「おい、いつまでも寝てんな、起きろ」
 さっきまで授業を聞いていたはずなのに、どうやらいつの間にか眠ってしまっていたらしい。前の席の跳沢が頭を小突いて俺を起こした。授業はもう終わっていて、教室の中はがやがやと賑やかだった。
「いってーな」
 ちょっとは加減したらどうなんだ、跳沢のヤツ。叩かれた頭をさすりながら体を起こすと、
「総介! 跳沢!」
 廊下から、俺たちを呼ぶ貴志部の声が聞こえた。
「おう、貴志部」
 跳沢が片手を挙げてそれに答える。貴志部は俺たちの近くまで来ると、少し興奮気味でこう言った。
「監督が、今日の練習は休みにするって」
 俺はそう言う貴志部の様子を見て驚いた。暇さえあれば練習に励んでいる貴志部が、監督に練習は無しだと言われても落胆しておらず、むしろ嬉しそうにしているとは。
 しかし、俺の驚きを余所に、跳沢は納得した様子で、窓の外を見ながら言った。
「ああ……まあ、これじゃ仕方ねえよな」
 跳沢と同じように外を見てやっと、教室中がいつもよりうるさい理由も、突然練習が無しになった理由も、貴志部が何となく嬉しそうにしている理由も、みんな分かった。
 教室の窓から見える景色一面に、雪が積もっていたのだった。
「じゃあ、そういうことだから」
「おお、そんじゃな」
 貴志部が教室を出て行こうとしたその時、一瞬だけ、意味有り気な視線をこちらに向けてきたのが分かった。跳沢には何のことだか分かっていないようだったが、俺には貴志部のその視線の意味は、何となく分かった。
 仕方ねえな、との意味合いを込めてため息をつくと、貴志部はさらに嬉しそうに頭の双葉を躍らせて教室から出て行った。
「……何なんだよお前ら」
「別に何でもねえよ」
 怪訝そうな顔で俺にそう問う跳沢を次の授業が始まるまで撒くのは、なかなかに骨の折れる作業だった。

「おせえ……」
 俺は昇降口で貴志部が来るのを待っていた。おせえ。何してんだアイツ。授業もホームルームも、もうとっくに終わっているというのに。くそ寒い中待ってやってんだから、早く来いっつうの。
 もういい加減帰ってやろうかと思ったとき、廊下の向こう側から俺を呼ぶ声が聞こえた。
「総介!」
「おっせえよ」
 悪い、掃除が長引いて、と言って駆け寄ってきた貴志部に一つ悪態をつく。さすがに寒い中待たされたのだから、これくらい言っても許されるだろう。というか、これくらい言わせろ。
「はは、じゃあ、帰ろうか」
 貴志部はそう言って靴を履き替えると、俺の先に立って積もった雪の上を歩き始めた。なんだか上手くはぐらかされてしまったような気がしてならないが仕方ない。チッ、と舌打ちをしてから、俺は貴志部の後に続いた。

 練習が無しになったと伝えに来たときの貴志部のあの視線の意味は、「今日、一緒に帰らないか」ということだった。練習が無い日に貴志部とそういう話になることは今までにもしばしばあったから、今回もそうだろう、と何となく想像はついた。
 そうやって一緒に帰る日、大抵、貴志部は後でちゃんと練習しなきゃな、と少しばかり残念そうにしているのだが、今日はいつもより嬉しそうにしている。あちこちに雪が積もっているからだろうか。
 雪が積もってるだけで無駄にはしゃいでて、なんか犬みてえ……と貴志部を見て思っていたら、突然、頭に衝撃が走った。
「いってえ!」
 そこはピンポイントで今日跳沢に小突かれたところだったから、痛みは結構鋭かった。
「あはは、当たっちゃった」
 貴志部のその言い方と格好から察するに、俺の頭に当たったのは、貴志部が投げた雪玉だった。何の前触れも無いとは卑怯な。俺はキッと貴志部を睨む。その間にも貴志部は俺に向かって雪玉を投げようとしてくるから、もう二度と当てられるものか、と俺も雪玉を作って応戦した。

 くだらねえ話だとは思うが、その戦いは俺たち二人ともの息が切れるまで続いた。
 俺は額の汗を拭う。制服はもうすっかり濡れてしまい、手も感覚がなくなりそうなくらいには冷え切っている。必死に逃げたり追い掛けたりしたおかげで、体だけは温かいのだが。貴志部も俺と同じように息を切らせながら、手、冷たくなっちゃったな、と笑っていた。
「総介の手も冷たいよな?」
 貴志部はそう言うなり、俺の手をぎゅっと掴んだ。おい、何すんだいきなり。霜焼けのせいか、貴志部に強く握られたせいか、俺の手はじん、と熱を帯びる。貴志部の手だって真っ赤になっていて、俺と同じくらい冷たいのに。
 そんな俺の動揺を余所に、貴志部は、ああやっぱり総介の手も冷たいな、と言って、握った手をそのまま目の前に持ってきたかと思うと、はあっ、と息をかける。余りにも唐突で、想像を超えた貴志部の行動に、思わず肩が跳ねた。
 貴志部は、これで少しはあったかくなっただろ、とにこにこしているが、俺はそれどころの問題ではなかった。
「もういい! 離せ!」
 俺は必死で貴志部の手を振り解き、なんでだよ総介、と口を尖らせる貴志部を睨み付ける。ああ、びっくりした。いきなり何をし出すかと思えば。
 このじんじんする手の熱さは、一体何のせいなのだろうか。霜焼けのせいか、それとも、何か他の要因のせいか。速い鼓動も収まらねえし。
 くそ、意味分かんねえよ。貴志部のヤツ。火照った手と体を元に戻すため、俺はまた雪玉を作って貴志部を追い掛けるのだった。


あたたかくなりませんか?


2013.1.27


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