3.6章
ユウマとの合同演習を終えた数日後





 ユウマが会議フロアに降り立つと、そこには困り果てた顔で立ち尽くしているミオがいた。
「どうしたんですか」
 どうにも放っておけないほどの眉の下がりようで、思わず声を掛ける。
「ユウマさん……!」
 今にも泣き出しそうなほど目元を赤くしたミオがユウマを見上げると同時に、ミオの手元の端末に通信が入った。
「おい、ユウマがいるなら、もうユウマに頼むしかねえんじゃねえか?」
「ナガミミちゃん……」
「どうせ道草でも食ってるだけだろ。真竜と戦ってるわけでもあるまいし」
 通信機越しのナガミミが、こっちはやることいっぱいでお前の心配事に付き合ってる暇はねえんだよ、と悪態を吐く。
「でもヤイバがいなくなったらナガミミちゃんも困るでしょ?」
「じゃあお前が行ってやられてくるか? フヒヒヒ……」
「もう、意地悪言わないで」
「だからユウマに頼めっつってんだよ」
 長いため息とともにナガミミが言う。
 ……ヤイバがいなくなったら? 随分不穏な話をするものだ。
「何ですか、俺に頼みたいことというのは。一体何があったんですか?」
「ヤイバがクエストで頼まれたマモノの採集にアトランティスに行ったんですけど、それっきり帰ってこないし、連絡も取れないんです」
「なるほど……そうですか」
 彼女の実力はつい先日自分のこの目で確かめたばかりだ。ナガミミの言う通り真竜と戦っているわけではないし、クエストで討伐や体の一部の採集を頼まれるようなマモノにやられてしまうとは到底思えない。
 しかし、実際に連絡が取れないというのは大事である。通信機が故障しているとか、ヤイバが通信に気付いていないとか、連絡が取れない理由は他にもいろいろ思いつくが、どれもいまいち考えにくい。やはりヤイバ自身が通信に出られない状況に陥っていると考えるのが妥当だろう。
「分かりました。俺がヤイバを探しに行きますよ」
 ユウマがノーデンス社の会議フロアにやってきたのは、先日、13班との合同演習のためにセブンスエンカウントを貸し切りにしてくれ、その上、自分たちのためにマモノやドラゴンの強さの調節まで引き受けてくれたジュリエッタ(今はアリーに検体解析の経過報告をするために会議フロアにいると教えられた)へ改めてお礼をするためだったのだが、それはヤイバの無事を確認してからでも遅くはないだろう。
「おお、すまんが頼むぜ。なんせヤイバがいねえとコイツがうるさくて仕事どころじゃねえんでな」
「ナガミミちゃんだってヤイバのこと心配なくせに」
「ええと、ヤイバがアトランティスのどの辺りにいるのか分かりますか?」
 この二人の会話を聞いているといつまでも話が進まなそうなので慌てて割って入る。
「それなら、ちょっと待っててくださいね……首都アトランティカの居住区辺りにいるみたいです」
「了解しました。なるべく早く戻ってきますよ」
「ありがとうございます! お願いします」
 ミオが深々と頭を下げるのを見るか見ないかのうちに、ユウマはポータルに向かうべく歩き出した。



 全ての住民を東京に避難させた首都アトランティカは、当然ではあるがひどく閑散としていた。聞こえるものといえば、自分の足音と、遠くで海水が轟々と天に向かって遡っていく音だけ。ヤイバがマモノと戦っている最中なら、これだけ静かなのだからどこかでその音が聞こえてもよさそうなものだが、その様子もなかった。ただマモノの採集に時間がかかっていることは確かだろう。
 その上で帰ってこない、連絡が取れないとなると、ナガミミの言う通り道草を食っているか、あるいは――。真竜を倒して最大の危機は逃れたとはいえ、未だあちこちにフロワロの蔓延る状況だ。早く見つけるに越したことはないだろう。
 そう思索に耽りながら歩みを進めていると、ふと、足元に夥しい数のマモノの残骸が散らばっていることに気が付いた。この辺りか。ユウマは高台に続く階段を急ぎ足で上る。するとそこには、双剣を投げ出したままフロワロに埋もれて倒れ込んでいるヤイバの姿があった。

