アラタの新型機であるドットブラスライザーが無事完成し、バンデットを退けたその日の夜、寮の食堂は大賑わいだった。
 ジェノックとハーネスが同盟を組むことを公表してからまだ日は浅いが、夕飯の席でのこの盛り上がりを見るに、今日の戦闘で両仮想国の構成員の親交と結束は一気に深まったようだ。
 特に、ドットブラスライザーを急遽ジェノックのラボで作製したサクヤと、それを操作してバンデットを退却に追い込んだアラタの周り――つまり俺たちジェノック第一小隊が夕飯を食べているテーブルの周辺――は多くの人に囲まれていて、とんでもない騒ぎである。食事中だというのに胴上げでも始めそうな雰囲気だ。隣に座っているヒカルも、「いい加減にしてくれないかな……」と、サクヤとアラタが座っている向かい側のうるささにうんざりしているようだ。
 おちおち食事などしていられそうもないので、俺は一つため息を吐いてから、左手に持っていたお椀をそっと置いた。向かいの様子を見ていると、騒ぎのおかげでよく聞こえないが、アラタはサクヤになにやらお礼を言っているようだ。サクヤははにかみながら嬉しそうにしている。
 しかしそれは一瞬のことで、サクヤの表情はすぐに曇ってしまった。どうしたのかと思った次の瞬間、突然、サクヤの頭が大きく前に傾いた。
 俺は慌ててテーブルから身を乗り出してサクヤの肩を支える。サクヤがかろうじて手に持っていたお椀の中の味噌汁が、ちゃぷんと波を立てた。
 これにはアラタもヒカルも、サクヤ本人もびっくりしたようだ。俺を見上げて目を瞬かせているサクヤに「大丈夫か?」と訊くと、「えっ? あ……う、うん、大丈夫」と歯切れの悪い返事が来た。
「そうか……ならいいが」
 俺がサクヤの肩から手を離すと、サクヤはハッと何かを思い出したような顔をした。そして、味噌汁を一気にかき込むと、勢い良く立ち上がった。
「えっサクヤ、もういいのか?」
「うん、アラタのドットブラスライザーの操作を見てて、いろいろ調整しないといけないところがあるって分かったし、念のためDCオフェンサーもしっかりメンテナンスしたいから、先に戻るね」
 サクヤはアラタの問いに答えると、トレーを下げてから、男子寮の方に歩いていった。やけにふらふらした足取りだった。本人が大丈夫だと言った以上、そんなに気にすることではないのだろうが、その動きを見たら、サクヤの後を追いかけて支えてあげたいくらいには心配になった。
 俺は、サクヤが角を曲がって見えなくなるまでその背中を見続けた。未だに続く食堂の騒がしさなど、どこか遠くの世界のことのように思えた。

 ようやっと今日の課題を終えた。ノートを立てて机にコンコンと打ちつけ、消しゴムのカスを落とす。時計を見ると、もうじき日付が変わるというところだった。
 深夜の寮はとても静かだ。聞こえるものといえば、季節の変わり目を告げる虫の声と、遠くで波がさざめいている音くらいである。
 明日の用意を済ませ、もう寝ようと机の電気を消そうとしたとき、ふと、俺の緑色のCCMが目に入って、夕食のときのサクヤのことを思い出した。
 笑顔もすぐに消えてしまう疲れたような顔、ゆらりと大きく揺れる頭、今にも倒れてしまいそうな覚束無い足取り。
 そういえば、サクヤはここ数日アラタの新型機のことで徹夜を続けていた。ほぼ間違いなく寝不足だったのだ、と今さらながらに気が付いた。
 今日の戦闘では無事新型機が完成し、十分な力のあることも確認できたから、安堵で気が緩み、眠気のピークが夕食のときにやってきたのだろう。いや、もしかしたらそれ以前から既に眠たかったのかもしれない。
 あのあと、サクヤはその眠さを堪えて機体の調整を行えたのだろうか。そもそもあの足取りでは、何事もなく自室に帰ることができたのかということすら怪しい。
 ……もうサクヤの様子を見に行って確かめずにはいられない。俺はCCMをポケットに突っ込んで部屋を出た。

 サクヤの部屋の前に立ち、軽くコンコンとドアをノックするも、返事はない。
「入るぞ」
 そう言って静かにドアを開けると、机の電気をつけたまま、広げてある課題のノートの上に突っ伏しているサクヤが見えた。
 部屋に入りそっと上から覗き込むと、一応課題は終わっているようだ。そして、その奥に視線をやると、丁寧にメンテナンスの施された真新しい機体がある。
 課題が毎日各教師から出されるのと同じことで、ウォータイムでの戦闘があれば毎日のようにメカニックは機体のメンテナンスを行う。小隊長である俺も戦闘がある度報告書を書くが、メカニックが行う機体のメンテナンスとは、負担も責任の重さも比にならない。出される課題の量も決して少なくはないから、これらを平行させて行うのはかなり体力と精神力の必要なことなのである。
 けれど、サクヤの行うメンテナンスが不十分だったことは、これまでに一度もない。
 静かに寝息を立てているサクヤをもう一度改めて覗き込む。とても穏やかな寝顔で、こんなに難しいことをやり遂げている人の顔であるなど嘘のようだ。
 そうは言っても、メカニックの仕事はとてつもなく重い。メカニックのこの努力に対して俺たちプレイヤーがしてやれることといえば、無事に戦闘を終えて帰ってくることくらいだろう。プレイヤーがメカニックにしてあげられることなど、ほんの少ししかないのだ。
 苦しいことも多いウォータイムの戦闘を勝ち続けていくにあたって、プレイヤーとメカニックの関係は持ちつ持たれつでありたいと常日頃思っているのだが、俺たちのためにこんなにも地道で目立たない頑張りを続けてくれているサクヤに、何かしてあげられることはないのだろうか。
 本当に、無事に帰ってきてやるくらいでいいのだろうか。
 そうサクヤのそばで考え事を続けていると、特に物音を立てたつもりはないが、サクヤがむくりと起き上がった。
「いっけない、寝てた……あれっ、ハルキ? どうしてここにいるの?」
 目をこすりながら俺を見て驚くサクヤの目の下には、未だに消えない隈がある。それを見て申し訳なさで心が痛んだと同時に、ある決心が生まれた。
 ……俺ができることは、サクヤがしてくれることの何十分の一にも及ばないけれど。それでも、ほんの少しでも、サクヤの支えになれるというのなら。
「サクヤ……少し、付き合ってくれないか」

