※アツヤ生存





「デートしたい」

中学校からの帰り道にふと無性に兄のことが愛おしくなって、欲望を口にしてみたけど、士郎は無視してそのまま黙々と歩いて山道を下っている。士郎は耳が遠くないし、アツヤも大声だったからきっと聞こえているだろうし、暫くしたら返事してくれるだろうと思って、ニコニコ笑いながら隣を歩いた。誤解のないように言っておくがアツヤはいつだって兄のことが愛おしい。

空模様は今にも一雨来そうな真っ黒で、兄の朧気な輪郭を一層際立たせる。兄貴の美しさにかかれば天候だってアクセサリーの一部なんだな、とアツヤは思った。


「雨、降っちゃうかな」
「俺傘もってるから平気だし。兄貴入れてやるよ。ところでデートしたい!」
「晴れないかな」
「体育の授業まで晴れてて、今日はラッキーだったな。こんな日はデートをしたい!」

「あ、お母さんに買い物頼まれてたんだった」
「おお!ショッピングデート!」

士郎は母に豆腐とモヤシを買うように頼まれてたいたらしい。スーパーに行くよりも商店街の方が目が楽しいから、という理由で二人はそちらに向かった。

商店街のアーケードの中に入るとそこは別世界に様変わりしている。
色鮮やかな横断幕と柱にくくりつけられた笹の葉。商店街の人たちの手作りと思われる折り紙の鎖や天の川、小さな星がキラキラと輝いていた。


「明日七夕だっけ」
「うん。そうだよ」
「でも七夕ってケーキもプレゼントもお年玉もないし、学校休みにならないし、つまらないよな」
「そうかな…。楽しいとか、つまらないとか、そういうものじゃないと思うよ」
「そういうもんだろ。楽しくないなら七夕なんてなくてもいいな」
「そう」

士郎は寂しげな声で呟くと、豆腐屋で買った絹豆腐の袋をアツヤに渡す。買い物でアツヤが荷物持ちになるなのは暗黙のルールだった。次に寄った八百屋で購入したモヤシもアツヤが持った。
「豆腐の形が崩れないようにユックリ歩いてね」と士郎に言われて、鈍足になったアツヤを兄は早足で突き放す。

「兄貴待ってくれ〜」と呟いてから、こんなのデートじゃない!とアツヤは気が付いた。そのままビッコヒャッコな足取りで士郎から遅れること10分後に家に着く。



「兄貴なんで先に帰っちゃったんだよ。酷いじゃんか!」
「アツヤの方が酷いよ」
「俺は豆腐の角を死守する為に、ノロノロノロノロノロノロ。頑張ってたのに」
「でも、だからって、七夕がなくなっていいなんて、そんなのは酷すぎるよ!」


士郎は憤慨しきってアツヤに怒声を浴びせると、部屋に籠ったきり出て来なかった。
一時もした頃、アツヤが心配してドアの前で士郎の大好物の「プリン食べようぜ」と何回呟いても出て来ない。椅子から立ち上がり、二三歩踏み締めた音はしたから、出てくる気はあったのかも知れないが、葛藤の末に思い留まったようだ。
「兄貴〜プリン〜おいし〜ぞ」
その誘惑に梃子でも核でも動かない覚悟らしい。しかし母が「夕御飯よー」と呼んだら「はーい」と素直に飛び出してきた。
どうやらアツヤにだけ素っ気ない態度をとるつもりのようだ。悲しい、とアツヤはうちひしがれた。





「俺が何をしたっていうんだ」


夕飯後、兄がお風呂に入っている間にアツヤは後ろめたさを感じながら、兄の部屋に忍び込んだ。
机の上にプリンを置き、怒らせてしまった原因を探す。
机の上には読み掛けの宮澤憲治の文庫本と、てるてる坊主が転がっている。


「てるてる坊主か。これは飾らないと意味がないんじゃないか」

アツヤは気を利かせててるてる坊主を壁に飾ってあげることにした。首にぶら下げる紐がなかったので、てるてる坊主の首もとに釘を直接打ち付ける。
「兄貴は気の利く俺に喜んで、許してくれるかな」
万策尽くしたアツヤは兄の部屋を後にする。廊下に出て、一仕事終えた達成感に深い溜め息を溢すと同時に、お風呂の戸が開く音。


アツヤは一番湯よりも兄の入った後の湯に浸かるのが最高に気持ち良いと思っているブラコンなので、着替えを持って風呂場に向かった。
「つーん」
脱衣場ですれ違い様に士郎は澄まし顔でアツヤを無視したけど、アツヤは動じなかった。部屋に戻った兄は自分のした行いに気を良くして直ぐに仲直りしてくれると思っていたからだ。机の上のプリンと、壁に打ち付けられたてるてる坊主。完璧だ。