 ――『フロワロの花は皮肉なほどに美しい』と記した書物は何だったか。

 ユウマは不意にそんなことを思い出した。それと同時に、体の底がふわっと熱くなるのを感じた。
 何だろう、この感覚は?
 何故急にこんなことを思い出したのかも分からない。そもそも「美しい」と思う感覚自体も自分にはあまり理解できない。フロワロの花がそう言われているのなら、それが咲き誇るアトランティカの風景や、そこに倒れ伏しているヤイバの姿も美しいと言えるのだろうか?
 ユウマは立ち尽くしたまましばらくヤイバを見つめて、はっと我に返った。こんなことに思考を奪われている場合ではない。
 フロワロの影響で動けないのでは? 竜斑病を患っているようには見えなかったが、これだけ大量のフロワロに囲まれていれば、たとえヤイバでもどうなってしまうか分からない。
 しかし、その心配は杞憂だった。駆け寄って様子を見てみると、ヤイバはフロワロに埋もれ倒れ込みながら、驚くほど自然で整った呼吸をしているのだった。念のため脈も確認してみたが、やはりこれも正常だった。
 これは……寝ているだけ? ユウマがそう気付いた瞬間、ミオから連絡が入った。
「ユウマさん! どうですか?」
「今、ヤイバを見つけました」
「本当ですか!? ヤイバ、大丈夫そうですか……?」
「ええ、倒れてはいましたが、呼吸や脈が正常なので寝ているだけかと」
「寝てるだけ……?」
 でも、良かったあ、とミオは安堵で涙声になっている。
「これから帰還しますよ」
「ありがとうございます、ポータルで待ってますね!」
 ミオとの通信を終えると、ユウマは未だ投げ出されたままの双剣を丁寧に鞘に収めてから、そっとヤイバを抱き抱えた。



 ポータルエリアでは、ミオが言葉通りにユウマの帰りを今か今かと待っていた。ユウマが戻ってくると急いで駆け寄ってヤイバの顔を覗き込む。
「本当に寝てるだけなんですか?」
「ええ、そうですよ」
 耳を澄ますと、すー、すー、と小さな寝息が聞こえる。ポータルを通っても目を覚まさなかった。全く恐ろしいほどの快眠である。
「でも、どうしてそんなところで寝てたんだろう……?」
「さあ、それは俺にも……ヤイバに訊いてみないことには分かりませんね。とりあえず目が覚めるまで医務室で寝かせておきましょう」
「そうですね」
 医務室に向かう間にも、ミオは何度も何度もヤイバの顔を覗き込んでいた。

