〈10〉

こちらにきて初めてバサラの知識を必要とされたあの日から数日。青々とした木々の葉も、なんだか不安にざわめくように揺れていた。
近々、戦があるのだという。
詳しい話を聴いたわけではないが、人々が不安そうに話す噂話というのは案外よく聴こえてしまうもので、近くを通る女中さんたちのひそやかな囁きを耳に挟んでしまった。
とはいえ、詳細を誰に聞くことが出来るわけでもない。開け放たれた襖の向こう、中庭から吹いてくる風を衝立で和らげつつ、わたしはその陰でだらりと寝転んでいた。


     *


いつの間にか寝入っていたらしい。まだまだ容赦ない熱をはらんで差し込んでくる日差しに目を細め、寝起き特有の気怠さに呻きながらゆっくりと身体を起こすと、衝立の向こうに人の気配があった。
「……え、と?」
掠れた声をこぼせば小さな咳払いが聞こえてきた。ああ幸村くんだ、と理解した瞬間、自分の体勢を思い出して跳ね起きた。
「うわっ、すみません!」
仮にも城主の、よくしてくれているとはいえ一応命を握られている相手の前で、来訪にも気が付かず寝こけるだなんてなんという態度をとってしまったのだろう。
申し訳程度に髪を整え、寝乱れた着物を整え、衝立の陰から出ようとすれば止められた。
「そのままで構わぬ、そこで、そこにいてくだされ」
「え、あ、はい」
きょとんとしつつも言われたままにその場に座り込む。今は昼下がりだろうか、おやつ食べ損ねたなあ。そして幸村くんは何の用だろう。近々あるという戦のことについて何か説明とかしてくれるのだろうか。
彼が何かを言い出すまで待とうと、衝立に背をつけて部屋の中心に向けて足を投げ出した。
「琴を、弾いてくださらぬか」
少しして、ぽつりと彼は呟いた。城中の浮足立った空気とはかけ離れた、いつも通りの彼の頼みに少々面食らいながらも、それはそうかとひとり納得した。
わかりました、と頷いて琴を持ってきて座りなおした。衝立に背を向けたまま、天井を見上げるようにしてぽろんと弦を弾いて記憶から旋律を掘り起こす。
「今日は何にしましょうか」
これだけ城中で噂になっているというのに、戦のことをわたしが知らないはずがない。だというのにそのことについての説明がないのは、わたしが部外者だからだろう。
どことどういう戦闘が起こるだとか、彼らは出陣するのか否かとか、どの程度の期間になりそうなのかとか、どのくらいの規模になるのかだとか、そんなこと、部外者に話してくれるわけが、ないのだ。
「そうですね…では、蓮の花の歌でも」
どうして息が詰まるのだろう。こみ上げてきた嗚咽を喉の奥で殺して弦を弾く。仕方のないことじゃないか、だってわたしはどこまでも部外者で、行き過ぎた知識を持ってるがゆえに扱いが面倒くさく、そのために軟禁という形で武田に、真田に厄介になってるだけの邪魔な存在で、だから幸村くんがもし戦に出て死んでしまっても、
それを知るのは、すべてが終わってから。
「……っ」
本来ならば詩がある曲なのだが、歌わなくてよかった。静かに、深く、長く、息をする。奏でる手は止まらない。一音一音丁寧に奏でるのは、届かぬ想いに身を焦がす花の歌。心中でひっそりと自嘲した。
一瞬でも自分を重ねたことに、自嘲した。


     *


幸村くんはもう一曲と頼み、聴き終えると礼を告げて政務に戻っていった。いつもより口数が少ないことを除けばなんら変わりない日常だ。わたしは結局何も聞くことはできず、自分で出した結論に打ちのめされながら琴を片付けた。
そのまま、まただらりと横になる。そういえば先ほどの曲を五線譜に書き留めておかなくてはと思いだし、行儀悪く寝転がったまま足で引き寄せた文机から、シャーペンが転がり落ちた。
部屋の隅に転がっていくそれに反射的に手を伸ばし、しかし届かないので力なく手を下ろす。ころころと転がるシャーペンが止まるまでただぼうっと眺めていた。
「なんてこった」
口の中で呟いて、滲んできた視界をごまかすように目を閉じる。
なんてこった。冴さんも佐助さんも幸村くんも、そりゃあもうわたしにとって大切な存在になっているでしょうけども。戦に出るかも、死ぬ可能性があるのかもって思ったら心配になるのは当然の話だけれども。
「……認めて、たまるか」
好きになっただなんて、そんな冗談笑えもしない。これ以上迷惑かけられるわけがないだろう、わたし。まして幸村くんはわたしの命を握っている人であり、いかに普段は親しげに接しようとも、その点においては一国を統治する人間としての対応をしているのだから、たとえ想いを告げたところで報われることはありえない。
唇を噛みしめて身体を丸める。
心ではもう、彼への好意を認めてしまっていることはわかってる、わかってるけど、気が付きたくなんてなかった。



...to be continued.


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