〈1〉

「お疲れー」
「また明日ねー」
学校も終わり、今日からテスト前休みのために部活もないので、足早に下駄箱へ向かう。
すれ違う友人や後輩に「お疲れー」と声をかけながら、手早く靴を履き替えた。
「よう晴、もう帰んの?」
「うん。この電車逃すと1時間待つもんで。それじゃ!」
「おー、お疲れさん」
「晴ちゃん、またねー」
駐輪場でたむろしていた同じ室内楽部の仲間たちと適当に挨拶を交わし、校門を出る。そのときにちらりと時計を確認した。
電車に間に合うには、走るほどではないけれど、ゆっくりも歩いていられない時刻。
こんなときばっかりは自転車使いたいとか思いながら、人より少し早いペースで、駅への坂道を下り始めた。


     ***


駅はもう目と鼻の先にある、大きな道路の横断歩道の前に立ち、信号が青に変わるのを今か今かと待っていた。
時間が結構やばい。
たぶん間に合うだろうけど、しかし席に座れるかは微妙なところだ。電車の本数が少ないせいもあり、いつだって混雑しているあの中で、快適に帰るためには素早い席取りが重要なのである。
やばいな、と小さく呟きながら、罪のない信号を睨みつける。いやまあそんなことしたって早く色が変わるわけでもないのはわかってはいるけど。
ぱ、と信号が青に変わった。
それを確かめた途端、急ぎ足で横断歩道を渡る。一緒に信号待ちをしていた大勢の人たちも、なだれるように歩き出した。

横断歩道を渡りきったとき、何かを突き抜けたような感覚がした。
驚いて顔をあげ、変わりきった周囲の光景を、ただ見渡した。

「……なに、これ」
足元のアスファルトは、なぜか玉砂利で。
視界の端に入る電柱は、なぜか桜の木で。
コンクリートと鉄骨で作られたビルは、なぜか紙と木で作られた家屋で。
見覚えのないそれらに、わたしはただ呆然とする。
「どこ、ここ」
「……甲斐だけど」
「…っ!?」
まさか返事があるとは思ってもみなかった。意外と近くで聞こえたそれに肩を跳ねさせて、わたしは勢い良く振り返った。
「アンタ、誰?」
オレンジっぽい明るい髪の、甲斐のオカンがそこにいた。
警戒心たっぷりな彼の表情を見て、あぁなんだか状況を理解してしまった気がする。
「突然現れたようにしか見えなかったんだけど、なんなのアンタ」
トリップ、てやつか。そんで最初は甲斐のオカン攻略から始まるわけですねわかります。それが出来たら他の武将たちにも会いに行ける、ってそれなんていう死亡フラグ。
「……答えろよ、アンタ何者?」
しびれを切らしたらしい迷彩さんが舌打ちをかましてきた。
まぁ、アレだ。何者と聞かれたら、ほにゃらら者って答えたくなるのがわたしの性でして。
「えーと……お、臆病者?」
「…………はぁ?」
呆気に取られたような表情もつかの間、彼は苦い顔で頬をかいた。
「なんなんだよ。つーか、こんな間者がいるとは思いたくないんだけど俺様。ねぇアンタ、目的は何?ここがどこかもわかんないみたいだったけど、迷子?あぁそれとも、その荷物は家出とか。というか、さっきどっから現れた?なんだか奇妙な袴だけど、アンタ女の子だよね?」
そんな矢継ぎ早に質問されても困るんですが。目的なんて特にないですよ。まぁ、迷子ってのは言い得て妙かもしれないけど。どっから現れたなんてむしろわたしが聞きたいくらいなんですが。
とりあえず、最後の質問には頷いて、恐る恐る口を開く。
「……あの」
「なに、迷子なら俺様が家まで送り届けてあげるけど」
「や、迷子といえば迷子なんですけど、思ったよりスケールの、あ、規模のでかい迷子しちゃってるみたいなんで」
「……なにそれ」
「え、と、とりあえず、今はどんなご時世でここはどこか教えていただいても、いいですか」
そう言えば、ものすごい可哀想なものを見る目で見られた。うわぁいたたまれないのでやめてくださいお願いします。
それでも彼は、ため息を吐きながら答えてくれた。
「はぁー…今は乱世だろ。そんで、ここは甲斐の虎の治める国。その居城だよ」
「………居城?」
「知ってて入ったんじゃねぇの?」
「まさかそんな、うわぁ恐れ多い…。……え、あの、お兄さん」
「なに?あ、そういえば俺様このあと旦那の相手しなくちゃいけないから、家に送るのはその後でもいい?」
「へ?いや、はい、その、え?」
「それじゃ、女の子は見ててもつまんないかもしれないけど、ちょっとだけ付き合って。終わったらちゃんと送るから」
「え、あ、はい?」
がしっと腕を掴まれて、なかば引きずられる形でどこかへと連れて行かれる。
旦那の相手、ってことは鍛錬かな。としたら行き先は鍛錬場か、広い庭だろう。そういえばここは屋敷のどこなんだ?見る限り障子は全部閉じられていて、よくわからない。そもそも昔の日本家屋に造詣が深いわけではないので、当たり前といえば当たり前なのだが。
ただ、盛りも過ぎたのだろう舞い散る桜は、きれいで。
「そういえばさ、アンタ、名前は?」
「あ、晴、といいます。あなたは」
「俺様は佐助」
「……佐助、さん」
「何かな、晴ちゃん」
掴まれた右手を、ぼんやり眺めながら、転ばないように足を動かす。
ひらり、舞ってきた花びらに触れようとしたが、逃げられた。
遠ざかる桃色に、笑みが浮かぶ。
「桜、きれいですね」
「………そうだね」
ほんの少しだけ、優しげな空気で同意してくれた佐助さんの手を、自分から握った。
なんだか勘違いされているみたいだけど、とりあえず怪しいからって殺されたりしなかったので、こっそり胸をなでおろす。これからどうするかは、鍛錬見ながら考えるとしますか。
まあ、なるようになるよね。



...to be continued.


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