いい湯加減だ。アツヤが湯船に浸って気を抜いていたら、風呂場の扉が壊れかねない強さで開いた。兄がパジャマ姿で濡れたタイルをもろともせずに浴室に入ってくる。アツヤは思わず前も隠さずに立ち上がった。

「アツヤがやったの…あれ…」
「あ!もうバレた!俺ってば気が利くよな〜アハハハ」
「アツヤのバカアアアアア!てるてる坊主にあんなことしたら明日、雨が降っちゃうよ」
「うえええ」


アツヤの胸を手の平でぶっ叩きき、悲壮を主張する兄。野生の樋熊のようなその行動に弟は戦慄。
士郎は涙ぐみながらパジャマの裾も捲らずに浴槽内に足を突っ込み、アツヤの胸をバシバシ叩いた。
アツヤは兄が怒っている理由も意味もわからなくて、流石に反発心が芽生え始めていた。仏の顔も三度宛ら、ブラコンの顔も三度らしい。


「兄貴わけわかんねーんだけど!」
「だってアツヤが悪いんだよぉ」
「俺は兄貴の為にやったんだ!」
「明日は晴れなくちゃダメなのに、七夕はなくなっちゃいけないのに!アツヤは何にもわかってないよぉぉ」


バスタブの中で飛沫をあげながら言い争っていると、母が「ちょあっ」という掛け声と共に二人にチョップを食らわして怒鳴りつけた。
「こらぁ!喧嘩はやめなさいっ!」
いつ、母が浴室に入ってきたのか、口論に熱くなっていた二人には解らなかった。チョップをされた士郎は頭の天辺を撫でながら、アツヤは浴槽に顔の半分を沈めながら、母にここまでの経緯を話した。


「勝手に士郎の部屋に入って、てるてる坊主いじったアツヤも悪いけど、今日の士郎はアツヤよりもっと悪いよ」
「え、なんで…」
「士郎はアツヤに何にも話してないでしょ。アツヤだって悪気があった訳じゃないのに、士郎は一人で怒って、アツヤと話し合おうとしなかったよね。士郎はお兄さんでしょ」
「でも、アツヤが、七夕いらないって、言ったんだ!織姫と彦星の大切な日なのに、それなのに、いらないって、酷いよ!」


アツヤはノボせそうになりながら織姫と彦星がなんだっけ、と必死に思い出そうとした。七夕に関連した人物なのはそこはかとなく思い出したが、それ以上の発展はなかった。
「アツヤは織姫と彦星のこと知ってる?」
母に尋ねられた。
「名前だけなら」
そう答えた。



「ね?アツヤは織姫と彦星の物語を知らなかっただけなのよ、バカだから。織姫と彦星に意地悪したくて七夕がなくなれって、言った訳じゃないの。わかるよね?」


士郎は唇を噛み締めて、少し悔しそうに頷いた。弟への理解を放棄した兄は珍しく母に叱られていた。
間違いを指摘されて心底から反省し、過程を洗い流して自分を貶めることに時間を要さない人間はいない。人は常に自分が正しいと信じている。自我がある以上は、誰だって。普段はポワポワしている、士郎にだって。


士郎は「ごめんね」って浴室に細く響かせてから素早く自分の部屋に駆けて行ってしまった。涙が出そうなのを母に見られなくなかったのだろう。


アツヤは風呂から上がると真っ先に兄の部屋に向かったが、そこに士郎はいなかった。溜息を溢してから一旦自分の部屋に戻り、タオルケットを抱えてバルコニーに出た。コンクリートに敷かれたレジャーシートの上で、士郎が膝を抱えて鼻を鳴らしていたので、気付かれないように物音に細心の注意を図って硝子戸を開けたが、直ぐにバレた。


「なんで織姫と彦星のこと、知らないの…一般常識だよ…」
「だってテストに出なかったし」

隣に腰を下ろして二人で一つのタオルケットにくるまった。北海道の夜は夏でも肌寒い。




「仕方ないから、僕が教えてあげる」


士郎はアツヤに話した。
遥か昔の七夕伝説の大まかな流れを。織姫と彦星は一年に一度しか逢えないのだと。雨が降ったら二人は逢えないことを。
「只のおとぎ話かもしれないけど、嘘の物語かもだけど、明日は満点の星空の下で、アツヤと一緒にいたいって思ってたんだ。そういう日にしたかったんだ。一年に一回くらい、星を見る日があったっていいな、って」
士郎のその言葉にアツヤは急に引き締まった顔をして、黒い雲に包まれた何もない夜空に、呟いた。遥か昔、織姫や彦星のいた頃の日本の言葉に近付けて、織姫と彦星に罰を与えた神様に伝わるように。

