午前の日課の終わりを告げるチャイムが鳴ると、ペパーは教室を飛び出した。今日はアオイが午後から校外でポケモンを探したいということで、その前に一緒にピクニックをしようという話になっている。ポケモンを探しに行く前に食事パワーが欲しいらしく、つまるところそれはペパーにサンドウィッチを作ってほしいということであった。
 アオイはなかなかサンドウィッチ作りが上手にならない。食材を鷲掴みして相当な高さからパンの上に落とすのをやめさえすればすぐに上達するだろうに。そう思う一方で、簡単にサンドウィッチ作りが上手くなられては困る自分がいるのも事実だった。マフィティフを元気にするための秘伝スパイス探しの旅も、エリアゼロの冒険も終わって、アオイと一緒に行動する機会が減ってきている今、サンドウィッチを作ってほしいから一緒にピクニックをしようとアオイに誘われるのは、自分にとっても好都合だからだ。
 アオイの元へと向かうペパーの足取りは軽く、階段さえも飛ぶように駆け降りていく。いよいよアオイが授業を受けている教室が見えるところまでやってきた、その時だった。とある女子生徒たちの会話がペパーの耳に入ってきたのは。
「あ、そうだ、例の彼氏くんとはどうなったの?」
「そうそう、この間北3番エリアの灯台のところにデートしに行ったんだけど……」
「おお〜、それでそれで?」
「でね、彼ったらいい景色だしここでピクニックしようって言うんだけど……ねえ、デートでピクニックなんて、って思わない? 子どもじゃないんだからさ」
「あはは、それで結局どうしたの?」
「まあ、その後は……」
 その女子生徒がすれ違いざまに放った言葉は、ペパーの頭をしたたかに打ちつけた。自分に直接向けられた言葉ではない。好き好んで盗み聞きをしようとした訳でもない。学校の廊下というものはクラスメイトや教師や家族のありとあらゆる噂話から陰口までひっきりなしに飛び交っているものだから、ただたまたま耳に入ってしまっただけだ。
 それでも、その威力はまさにデカハンマーで殴られたかのようだった。コサジの灯台の前でアオイと戦ったとき、アオイのデカヌチャンに自分のキョジオーンをデカハンマーの一振りで倒されて、あれは一体どれほどの威力なのだろうと驚いたけれど、なるほど強烈な一撃だったに違いない。効果抜群だし。
 ……いや、問題は技の威力のことではなくて。どうしてよりによってこれからアオイとピクニックをしようという時にそんな話を聞いてしまったのだろう。先ほどまで軽快に弾んでいたはずのペパーの足はじゅうりょくを掛けられたかのように重くなり、気分もずんと沈み込んでしまった。
 念のために補足しておくと、アオイとのピクニックは決してデートではないし、まして自分たちは付き合っている訳でもない。それなのにどうしてこんなにショックを受けているのかというと、それはペパー自身にもよく分からないのだけれど。
 アオイには悪いけど、今日は都合が悪くなってしまった、そう言って約束をとりやめてしまおうか。そう思って踵を返そうとしたとき、
「ペパー!」
 大変運の悪いことに、ペパーを見つけてこれでもかと言わんばかりにきらきらと顔を輝かせるアオイに声を掛けられてしまった。
「お、おう……」
 見つかってしまったのならどうしようもない。ペパーはぎこちなく片手を挙げて答える。
「どうしたの、そんな変な顔して」
「いや、何でも……」
「こっちの授業が終わるの待っててくれたんでしょ、さ、早く行こう!」
 アオイはペパーが今日の予定をキャンセルしようと考えているとはつゆ知らず、先に立ってどんどん歩き出した。ペパーは慌ててそれを追い掛ける。ペパーはペパーで、どれだけ気分が落ち込んでいても、アオイの笑顔の前にあってはそれを無下にすることはできないのだった。

