私たちはノーデンスからほど近くにある綺麗に整備された海沿いの道を散策している。

 ユウマの方から連絡をしてきたのは一昨日のことだった。
「先日はありがとうございました。いい経験になりました。それで、ヤイバに訊きたいことがあるんですが……」
「うん、いいよ。どうしたの?」
「……いえ、せっかくなので、また近いうちにデートしてくれませんか? そのときに訊きたいと思います」
「えっ!? じゃ、じゃあ明日……は急すぎるか。明後日はどう?」
「分かりました。では明後日」
 それで今日は、この間とはまた別の行程でデートをしているというわけだ。

 しばらく歩いた後、少し早いけれどいい時間になったから、どこかで食事でもしようという話になった。
「それなら、私、ちょっと行ってみたいところがあるんだ」
「いいですね、ではそこにしましょう」
 そうして私がユウマを連れて行ったのはノーデンスの一階、受付の隣にある小さなカフェだった。
「へえ、ここってこんな感じだったんだ」
「ここはノーデンスの社内ですが……君は利用したことはなかったんですか」
「うん、なんかなかなか機会がなくて」
 通された席に座った後に渡されたメニューを見てみると、思っていたより食べ物も飲み物も充実している。私はクリームが乗ったふわふわのパンケーキと、こちらもクリームたっぷりのチョコレートドリンクを注文する。ユウマはホットサンドセットを頼んでいた。
「んー、おいしい〜!」
「うん、悪くないですね」
 パンケーキやホットサンドをある程度平らげて少し落ち着いたところで、私は改めてユウマに訊いた。
「それで、訊きたいことがあるって言ってたけど、なに?」
「そうでした。……以前、若者の文化について調べたとき、若者は男女問わず『かわいい』を追い求めるものだと読みました。『かわいい』がなかったら生きていけない、なんていう主張もありました。……では、ヤイバ、『かわいい』とは一体なんでしょう?」
「う、うーん……?」
 ユウマの思いがけない問いに私は顎に手を当てて考え込んだ。かわいいものを見た瞬間、反射的にかわいいと思うけれど、それがどんな思考回路に基づいているのか説明しろと言われてもなかなか難しい。そもそも何をかわいいと思うかも人それぞれだし、ユウマが『かわいい』という言葉を連発している時点でかわいいと思ってしまうからどうしたものか。
「まあ分かると言えば分かるけど、どう説明したらいいか……」
「何でもいいんです。そうだな、例えば……どういったときに『かわいい』と感じるのか、『かわいい』と思ったときにどのような心情になるのか、とか」
「かわいいと思うときの心情、ね……そうだな、すごく癒やされる、とか、心が満たされて明日も頑張ろうって思うとか、かな?」
「なるほど」
「うーん……でも、『かわいい!』って思う時って、気持ちがどう変わるかとかじゃなくて、心がどうしようもなくきゅっとしたときには、もうそう思ってるものだから……」
「そうですか、参考になります」
 こんな説明で本当に参考になるのだろうか? 私は心の中で頬を掻く。
「じゃあ、次は、君が何をかわいいと思うか教えてくれませんか?」
「いいけど、私がかわいいと思うからってユウマもそれをかわいいと思うかどうかは分からないよ?」
「ええ、構いません」
「うーん……」
 そこで私の視線は宙を泳ぎ、小さなカフェの中をぐるりと見渡した後、ある一点で止まった。
「それは……やっぱり、猫かな」
「猫、ですか」
「うん、猫」
 私はカフェの片隅に置かれたメニュー看板の下で丸くなって寝ている白猫を見ながら頷く。
 私たちが行く先々で救出した猫たちは、ここなら快適に過ごせると思ったのか、連れ帰ってきた後も逃げ出すことなくノーデンスに居着き、今ではめいめい気に入った場所でのんびりくつろいでいる。竜災害なんてどこ吹く風のその様子に私はいつも「この愛らしく丸い後頭部のために絶対にドラゴンを倒して帰ってこなきゃいけない」と決心を新たにしている。
 嬉しいのは、ノーデンス社員もこの猫たちをかなりかわいがっているということだ。私がその溺愛っぷりを初めて知ったのは、13班特集号が刷り上がったから、と広報セクションの担当者から月刊ノーデンスの最新刊を受け取った時だった。
 何気なくぱらぱらとめくってみて、私の目はふと、とあるページで止まった。
「あ、やっぱりヤイバも気になる?」
 私が開いたまま身動きできなくなっているページを覗き込んで担当者は笑った。そこには、何とも形容し得ない愛らしい猫の写真があった。
 聞けば、このコーナーは元々ノーデンス社員が撮影したちょっとした面白写真を募集、掲載していたのだけれど、ある時から急に猫の写真の投稿が増えたから、突如としてノーデンス社員ご自慢のかわいい猫写真コーナーに替わったのだとか。資料室でバックナンバーを見返してみたら、ちょうど私たちが初めて東京地下道で猫を助けた後くらいからだった。予告もお詫びもない変更だったけれど、寧ろ社員たちには称賛されたらしい。
 最初は写真もネコカフェで撮ったものばかりで、誌面上も元のコーナーと同じく四分の一ページくらいに収まっていたけれど、社内の至るところに猫がいると知れ渡ると写真も凝り始めていってどんどん扱いが大きくなり、とうとう先月号では見開き二ページに渡って猫フォトコンテストが開催されるほどになっていた。
 そこには、アトランティス避難区の水槽にいる魚を狙う猫、エデン避難区のウォーターサーバーで器用に水を飲む猫、都民避難区の毛布にくるまって眠る猫、セブンスエンカウントの人が入っている転送装置の上に香箱座りしている猫、開発フロアの会議スペースの机の上でそれっぽい顔をして議論の輪に加わっている猫、倉庫の段ボールに数匹で入り込んで団子を形成する猫などを始めとするかわいい尽くしの猫の写真が一面に載せられていて、中でも私の一番のお気に入りは――
「……ヤイバ?」
 ユウマに声を掛けられてはっと我に返った。思わず思索に耽ってしまった私をユウマが怪訝そうな表情で見つめている。メニュー看板の下で寝ていた猫はいつの間にか別の場所で丸くなっていた。
「ごめんごめん。うん、そう、猫はかわいいよね」
「ええ。他にかわいいものの例は?」
「他、ねえ……」
 そこで思い浮かんだのは、ノーデンスにいるたくさんの人たち。その中でも鮮明に映ったのは、
「ミオとウラニアかな」
「ミオさんとウラニア女王?」
 ミオは私が初めてここに来た日からの仲だ。ノーデンスの一員になることを一度は断ったものの、私たちの力になりたいからと竜斑病を抱えながらもナビの仕事を一生懸命がんばっている。その指示と判断は常に正確でとても頼りになる。少し抜けているところもあるけれど、その笑顔にいつも癒やされているし、その笑顔をなんとしてでも守り抜きたいと思う。
 ウラニアはなんといってもあのどこにいても目を引く優美な容姿。でも、彼女が本当にすごいのはそれだけじゃない。いついかなるときもアトランティスの国やその国民たちのことを想い、何ができるかを考え、時に凜とした態度、表情でアトランティスの国民たちに前進を促す言葉を紡ぐ姿は、言葉で言い表せないほど輝いていて、その輝きが指し示す未来、ウラニアが望む未来を絶対に作らなくちゃいけないと思う。
 でも――。
 ユウマには他の誰に対しても、たとえ私がかわいくてたまらないと思うミオやウラニアに対しても、「かわいい」と言ってほしくないと思った。この二人のかわいさに嫉妬しているというわけではないし、かといって自分だって決してかわいいわけでもないし、ましてユウマにかわいいと言ってほしいわけでもないけれど。
「……ヤイバ?」
 私が黙ったままひとりで葛藤していると、ユウマがまた困ったような顔をしていた。私は観念して、いや、ある種の決心をして口を開く。
「いや、確かにミオもウラニアもかわいいし、他にもノーデンスにいるいろんな人をかわいいなって思うことはたくさんあるんだけど、ほら、なんていうか、その……ユウマにはあんまり他の人にかわいいって言ってほしくないっていうか……」
「なるほど、承知しました」
 何かを納得したような顔でユウマは続ける。
「それに今、少し分かったんです。君が猫について教えてくれたときの楽しそうな顔や、今すごく何かに迷っているような姿を見て、なんとなく心が惹かれる感じがしたんです。そしてそれを可能な限り見続けていたいと思った。これは、俺が君を『かわいい』と思っているということですよね」
 ユウマの思いがけない言葉に思わず顔が熱くなってしまった。
「ば、ばか、なに言ってんの……」
 私はそれ以上何も言えずに俯く他なかった。
 そんな沈黙を破るかのようににわかにカフェがざわざわと混み合い始めた。それを見てユウマが立ち上がって言う。
「ヤイバ、だんだん混んできたようですし、次の場所へ行きましょう」
「う、うん」
「次はゲームセンターです」
「えっ? またセブンスエンカウント?」
「いえ、違います。セブンスエンカウントに隣接する形でゲームコーナーが増設されたそうなので、今日はそちらへ行きます」

