〈2〉

佐助さんが言ってた旦那の相手っていうのは、予想通り、彼の上司である真田幸村の鍛錬相手のことだった。
おぉ、ジャニ系のイケメンを生で拝める日が来ようとは。
「あれが俺様の上司。おーい旦那!」
佐助さんは繋いでいた手を離して、広い庭でアップをしている赤い青年に声をかけた。「旦那は声が大きいから気をつけてね」という耳打ちに、素直に頷く。
気が付いたらしい青年が、槍を両手に持ったままこちらに近づいてきた。
「遅いぞ佐助!……こちらは?」
「すんませんね。なんか迷子だって。いつの間にか屋敷に入っちゃってたんだけど、自分がどこにいるのかもわかってなくてさ」
「おお、そうであったか!何、心配はいらない、こやつにどこへなりと送らせるからな!」
「あ、ありがとうございます」
「ったく、忍遣いが荒いんだからー」
眩しいほどの素敵な笑顔が見てられなくて、思い切り頭を下げた。なんだろうこの罪悪感。迷子ってのは間違ってないんだけど、いや、スケールが違うんだスケールが。
ちょっとバツの悪い顔で上体を起こせば、不思議そうな瞳とかち合う。
「変わった着物でござるな。それからその荷物は、一体?」
「俺様も気になってた。見たところ中身は書物のようだけど?」
青年がいうところの「変わった着物」を着る今のわたしは、細身のジーンズと踵の低いパンプスを履き、黒いタンクトップにカジュアルなパーカーといった割と涼しげな格好をしている。春が終わるところなのだろうこちらでは少々肌寒い。
まぁ、アレだ。ライダースジャケットとか着てる人もいるから、そこまで変には見られないんだと思う。だから興味は、どっちかっていうとバッグに移るわけだ。そういや、巾着とか風呂敷とかの時代だもんなぁ。
「えぇそうです。これはわたしの勉強道具が入ってます。こっちは財布とかの貴重品が」
教科書バッグと私物用のバッグを交互に持ち上げてみせると、目の前のお二人は沈黙してしまわれた。
え、あれ、わたし何かやらかしたかな。
「…………晴ちゃんさぁ、やっぱ家出迷子?」
「へ?え、いや、わたしは家出した覚えはかけらもありませんが」
「じゃあ何、その勉強道具って。南蛮商人かなんかの娘?甲斐で商いをしてたら迷ったとか?」
「いやいやいや、わたし商人でもなんでもありませんよ」
「なら、どこかの姫で、お忍びで来てたけど護衛とはぐれたとか」
「姫なんて身分じゃないです。一般人ですよ、わたしは」
「………今更だけど怪しすぎるよね、アンタ」
ホント今更ですね。どことなく身構えた風の二人をみて、剣呑な雰囲気にため息を吐いた。
「……わたし自身も疑いたいような状況でして、まだちょっと混乱してる部分もあるんですけど、わたしは力のない庶民であって、あなた方の害になるつもりはありませんことは確かです」
「口ではなんとでも言えるよね」
「ですね。……けど、ここがどこかわからずに混乱していたわたしの相手をしてくださった佐助さんには、感謝してもしきれません。ためらいなく微笑んでくださった、あなたにも」
戸惑ったような顔をする二人に、ありがとうございました、と頭を下げた。顔を上げて、目にかかった髪をかきあげて、ちょっと自嘲めいた笑みを刷く。
「帰り方はもちろん、帰る家すらあるのかわからないんです。ここがどこかわかった今、状況だけは仮説が立てられましたけど、それは何にも進展しないんですよね」
たとえ自分がトリップしたと気づいたところで、理由も原因も、わかりはしないのだ。
小さくため息をついて、自嘲したまま頬をかいた。
「……お時間あるようでしたら、わたしの身の上話でも聞いてくださいませんか。聞いたことのないようなお話は出来ると思います」
腕を組んだ佐助さんが、問うような視線を彼の上司に向けた。それを受けた青年は、しばらく思案するように目を閉じ、ひとつ頷くと目を開けた。
「………お聞かせ願おう」
厳かにそう言った彼は、ふと柔らかく微笑んで。
「帰る場所もわからないような、壮大な迷子をしているのでござろう?そういうときは話を聞いてもらうだけでも心休まるというもの。某たちでよければ、力になれないだろうか」
その表情が、その声が、その言葉が、優しすぎて泣けた。
泣き顔を見られたくなくて、俯いてぎゅっと目元を押さえつける。慌てたふうの彼らに、片手を振って「なんでもない」とアピールした。
嗚咽を飲み下して、無理やり深呼吸する。上手く吸えない。肺が痛い。ともすれば、またしゃくりあげてしまいそうになるのを必死で抑えて、大口を開けて空気を吸い込んだ。
なんとか息が整った。涙を拭って顔を上げる。佐助さんは困ったように笑っているけど、彼の上司はおろおろしていた。
そんな姿に、思わず笑みをこぼす。
「も、しわけありません。すみません」
「いや構わないが…もしや話せないほど辛いことだったりするのでござろうか?」
「いえ、……いいえ。だいじょぶ、です」
それはまあ、もしかしたらわたしの世界にはもう帰れなくて、家族とも友人とも二度と会えないかもしれないっていうのは、身を裂かれるほど辛いことだけど。
だけど、わたしは帰らなくちゃいけない。帰ることを諦めちゃいけない。だから、また会えるって信じてるから、とりあえず大丈夫。
これが空元気っていうのは自分が一番よくわかってるけど。
「わたしは、大丈夫、です」
一言ずつ確かめるように呟いて、頬を両手で叩いた。ぱしん、と小気味良い音が響く。
よし、気合い注入完了。
気を取り直して話し始めようとしたら、苦笑した佐助さんに止められた。
「まあまあ。立ち話もなんだし、部屋に入ろうぜ。お茶とかもあったほうが落ち着くでしょ」
「む、失念していた。客間よりは俺の部屋が近いだろう。佐助」
「はいはいっと」
佐助さんはそういうと、しゅばっ!と消えてしまった。
おおお、と口を開けて眺めていたら、くすりと笑う気配がして振り返った。
「忍を見るのは初めてでござるか?」
「ええ…物語とかで見たことは、あったりなかったりしますけど。本物は初めてです」
すごいですねぇ、と呟けば、彼は嬉しそうに頷いた。
「佐助は某の忍の中でも群を抜いて優秀なのでござるよ。いつも助けられている」
「なんでもソツなくこなしそうですもんね、佐助さん」
「ああ、自慢の部下でござる。さて、それでは部屋に案内しよう、ええと…?」
言葉に詰まった彼の言わんとするところに気が付いて、わたしは笑って答えた。
「晴、と申します」
「そうか。某は真田幸村。では晴殿、こちらでござる」
同じように笑みを返して歩き出した幸村くんの背を追った。

思ったより、心のダメージは大きかったみたいだ。



to be continued....




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