〈4〉

信玄公にも挨拶と事情説明をしたのち、館から馬に揺られ上田城へとやって来た。あれ、天守がある…って、いまさらそんな小さいことにツッコミを入れてもしょうがないですね。本丸の隅、離れの小さな部屋を与えられてわたしの軟禁生活は始まった。
しっかり三食頂いてます。そのうち一食はおやつだけど。着替えの衣やらなんやらもちゃんと与えてもらった。そして、一人では着物を着れないわたしのために女中さんまで付けてくれたのだ。見張りの役目も負ってるのかもしれないが普通にいい人なので関係なし。彼女と一緒なら城下町で買い物もできるし、とても感謝しております。といってもお金は持ってないから基本的に冷やかして終わりだけど。
幸村くんも佐助さんも程ほどの頻度でお話しにきてくれるし、さほど不自由はしてない。強いて言うなら、消しゴムが終わりそうなことくらいか。まあこればっかりはしょうがないことなので。
「あら、今日もお勉強でございますか?晴さん」
「ええまあ…あ、どうもです冴さん」
幸村くんが付けてくれた女中の冴さんが、お茶と菓子を持ってやってきていた。
あれ、もう八つ時ですか?おかしいな、さっき朝餉を食べたばかりな気がするんだけど。そんなにやってたかな。
「あまり根を詰めすぎますと、身体にも毒ですよ」
「そうですね。んー、ちょっと休憩しますか」
苦笑を浮かべながらお茶の準備をしてくれる冴さんに頷いて、数学の問題集をぱたりと閉じた。差し出してくれた湯飲みを受け取り、一口すする。
自身もお茶を飲みながら、冴さんが首をかしげた。
「何の勉強をなさってたんですか?」
「あー、と。数学…算術?計算?条件を満たす未知数の値を求めたりしてました。まあ全然進まなかったんですけど」
「あら。苦手でいらっしゃるのかしら」
「苦手ですねー。金勘定とかやりたくないです」
「あぁ…やっぱりあなたに金子を持たせなくて正解でしたわ」
「それは賢明な判断だと思います…」
冷やかしに行ってはいるが、いまだに相場がわからないので下手すると巻き上げられそうだし。
おやつの饅頭をかじりつつ、開け放った障子からぼけーっと庭を眺めていたら、なんだかもう数学やる気がなくなってきた。今日どんだけ悩んだって何もひらめかない気がするよ。あぁでも解けなかったのは未練が残るなあ。
どうしたもんかと饅頭を口に放り込む。優しい甘さに頬を綻ばせていたら、騒がしい足音が聞こえてきたのでそちらに意識を向けた。
「晴殿!頼まれていた書物でござるよ!」
「真田さん」
予想はしてたが案の定幸村くんだった。その手には、いくつかの書物や巻物が抱えられている。
冴さんが差し出した座布団に腰を下ろして、彼はそれらをわたしに差し出した。礼を言って受け取ったわたしを不思議そうに見ながら、冴さんが口を開いた。
「長恨歌に史記に伊勢、それからそれは古今ですか?」
「はい。せっかくなので勉強してみようかと思いまして。といっても、だいぶ文字が違うんで、読めるかどうかわからないんですけどね…とくに伊勢と古今」
ぱらりと眺めて後悔した。書道とかやってれば良かった…崩れすぎて読めないよ。小さくため息をついて書物を脇に置き、改めて幸村くんに頭を下げた。
「本当にありがとうございます」
「いや、構わない。他にも要りようのものがあれば気兼ねなく言うでござるよ」
「何から何まですみません。ありがとうございます」
「……某が無理やり連れてきてしまったようなものだ、出来る限り心を砕きたいのでござる」
「いやいや、むしろ拾ってもらってありがたかったです。勉強できるし、ご飯もおやつもおいしいし、冴さんは美人だし」
少しだけ辛そうに顔を歪めた幸村くんにおどけた調子で笑いかける。だってあなたの判断は間違ってないだろう。それに、ぶっちゃけてしまえばどこかで働くよりもずっと楽だし、軟禁っていってくれたから日がな一日だらだら勉強してるこのニートな位置にも甘んじていられる。……最低だなあ、わたし。
そこまで思考してやるせなくなったわたしとは対照的に、彼ははにかむような笑顔を浮かべた。
「ありがとう。……すまない、な」
ああもう。礼を言うのも謝らなきゃいけないのもわたしの方だというのにこの男は。
湧き上がる感情を目を閉じてやり過ごす。目を開けて微笑む、ちゃんと成功したはずだ。
「どちらもわたしのセリフですよ。ところで真田さん、お饅頭はいかがですか?」
「いいのか?」
「もちろん。冴さんも食べますよね?」
「食べません。何度この問答をしたとお思いですか」
「初日から毎日で、一日当たり三回はやったから…だいたい12回?」
「………ご名答。あまりにしつこいのでお茶だけは妥協しましたけど、それが限度ですからね」
「そんなぁ。冴さんとお菓子食べながらおしゃべりしたいのにー」
「随分打ち解けたのでござるな」
「ええ、美人なお姉さん好きですから」
「それあまり関係ないですよね?」
「でも事実ですよ?」
なかなか突っ込みが上手くなってきた冴さん。すみませんコントにつき合わさせて。でもこういうアホっぽいことしてないと空元気も出せそうになくて。
くつりと笑ってくれた幸村くんを見て、ちょっと心が救われた気がした。
「では、頂くぞ」
「どうぞ。あ、真田さん、時間あるときでいいんで、文字の読み方教えてくださると嬉しいです」
「承った。基礎的なことは冴に聞くといい。他に読みたい書物などはないだろうか?」
他に。なんだろう源氏とか?でも文字読めないだろうなぁ。ああジレンマ。誰か楷書で書き写してる猛者は…いないな、普通。仮名だし。
とりあえずないです、と答えてお茶をすすったのだが、
「……………あぁでも、楽器が弾きたいな」
「楽器、でござるか」
聞き返す幸村くんに頷いて、あちらでは習っていたんです、と答える。
「チェロ、もしくはセロといって、外国…南蛮の弦楽器です。弓で弦をこすって音を出すものなのですが、こちらでいうと…なんだろ」
「胡弓、でしょうか」
「しかし、南蛮の品か…」
「ああいやいや、そんな、お気遣いなく」
悩みだした彼に慌てて手を振った。だいたいチェロはまだ過渡期だと思う。でも魔法の言葉でなんとかなっちゃうのかな。ま、あるなら弾きたいな、その程度。だってわたしの相棒はあちらの世界で待ってるし、出来れば慣れた楽器で演奏したい。
あ、もしかしたらこの時代ならチェンバロがあったりするのかも。弾いてみたい気もするけど、わざわざ輸入してもらうのは忍びないからやっぱり諦めます。
「そうか、でもせっかくだから、琴とか琵琶とかも弾いてみたいですね」
「ああ、それならすぐに用意できるでござるよ。今度持って来よう」
「…なんかもうすみません…」
ああダメだニート生活に拍車がかかっていく気がする。いや、でも、やれることがないってのも事実なんだ。二日目に冴さんのお手伝いをしてみたら、即行で戦力外通告を出されてしまったし。
気にするな、と笑う幸村くんにとりあえず笑顔を返す。せっかく楽器が弾けるんだから楽しんだほうが得だ。よし、元気出た。
今日は長恨歌を読もう。数学は放置決定。



to be continued....


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