「へえ、本当にゲームコーナーなんてあったんだ」
「あれ、ヤイバは知らなかったんですか? このゲームコーナーは13班が改修を依頼したと聞いていたんですが。セブンスエンカウントはもう訓練施設としか思えないから、いわゆる普通のゲームセンターらしい場所が欲しいと」
 確かにそんなことを言っているメンバーがいた気がする。でも本当に改修されているとは思わなかった。
 ユウマに連れて行かれたゲームコーナーはセブンスエンカウントの転送装置の向かいにあった。ゲームセンターと聞けば一般的にはこういうものを思い浮かべるだろう、というくらい典型的なゲームコーナーで、私たち13班が遊ぶ以外にも、セブンスエンカウントの順番待ちの間の暇つぶしにも使えそうだと思ったけれど、セブンスエンカウントのプレイヤーたちはこちらにはあまり興味がないらしく、実際に遊んでいるのはノーデンスの避難民の子どもたちだけだった。それでも、生まれた時代に関係なく集まって音楽ゲームに興じている姿はとても微笑ましくて、思わず笑みが溢れる。
 それを背にゲームコーナーの中を少し歩いてみると、
「あっ!」
 私の目はとあるクレーンゲームに止まった。駆け寄って見ると、ゲーム台の中にところ狭しと敷き詰められているのは、シンプルな顔立ちながらじっと見入ってしまうほどにかわいい猫のボールチェーンマスコットだった。
「ね、見てこれ! かわいい〜……」
「…………」
 迷わずコインを入れてクレーンの操作をしている間も、なぜかユウマは押し黙っている。
「……どうしたの?」
「いえ、先ほど君に君以外の人にかわいいと言わないと約束したので肯定できなかったのですが、君の言うことなので否定もできませんでした」
「〜〜〜〜!!」
 私は今度こそ本当に何も言えなくなって、後少しで取れそうだったマスコットも手元が狂って取り落としてしまった。



いつか知り得る温もりの名

2024.2.22


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