「晴れでそうろう」
なんが違うかな。
「晴れたもれ」
こうかな。


隣の兄が、鼻をスンスンさせながら笑っていた。明日、晴れるといいね、って。





夜、星を見る日





次の日は朝から快晴だった。遠くの空の青みが増して、太陽の光らが黄色く滲む。昨日と変わらず道路にはいつもと変わらない交通量があり、それなりに騒々しい。これが地上の七夕だ。休日でもなく、ケーキもプレゼントもお年玉もない、何の変てつのない日。

アツヤと士郎は学校の帰りに昨日寄った商店街のアーケードの中に吸い込まれるように入っていき、七夕セールで半額になっていたアイスを買って食べさせ合いっこをした。

昨日、アツヤが望んでいたデートが、七夕の今日に叶った。ちょっと織姫と彦星みたいだね、と士郎が笑っていた。アツヤは笹の葉の隙間から射し込んだ光に目を眩ませて、額に手を添える。それはなんだか空に向かって敬礼しているみたいだった。


「これなら今日、織姫と彦星は、デートができるね」
「ああ」
「帰ったら、一緒に空を見ようね」
「そうだな」


二人は家に帰るなりベランダにレジャーシートを敷き詰めて、クッションとタオルケットをセッティングして、お菓子と飲み物を用意して即席のコテージを作った。
小学校の時に貰った星座早見表と、札幌スタジアムにサッカーの応援に行った時に買ったオペラグラスも持ってきて、二人は寄り添い合って夜が来るのを待った。


「あら、二人とも、何してるの?」
「天の川を待ってるんだよ」
「あら。じゃあ、夕飯はベランダでたべましょうか。お母さんも一緒にね」
「お母さんも一緒に見るの!やった」
「なんでオフクロ来るんだよ!邪魔すんなよ!」


ピンクと紺の隙間の不思議な空を眺めながら、三人でカレーを食べた。豆電球みたいなオレンジの一番星が現れると、それから数分で星達がそこら中に輝きだす。
「ただいまー」
父の帰宅の声を聞いて、士郎と母は父を天体観測に誘っていて、アツヤはちょっとムッとした。兄と二人きりの予定だったのに、両親同伴なんて、こん畜生だ。


ムッとしたけど、ビールを飲んで潰れた母を介抱する父の姿や、それをみて笑っている兄とか、笑っている兄に眼副する俺とか、星達はそんな人間の日常を何億年と見届けて来たのだろう、と思うと自分の中にある敵愾心や独占欲なんてちっぽけでどうでもいいことになった。
昨日、兄と喧嘩したことも本当に小さな事件なんだろう。


「ねえ、あの星にも名前ってあるのかな」
「さあ…。どうだろうな」
「人間の数と星の数、どっちが多いのかな」
「さあ…宇宙広いからなぁ」
「宇宙はおっきいよね」
「俺達はちっちゃいよな」
「…昨日は、ごめんね」
「俺も、ごめん。今日は晴れて良かったな。来年も晴れたら、今度は、二人きりで見ような」


一年後のデートの約束をしたら、なんだか織姫と彦星みたい、って士郎はまた言った。


田舎の北海道のコテージから見上げる満天の夜空は、宝石箱をひっくり返したという表現がぴったりで。
七夕伝説はきっと、織姫と彦星の再会なんてどうでもよくて、夜空を見なくなった人間に、星を見る機会を与える為にあるんじゃないかとアツヤは思った。

一年に一回、こうやって家族でも、友達でも、大切な人とでも。一緒に星空を眺める日があったって、いいじゃないか。
そんな日はなくしちゃいけないよな、って。



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Aufhebenのとらきちさんが200000打記念のフリリクをしていらしたので、アツシロの七夕に因んだお話をリクエストさせて頂きました!

通常運転ブラコンアツヤも、士郎とアツヤが喧嘩するのも、吹雪ママ吹雪パパが出てくるのも大好きなので、読みながらニヤニヤゴロンゴロンしました^^
夜空の下二人でタオルケットにくるまるアツシロ……可愛らしいです(^///^)

改めて200000打おめでとうございます(^^)
素敵なお話をありがとうございました!

2011.7.26


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