神威島の夕暮れは、美しい。
 海に浮かぶ孤島には夕日を遮るものはなく、陽が海に沈む時には、島の至るところが赤色に染まるのだった。
 それは、ここ、ヒカルがいる診療所の個室でも同じことである。開いた窓からは、水平線に消えてゆく太陽の姿がよく見える。海から吹いてくるゆるやかな風も心地よい。
 体調は特に問題ないので、ヒカルは体を起こして、昨日ハルキたちに借りた授業ノートを写していた。いくら倒れ込んでしまったとはいえ、授業に遅れをとる訳にはいかない。そう言うと、ハルキとサクヤはヒカルの体調を案じながらも快くノートを貸してくれたのだ。

「ヒカルならわざわざノート借りてまで勉強しなくても授業追い付けるじゃん」
 頭の後ろで手を組んで言うのはアラタだ。もちろん彼のノートは当てにならない(どころかノートをとっているのかすら分からない)ので借りるまでもない。
「君はもっと真面目に授業を受けるべきだろう」
「ヒカルの分もしっかり受けてみたらどう?」
「うげえ、それは勘弁……」
 ヒカルとサクヤにアラタ自身の授業態度について言及され、アラタはがっくりとうなだれる。
「調子は良さそうだな」
 そんなアラタを尻目に、ハルキはお見舞いの品を静かに開いてヒカルの脇の机に置いていたが、それが一段落着くと「ところで」と突然神妙な口調で切り出した。
「あの電撃の原因だが……」
 ヒカルは「電撃」の言葉を聞いた瞬間、背筋がぞくりとしたが、なるべく平穏な反応を心掛けた。体調はそこそこ良いとはいえ、あの電撃を浴びたときのことを思い出すのはいい気分ではない。わずかに震える自分の腕を、ヒカルはそっと押さえつける。
「いろいろ調べてはみたが、コントロールポッドの近くに壊れた機器が落ちていたくらいで、はっきり原因と言えるものは見つからなかった。例の機器は念のため検査するが、時間がかかりそうだ」
「分かった、ありがとう。バンデットのこともあるし、みんなも気を付けてくれ」
 ヒカルは第一小隊の仲間たちの目を見る。みんな傷付けたくない、失いたくない、大切な仲間だ。みんなが自分を心配してくれているのが分かる。もし今回のように誰かが傷付けば、ヒカルもひどく心配するだろうから。
「ま、俺たちは大丈夫だから、ヒカルも早く元気になれよな!」
 ぽん、とアラタに背中を叩かれた。顔を見れば、(さっきまでうなだれていたのにいつの間に回復したのやら)やたらとにかにか笑っている。普段はその屈託のない笑みを憎らしく感じるばかりで、こんなに頼もしく思ったことは今までになかった。このアラタの笑顔に、そして小隊やジェノックの仲間たちの期待に応えるために、一日でも早く復帰しよう、そうヒカルは強く誓った。

 窓から吹いてくる風が少しずつ温度を失っていく。陽もだいぶ傾いてきて、今日もそろそろハルキたちが来る頃だ。写し終えたノートを整えてヒカルは彼らの到着を待つ。
 少し経つと、何故かいつもより機嫌の悪そうな様子のハルキとサクヤがやってきた。そして、何故かアラタの姿がなかった。
「どうしたんだ、アラタは」
 ヒカルが訊くと、サクヤがもう我慢できない、とばかりに切り出した。
「聞いてよヒカル、今日のウォータイムのこと」
 サクヤの話を聞くに、アラタがハルキとサクヤを第四小隊のメカニックルームに閉じ込めてウォータイムに出撃したらしい。アラタのその行動の意図は全く分からないが、とりあえずハルキとサクヤにとってとんでもない災難だったということは分かる。二人はアラタにたいそう憤慨していたが、ヒカルは、仲間を幽閉するアラタとそれに抵抗し憤るハルキとサクヤを思い浮かべて、思わず笑ってしまった。
「笑いごとじゃなかったんだがな」
「ふふ……すまない」
 ちょうどその時、「ヒカルいますかー!」と叫びながらアラタがヒカルの部屋に入ってきた。
「始末書は書き終わったのか」
「もう手が取れそうだぜ〜」
 ハルキに鋭い目で睨みつけられながら、アラタは右手を振って言う。二人に遅れて来たのは始末書を書いていたからなのだとか。どうやら始末書を大量に書かなければならないほどの大事だったらしい。
「聞いたぞ、アラタ。ハルキとサクヤを閉じ込めて出撃したそうだな」
「うっ、キャサリンがどうしてもって言うからさ……っていうかどっちかっていうと俺も被害者だ!」
 アラタも我慢できない! とばかりに叫ぶと、今回の事態のさらに詳しいところを話してくれた。ウォータイム出動禁止処分を食らっても、どうしてもポルトンの女子とのいざこざの決着をつけずにはいられなかったキャサリンの奇策により、第一小隊のメンバーと、ユノを除く第四小隊のメンバーを秘密裏に入れ替えて出動したのだという。
「もう! おかげで機体の調整も武器の開発もできなかったんだからね!」
「もう許してくれよ〜、拠点だって被害なかったしいいじゃんか〜!」
「それだけで済む問題じゃなかったから言っているんだが……」
「分かったよ、もう絶対しないって〜!」
「いい? 絶対だからね?」
「はあい!」
 ほぼ一方的に責め立てられるアラタと、アラタの非を咎め続けるハルキとサクヤ。当の本人たちにしてみれば今回の件は大問題なのだろうが、それを聞いただけの身としてはこれほど面白い話もなかなかない。叱られ続けるアラタを見て、ヒカルは堪えきれずにまた笑ってしまった。

 この輪の中に、早く戻りたい。

 今日のことも、もし第一小隊のみんなと一緒に体験していたら、自分もアラタを咎めただろうか。それとも、ただただ呆れるだけだっただろうか。
 バンデットが蔓延る厳しい状況での戦いに参加できない責任感も、勉強が遅れてしまう焦燥感も、もちろんある。しかしそれ以上に、仲間と一緒にいたい気持ちと、共に戦い続けたい気持ちが、ヒカルの中ではずっと大きかった。
 仲間を傷付けたくない。失いたくない。もっと一緒にいたい。隣で戦い、戦況を何とか乗り越えたい。こんな風に和気藹々とできる時間を、もっともっと増やしたい。――その為には。
「みんな、」
 ヒカルは未だに言い合いを続けているアラタたちに呼びかける。口論が収まり、三人の目がこちらを向く。
「……すぐ、戻るから」
 そのヒカルの言葉に、アラタが夕日に染まった変わらぬ笑顔で答えるのだった。

「ああ、待ってるぜ」


束の間の安息


2015.6.20
2015.9.5 修正


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