「バブルスプレッド!」
 止めの一撃を食らわすと、ダークロイドは断末魔の叫びを上げて消えていった。ディメンショナルエリアが消えると、外からバトルチップゲートで援護してくれていた炎山が駆け寄ってきた。
「よくやったな」
 彼は目を細めてそう言い、その手を私の頭に載せた。

 そこで私の思考回路は一旦止まる。

 次に気が付いた時に見えたのは、ズボンのポケットに手を突っ込んで立ち去る炎山の後ろ姿だった。情けなくなるくらいどきどきと高鳴る胸を左手で押さえ、必死に息を整えながら、空いた右手で先程炎山が撫でてくれた所にそっと触れてみる。驚くほど鮮明にあの感触を思い出すことになった。どうしよう。今さら頬がかあっと熱くなる。
「(私、炎山に頭撫でられたんだ……)」
 そう気付いて、さらに息が苦しくなった。先に歩いていった炎山の後ろ姿はもう見えなかった。科学省に戻ったのだろうか。今さら追いかけるのも気が引けたから、私はなんとなく心が締め付けられるような思いを抱えながら家に帰った。

 家に着くとすぐにパソコンを立ち上げてとあるデータファイルを開く。いつどんな敵が襲ってくるか分からないからと、炎山の代わりに戦う私に炎山が敵の情報をまとめたデータファイルをくれたのだ。いつもはそれを見ながら、そいつとどう戦うのかイメージトレーニングをするのだけれど、今日は何故か上手くいかない。
「(あ、これ……)」
 とあるナビのグラフィックを見て、
「こいつは動きが素早いから、こっちも発動が早いソード系の武器で攻撃しろ。その分相手に接近することになるから、気をつけろ」
 と炎山が教えてくれたのを思い出した。私はいつの間にか机に突っ伏していた。どうしよう。もうこんな夜中なのに、会いたくてたまらないよ。そしてまた、あの手の感触が蘇るのだ。

 翌日、私はもうコピーをとったから、とそのデータファイルを炎山に返すために科学省に行った。
「ありがとう、役に立ったよ」
「そうか、それなら良かった」
 データファイルを返すなんて、半分は炎山に会うための口実だ。ちゃんとコピーをとってはあるから、もう半分は嘘ではないけれど。それでもやっぱり、何とかして炎山に会いたかった。事実、あれだけの短い会話で心が溶けてしまいそうになるほど嬉しくなった私がいる。
 寝不足なのか、少し疲れ気味だけどテキパキと仕事をこなす炎山に、かっこいいなあと見惚れてしまう。だからこそ、気になった。気遣ってあげたかった。
 ちょっとは休んだらとか、息抜きにお茶に行こうよとか、言ってあげられたら良かったのに。もしかしたら炎山には余計なお世話かもしれない。この忙しい時になぜ、と言われ嫌われてしまうかもしれない。そう思うと怖くて言い出せなかった。
 でも、炎山が時折見せる辛そうな顔を、私はもう見たくなかった。好きな人には、いつでも笑顔でいて欲しかった。私は、無意識に炎山の腕を掴んでいた。
「……どうした」
 炎山の怪訝そうな声が聞こえて、私ははっとして慌てて手を離した。どうしよう、顔が熱い。こんなに至近距離で炎山に見つめられていると分かって、顔が上げられない。
「う、ううん、何でもないよ」
「……そうか」
 恥ずかしくて下を向いたまま言うと、炎山はまた忙しそうに他の人と話をしながら奥の方へ走って行った。私はフロアの真ん中で泣きそうになった。炎山の邪魔になってしまったかもしれないという後悔と、言い出せなかった自分への苛立ちで。
 ああ、駄目だなあ。
 こんなにも好きなのに、これっぽっちもその気持ちを伝えられない。私はとぼとぼと帰路についた。

 そして私はまたパソコンの前で机に突っ伏している。頭に浮かぶのは、大好きなあの人のことばかり。嫌なことがあっても、嬉しいことがあっても、これだけは変わらない。
 触れた手と腕の温度を思い出して、また顔が熱くなった。私はぎゅっと目を閉じる。ああ、会いたいな。声が聞きたい。そう思った瞬間、私のPETが鳴り出して、私は慌てて飛び起きた。そして、その相手は、
「……炎山?」
 私は危うくPETを落とすところだった。
「……お前の声が聞きたくなってな」
 そう言って彼は目を細め笑う。その笑顔と声に、私の気持ちは高まっていく。さっきまで落ち込んでいたのが、まるで嘘のようだ。


小さな手が織りなすそれは幸福の紋様を描いた


 ああ神様、これは本当のことなのでしょうか。私の心臓がまた、嬉しそうに駆け足を始める。


2011.5.2
2019.3.11 修正


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