち続ける心臓を押さえて、私は大きく息をする。
 貴志部本人は、私にこういうことをしたっていうのを、覚えていてくれるだろうか。
 もし、覚えていないというのなら――覚えてられてたら困るから、絶対訊いてなんかやらないけど! ……なんで困るかって? 恥ずかしいから! ――今日のことは、ずっと、ずっと、私の中だけで秘密にしておくんだ。


きみは真っ直ぐすぎるから





企画「キャプテン!」さまに提出


2013.2.28
2018.12.2 修正


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