 月の明るい夜だった。窓の外に広がる海面に、もう一つ月がゆらゆらと絶え間なく形を変えながら浮かんでいる。
 俺とサクヤは静寂に包まれる寮の廊下をそっと歩いて、ラウンジに来た。サクヤにソファに座っているように言い、俺は二人分のホットミルクを作る。
 出来上がったばかりでほかほかのそれをサクヤに渡すと、サクヤはマグカップを受け取ってから、不思議そうに「どうしたのハルキ?」と訊いてきた。
「今日、かなり疲れているようだったから、俺に何かできることがないかと思っていたんだが、その……些細なことだが、これくらいで良ければ」
 俺がそう言うと、きゅっとサクヤの目が優しくなった。
「ハルキ、ありがとう……確かにここ何日かは大変だったけど、みんなが笑顔で帰ってきてくれるから、全然平気だよ。僕はそのために、僕のできることを精一杯やるだけだから」
「……本当に、それでいいのか?」
 思わず声が震えた。俺は机の上に置いた自分の手をぎゅっと握って俯く。
 サクヤのためにできることはほんの一握りのことだが、それでも支えになりたいと心を決して誘ってみたのだけれど、実にちっぽけなことだった、と余計に情けなくなってしまった。
 徹夜までしなければならないほどの負担を一人に背負わせているのに、それなのに、たったこれだけで済まされてしまって良いことなのだろうか?
「……ハルキ、分かるよ。自分にはこれしかできないのかって気持ち」
 未だに上げられないままの俺の頭に降ってくるサクヤのその言葉に、俺はハッとしてサクヤの顔を見上げた。サクヤは眉を下げ、寂しげな顔で言う。
「メカニックのためにプレイヤーはほとんど何もしてやれないって思ってるだろ? ……そんなことないよ。みんながいてくれること自体が、僕にとって大きな支えなんだ」
「サクヤ……」
「ハルキがそう言うなら、メカニックだって、機体のメンテナンスや武器の開発くらいしかプレイヤーにしてあげられることがないんだよ……ウォータイム中はプレイヤーの君たちの戦況を見守るしかできないからね。どんなに機体のメンテナンスを念入りにやったって、明日も手元に戻ってきてくれる保障なんかない。ほんとに毎回どきどきしてるんだ……だから、本当に君たちがいてくれるだけで、僕は十分なんだよ」
 でもハルキが僕のことをこんなに心配してくれてるのは、すごく嬉しいな、サクヤはそう言って微笑むと、ホットミルクに数回息を吹きかけてからゆっくり飲み込んだ。
「おいしいね、これ」
 未だにサクヤを見つめたまま動けないでいる俺に、せっかくハルキが作ってくれたのに、温かいうちに飲まないともったいないよ? とサクヤが言う。
 俺はふっと息を吐いてからカップを手に取った。それを満たすミルクの滑らかな面をしばらく見つめてから、そっと口を開く。
「……知らなかった。メカニックは、プレイヤーのことをそう思っているんだな」
「うん、他のみんなも同じだと思う」
「サクヤ、俺はずっと、お前だけに重い負担をかけさせていて、そんなに頑張ってくれているお前に、何もしてやれないと思っていた。でも、サクヤからすると、俺たちのためにできることは、メンテナンスや開発だけ。そして、俺たちが帰ってくること、ここにいることが励み……」
「うん、そうなんだ。……ね、僕ら、お互い様なんだよ」
「……そうだな」
 頷いた俺にサクヤが笑いかけてくれたのを見て、俺もそっと微笑み返す。
 その後、未だに俺の手に持たれただけのマグカップを見てか、ハルキも飲みなよ、とサクヤに促されたので、俺はカップの縁に口をつけて一口飲んだ。
 ほのかな甘みと温かさが口内にじんわりと広がる。体の中に残るこの温かさは、ホットミルクの温かさだけではない気がした。

 サクヤがそう思っているのなら、俺はその気持ちに応じたい。きっと、プレイヤーもメカニックも、お互いのことを心配しすぎなくていい。自分の役割を精一杯こなして、お互いの気持ちに応えることができれば十分なのだ。
 でも、相手を思いやることは大事だし、時々は今日のようにこうして労ってあげたいとも思う。
「……あ、そろそろ、部屋戻ろうかな」
「ああ。わざわざ付き合わせてすまなかった」
「ううん、ハルキが思ってたこと聞けてよかったよ」
「俺もだ。……おやすみ」
「おやすみ、ハルキ。また明日」
 そう言ってサクヤはラウンジを後にした。もうその足取りはふらつきなどしない。
 ウォータイムでの闘いも、現在の厳しい状況も全て忘れさせてくれるような、そんな静かな夜のことだった。


穏やかな月影


2013.10.3
2018.10.13 修正


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