 ヤイバを医務室のベッドに寝かせると、しばらく経って自然に目を覚ました。
「あ、ヤイバ! 良かった〜!」
「あれ、私、アトランティカにいたはずじゃ……?」
 ヤイバはどうにも状況が分からない、というふうに目を擦りながら上体を起こす。
「倒れてたのをユウマさんが助けてくれたんだよ!」
 ミオにそう言われてユウマは小さく頷く。見上げるヤイバと目が合った。
 大丈夫? とミオに訊かれると、ヤイバはミオに視線を戻して頭を掻いた。
「あ、えっと……クエストを受けてマモノを狩ってたら、急にすごくお腹が空いて、そのまま倒れちゃったんだよね……」
「もう、なにそれ! すごく心配したのに!」
「本当ですよ、食料の一つも持っていかないんですか?」
 それ以前に、何も腹に入れていかないというのも問題だ。
「クエストめちゃくちゃ溜まってたから、早く片付けないとチカにも依頼してくれてる人にも悪いと思って慌てて出てきちゃって……」
 ほんと心配かけたよね、ごめん、とヤイバは謝る。するとそれに応えるようにヤイバのお腹がぐう、と鳴った。それを聞いてミオはあはは、と笑って、
「ヤイバ、お腹空いてるんだもんね? 何か食べるもの持ってくるね」
 と言って医務室を出ていった。
 その傍らで、ユウマは先ほどヤイバを見つけた時に感じた不思議な感覚のことを思い出していた。今まで生きてきた、まだ決して長いとは言えない人生の中では、初めての感覚。あれは一体何だったのだろう。体の底から温かいものが湧いてくるような、考え込んでも分からないけれど、思わず考え込んでしまいたくなるような、ずっと心を浸していたいと思うような気持ち。
 だから、ヤイバの問いかけを聞き逃してしまった。
「――はい?」
「だからさ、ユウマはなんで私を助けてくれたのかって訊いてるの」
 ユウマは、なんで、と訊かれてすぐに答えることができなかった。
 ミオに頼まれたから。真竜との戦いが始まった今、ヤイバにいなくなられては困るから。ヤイバを助ける理由は、それだけで十分だ。そう答えればいいだけだ。
 けれど、それらを差し置いてユウマの中に一番に存在する理由が、何故かそう答えることを邪魔してしまった。だけど、その一番の理由を、ヤイバにどう言えばいいのかも分からなかった。
 ――これは、誰の気持ちだ?
 だから、問い返すことにした。
「なんで、とは?」
 今度はヤイバが返答に困る番だった。なんで、なんでって……と数回小さく口にして、
「……私を殺せばよかったんじゃないの」
 ユウマが私より強い、私より竜を狩る者に相応しいと思うなら、殺さないにしろ、放っておくとか、見つからない振りをするとかすればよかったんじゃないの、そうしたら私に負けることはないんじゃないの、と彼女は問うた。
 ……ああ、それなら、簡単だ。
「ミオさんに頼まれましたから。間違っても、君を殺したりなんかできませんよ」
「そ、そっか。そうだよね……」
 何故かヤイバは肩を落とした。
「なんですか、本当に俺に殺されたかったんですか」
「違うよ、そんなわけないでしょ。私だってまだ死にたくないし」
 でもさ、とヤイバは真っ直ぐどこか遠くを見据えて、もし私が殺されるとしたら、ユウマにだと思うんだよね、と静かに語り始めた。
「ユウマに私たちがあんなに苦労して倒したニアラを一撃で倒せるほどの力があるって分かっちゃったから。ドラゴンは強い。強かったし、これから戦うドラゴンももっと強いんだと思うけど。でもまあ、ドラゴンにはやられる気しないからさ」
 ヤイバは強い意志を灯した瞳で強気にそう言い切ってみせる。何故かその姿とフロワロに埋もれて倒れ伏していた姿が重なった。間違いなく強いのに、どこか脆くて、危なげで。
 ――皮肉なほどに、美しい。
「……何を言ってるんですか。君を殺すことなんかできません。俺たちは仲間、そう言ってくれたのはヤイバの方ですよ」
「うん、そうだよね」
 ヤイバは一度目を細めると、あ、そうだ、と言ってユウマの顔を見た。
「ありがとう、助けてくれて」
 本当はこれを一番先に言わなきゃ駄目だよね、と笑っている。
 ヤイバにありがとうと言われて、ヤイバの笑っている顔を見て、またあの時のようにユウマの体の底が熱を持った。
 本当にこれは何なんだろう? 先ほどヤイバの問いに即座に答えられなかった理由も分からないままだ。俺は一体どうしてしまったというのだろう。この気持ちが理解できるようになったとき、ヤイバを見て度々思い出したとある書物の言う「美しさ」というものも理解できるようになるのだろうか?
 そんな戸惑いを悟られないように急いで口を開く。
「君はもっと自分の身体を大事にしてください。真竜との戦いが始まった今、もうヤイバだけの体じゃないんですから。今度も俺が助けに行けるとは限りませんし」
「うん、分かった」
「それじゃあ、また」
 そろそろミオが戻ってくる頃だろう。二人の邪魔になってはいけないし、ノーデンス社に来た当初の目的を思い出して、ユウマは医務室を去るべくヤイバに背を向けた。
 心の奥底に燻っているまだヤイバと一緒にいたいという気持ちには気が付かないままで。


たゆたう花片の煌めき





いろいろ詰め込みすぎた感。ユウマとミオとヤイバちゃんの揃った図好きなんです。
ちょっとしたあとがきみたいなものもあります。(麻倉のぴくもふのピクログ記事です。誰でも見れます)


2019.10.14


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