 穏やかな日差しが降り注ぎ、爽やかな風が吹き渡る草原の一角。アオイがポケモンたちを解放し、わいわいとピクニックの準備を進める一方で、ペパーはそこから少し離れた日陰になっているところにある平らな岩に腰掛け深くため息を吐いていた。
 ペパーの心には先ほどの女子生徒の言葉が重くのしかかっている。結局アオイを追い掛ける形でピクニックをしに来てしまったけれど、本当にこれで良かったのだろうか? オレもピクニックが好きとかいうのはアオイに子どもっぽいとか思われているのだろうか? アオイがオレにサンドウィッチを作ってほしいというのなら喜んでそうするし、それでアオイの力になれるのならいいけれど、逆に言えば、オレはアオイに対してそれしかできないのではないだろうか? それはもしかしたらものすごく情けないことなのではないだろうか?
 俯きながらそう考え込んでいると、
「ねえ、ペパーってば!」
 とアオイの声が間近から響いてペパーを思索から引き剥がした。ペパーはアオイの顔が至近距離にあることに驚いて思わず仰け反る。
「な、なんだよ!?」
 無自覚ちゃんか!? とペパーは心の中で叫ぶ。あろうことかアオイはわざわざペパーより低い視線になるまでしゃがみ込み、上目遣いでペパーの顔を覗き込んでいるのだった。
「さっきからどうしちゃったの? ……ね、もうサンドウィッチを作る準備はできてるよ」
 アオイにそう言われテーブルの方に目を向けると、その上には食材や調味料が所狭しと並べられていて、ミライドンを始めアオイのポケモンたちも皆お待ちかねというように目を輝かせていた。
「私、今日ペパーにサンドウィッチを作ってもらうのずっと楽しみにしてたんだ!」
 アオイはペパーの腕を引っ張ってペパーを立ち上がらせる。いつの間にボールから出てきたのか、マフィティフもペパーの後ろから脚をぐいぐいと押してテーブルの方へ向かわせようとするから、
「わー! 分かった、分かったよ! 作ってやるからちょっと待ってろって!」
「わーい! やったー!」
 ペパーは半ば自棄になってその料理の腕を振るうのだった。

「いただきます!」
 ペパーお手製のサンドウィッチを両手で持ち、大きく口を開けていっぱいに頬張るアオイ。ペパーも片手にサンドウィッチを持ってそれにかぶりつく。火力が若干強めになってしまったので、香ばしさ、もとい苦みが少し強い感じがするけれど、これはこれでアクセントになっていると言えるだろう。悪くない味だ。アオイも満足しているというのがその表情で実によく分かる。
「うん、やっぱりペパーが作るサンドウィッチがいちばんおいしいね」
 アオイがそう言って笑顔でぱくぱくと食べ進めていくのを見ながら、ペパーはようやく心にのしかかっていたものが少し軽くなっていくような心地がしていた。
 そうか。他の人がどう思うか、他の人にどう見えるかなんて気にしなくてよくて、自分たちがどうしたいかでいいんだ。ピクニックで喜ぶなんて子どもっぽい、確かにそう言う人もいるだろう。でもアオイが一緒にピクニックをしてほしいと言うなら他の何よりも優先して行くし、アオイがサンドウィッチを作ってほしいと言うならいくらでも作ってあげたい。アオイが喜んでくれるなら自分にとってはそれが一番なのだ。
 でも、あの女子生徒の言葉でショックを受けたのとはまた別に、何か重い気持ちがペパーの心の中にはあった。

「今日はありがとう、また一緒にピクニックしようね」
「おう、ポケモン探すの頑張れよ」
「うん! じゃあね」
 アオイがミライドンに乗って走り去っていくのを見送ると、ペパーはまた深くため息を吐いて右手を額に当てた。
 アオイがオレとピクニックをしたいと言うのはオレにとってとても誇らしく嬉しいことだけど。アオイが見せる表情、アオイが発する言葉、全てが自分に都合が良すぎて舞い上がりそうになってしまう。
 ペパーがあの女子生徒の言葉に衝撃を受けたのは、きっと「デートでピクニックをすること」というよりも「子どもじゃないんだから」という部分の方なのだろう。
 アカデミーの在学歴も、実際の年齢もアオイよりペパーの方が上だ。ポケモンバトルの腕前は既にアオイの方が遥か先にいるけれど、先輩の意地というか、男の矜持というか、とにかくアオイに子どもっぽいと思われたくない、要するに、アオイに格好悪いところを見せたくない、アオイに幻滅されたくないという気持ちがペパーの心の奥底にあった。
 この後雨でも降るのだろうか、少し涼やかになってきた風に吹かれてペパーの心は落ち着きを取り戻しつつあった。そうだ、今度パルシェンにひやみずを覚えさせて、アオイに関わる事柄で気持ちが舞い上がりそうになるたびに自分に向けて撃ってもらって頭を冷やすのはどうだろう? アオイのちょっとした言動に翻弄されてそれが自分の行動にも出てしまうなんて、それこそまるで子どものようだから。
 草原を吹く風の強さが一層増してきた。ペパーは気持ちを切り替えるように右目に掛かる前髪を掻き上げながら自分に言い聞かせる。自惚れるな。アオイとのピクニックは決してデートではないし、そもそも自分たちはそういう関係ですらないのだから、と。



気持ちばかりが浮き足立って



学校最強大会でペパーくんと戦ってパルシェン(と他のポケモンたち)の技構成を確認したまでは良かったんですが、ひやみずのわざマシンはジム戦で貰えるということを完全に失念していました……(スカーレットをやり直してて気付きました)

2022.12.31


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