〈5〉

佐助さんが琴を持ってきてくれた。一通り弾き方指南を受けて、弦と音を覚える。この時代にそぐってるのかは知らないが、なぜか琴はオーソドックスな日本の音階で調律されていた。
「うおお、音が少ない…!」
「少ない?」
下から順に弦を弾いてみて、オクターブに音が8個ないことに妙な感慨を覚えて呟くと、向かい側でこちらを眺めている佐助さんがきょとんと首をかしげた。
その様子に苦笑して頷く。
「国や地域によって音階って違うんですよ。わたしが使っていた音階もこれとは違ってまして」
「そうなんだ。面白いね」
「なのです。さて、何弾こうかな」
爪をはめ直して弦に添える。ここはやっぱりアレでしょう、ベタにさくらってもんでしょう。目の前の庭の桜も咲いていることだし。楽譜は覚えてないから適当に弾いてしまえ。
たしかこの辺の音だった、と当たりを付けて、弾き始めた。
「さくら、さくら、やよいの…なんだっけ」
駄目だ歌詞うろ覚えすぎる。しかも始めた音が悪かったのか音が足りないっていう。でもこれ弦を押さえちゃえば音鳴るんじゃないかな。そんなことを考えて「えい」と弦を思い切り押し付けた。
「えええ何やってるの晴ちゃん!」
「あ、ほらやっぱファの音鳴るじゃん。よしよし」
「ちょっと待って何、なんでそんな素敵な笑顔でかき鳴らしてるの!?」
「やっぱ弦は長さ変えれば何の音でも出せるからいいよねー」
「俺様の話聞いてる!?」
「あ、すみません」
調子に乗ってトレモロしてたら、両手をがしっと掴まれて止められた。「ホント止めてください、心臓に悪いから」とちょっと焦った顔で佐助さんが言った。なんだかさすがにごめんなさい。
「方向性は間違ってないんだけど、力入れすぎでしょ…」
「あ、やっぱこうやって音変えるんですか?」
「うん、そうみたいよ。俺様そんな詳しくないから、あとでお冴にでも聞いて」
「わかりました。ありがとうございます」
俄然楽しみになってきた八つ時に思いを馳せながら、琴に向き直る。また適当に音に当たりをつけて、最初弾いてたのとは全然違う調でさくらの最後のフレーズを弾いた。
音に合わせて「花ざかり」と呟いたとき、風が吹いて花びらが舞った。
「……恋い侘びて、泣く音に紛う浦波は、思う方より風や吹くらん」
一度は地面に落ちてしまった花びらが舞い上がる美しい景色を眺めながら、ふと思い出して呟く。季節も違えば場所も違うけど、なんだか妙にしっくりする。どうしようもなく切なさを覚えて瞑目した。
まぶたを上げれば、ちょっと呆れたような笑顔の佐助さんがいた。
「季節が違うでしょーが」
「でもほら、琴だし。風も吹いたし」
「でも海は近くもなんともないぜ」
「……。海といえば、近江の海に行ってみたいですね」
「話そらすなよ…。なんでまた近江?」
「春はすごくきれいだって、昔の人も歌ってますよ。宮内卿とか」
「宮内卿?女流歌人?」
「ですです」
そうか宮内卿って普通に役職か。こりゃうっかりだ。佐助さんが知ってて助かった。
納得したように頷いた彼にわたしも頷きを返して、もう一度さっきの歌を口の中で呟いた。ここは須磨でもなければわたしは源氏でもないけれど、それでも、故郷を懐かしく思う彼の気持ちは少しくらい、わかるつもりで。
「……さみしい、な…」
「どうしたの?」
「…いいえ。さて、次は何を弾こうかな、っと」
訝る佐助さんにゆるく首を振って、へらりと笑ってみせる。また無茶はしないでくれよ、と茶化した彼に憤慨するフリをして、二人して吹き出した。
……誤魔化してしまったことを悪いと思わないわけではない、けれど。
これほど良くしてくれている彼らに、本心なんて言えるはずもなくて。

私を恋い慕い嘆いて泣く声に似通って聞こえる波の音は、私が恋しく思う大切な人々の方から風が吹いているからだろうか。
恋しさに苦しみ嘆いて泣く私の声に似通って聞こえる波の音は、私を思う彼らがいる方から風が吹いているからだろうか。

帰りたい、だなんて。




to be continued...


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