※DVD1巻、2巻付属ノベライズの微ネタバレ注意
その二つの空席を見たとき、ハルキは自分の机に握り拳を思い切り叩きつけずにはいられなかった。
鈍い音が教室に響き、それと同時に鈍い痛みも叩きつけた拳に広がってゆく。何事かとハルキを気にしたクラスメイトたちが、ああ、とハルキに憐れみと嘲りの視線をこっそり送る。
たったの一日二日――いや、その始まりはほんの一瞬の出来事だった――で、ハルキを取り巻く環境は取り返しがつかないほど大きく変わってしまった。
それなのに、何の代わり映えもなく、ただぽつんとその主が来るのを待っている二組の机と椅子は、何も知らない、何も起こってはいない、これまでと何ら変わりのない朝だ、とあっけらかんとしているようだった。それが余計にハルキの癪に障った。
やがて「早く席に着きなさい」と教室に教師がやってきて、空席を一瞥してから授業が始まった。
授業中、やけに開けた視界に戸惑いを隠せない。今までずっとすぐ近くに見えていた背中がない。板書をノートに写し取るために前を向けば、それが否応なしに目に入る。
何度も視線の行ったり来たりを繰り返し、本当に彼らがもうここにいないことを認識してしまうと、もはやまともに授業を受けられるどころではなくなってしまった。湧いて出てきた苦い思いをグッと抑え込むように、ハルキは口を噛み締め下を向く。
授業後のウォータイムは、第一小隊は戦力の不足により戦況観覧室での見学を命じられた。自分の失敗が原因で仲間をロストさせたのに、たまたま生き残った自分だけおめおめと戦闘に参加するようなことは自分自身が許さなかったため、今のハルキにとっては都合が良かった。
だが、戦闘に参加せず状況を見ているだけでも、先日の戦闘のことが頭から離れなかった。一機のLBXが斬撃によって破壊されたとき、体が震えた。思わずモニターから目を逸らす。
誰かが、誰かの大切な仲間が、またこの学園からいなくなる。ただモニター越しに見ただけの、自分とは違う仮想国の、顔も名前も分からないプレイヤーだけれど、全く人事とは思えなかった。
何をしても心が休まることはなく、こんなにも長い一日を過ごしたことは、今まで一度もハルキにはなかった。
――今日のセカンドワールドは、雨が降っている。その雨の所為で、辺りは夜のように暗く、視界はひどく不明瞭だった。
自分たちに任された指令は、拠点の防衛である。敵がこちらに侵攻してくるようだという情報を受けて、あらかじめ自陣で待機していた。
神経を尖らせ、いつ、どこから来るのかと厳重に警戒していたものの、いつの間にか敵の機体は自分たちの背後に迫っていた。
そしてその大剣で無惨に撃破される自分たちの機体。振り向きざまに、黒ずんだ紫が見えた気がした――
体に電撃が走ったように、ハルキは飛び起きる。雨の降っている夜だった。
震える体を自らの両腕で抱きしめ、浅い呼吸を繰り返す。潤む視界に、汗ばむ身体。またあの光景を夢に見た。
自分は一体何度この夢を見れば気が済むのだろう。いや、この夢を見なくなるくらいまで慣れてしまうのにどれくらいかかるのだろう。同じような夢を見て真夜中に起こされたことは、もう両手で数えても足りないくらいになっていた。
何度見ても何度見ても、この恐怖と喪失感はなくなるようには思えなかった。むしろ、夢に何度も見るからこそ、自分の心に深く刻まれていくような気さえした。
いっそのこと、今日見た夢のように自分も彼らと一緒にロストしてしまえば良かった、そうしたら……そこまで考えてから、ハルキは自分の考えにハッとして、その考えを振り払うように大きく首を振った。
自分に隊長を任せると言ったときのあいつの顔が思い浮かんだ。まだ戦闘にも、指揮をとるのにも不慣れで、自分に務まるかどうか分からない、と弱音を吐いたハルキに、それでも、頼りにしてるから、と言ってくれた二人もいた。
今はもうどこにも見当たらない人たちの背中を思う。あのときだって、みんな最後まで自分を信じて果敢に戦ってくれた――
それなのに、それだからこそ、自分もロストしてしまえば良かった。そうしたら、我が身が締め付けられるほどの苦しい思いをしなくて済んだのに、なんて、彼らの勇気を無駄にするようなことを、わずかたった一日だったけれど、彼らの隊長であった自分が、言っていいはずがなかった。
でも、不安があれば頼りにしていたその背中も、不安を支えてくれた温かい手も、殺伐とした戦闘の重みを忘れさせてくれた笑顔も、もう、ここにはないのだ。
この先について不安しか見えないのに、自分は何を頼りに歩いていけばいいのだろう。この痛みを乗り越えて、再びコントロールポッドに搭乗できる日が来る気が全くしないのだ。
ハルキは一段と強く自分の体を抱きしめる。深い夜に雨の音だけが静かに響いていた。
来る日も来る日もまた、二つの空席が教室に来たハルキを出迎える。
ハルキは眉を寄せてその席を見る。あの日からどれほど経っただろう。島を去っていったみんなの声、面影、戦いぶりは、もうだいぶ遠いところまで行ってしまった。
そうは言っても、傷跡と言うにはまだ記憶に新しい、いや、そんな程度のものではない。今すぐにでも目の前が暗くなりそうなほど、あまりに生々しすぎる光景。今でも夜中にうなされ目が覚めることがあるのだ。
その空席がいつか、まだ知らない誰かによって埋められることなど、今のハルキには到底考えられもしなかった。
2013.9.15
2015.9.3 修正