〈8〉

政宗くんと友達になり、佐助さんに叱られ、冴さんと仲直りしたその翌日。
「晴殿、今お時間よろしいか?」
「はい?もちろん、大丈夫ですよ。どうしました、真田さん」
廊下から聞こえた声に返事をして、来客を出迎えるために立ち上がり、襖に手をかけたところで、
「Hello!宣言通り、また来たぜ」
力を込める前に襖が勝手に開いて、隻眼の友人をお出迎えしました。
たぶん自分で開けたのだろう彼を少々呆れた顔で見上げる。
「今開けるとこだったのに…」
「HAHAHA!お前のhipが重てぇからな」
「そういうこと言っちゃう?まあとりあえず、ようこそ政宗くん」
「立ち話もなんだ、中入れろ、中」
「それわたしのセリフ…て、聞いてないし。真田さんもどうぞ、座布団出しますね」
「………ああ」
すでに敷いてある自分の座布団を踏みつけながら、隅の方から二人分の座布団を引っ張り出して二人の前に敷いてやる。それから自分の座布団と文机をずるずる引きずって対面へと移動させ、よっこらしょと一人先に腰を下ろした。
「どうぞー。政宗くんも、……何を見てるの?」
わたしの勉強道具が積んである一角でごそごそやっていた政宗くんは、振り返って手に持ったものを見せてくる。サイドリーダーだった。
「英語の、南蛮語の小説だよ。ちょっと内容わかりづらいかもしれないけど、読む?」
「借りていいのか?」
「どうぞ。わからないとこはチェックして、また来たときにでも聞いてよ。上手く答えられる自信はないけどさ」
「そうする。Thanks」
わりと滑らかに進む会話に、少し感動を覚える。和製英語なんかは使えないけど、横文字が使えるってすばらしい。
墨で書かれたらたまらないので鉛筆を何本か政宗くんに渡したりしていると、横にいた幸村くんがぽつりと呟いた。
「……仲が良いのでござるな」
わたしと政宗くんは顔を見合わせて、
「友だしな」「友達なので」
くすりと笑いあった。

     ×××

預かり知らぬところで随分と仲良くなっていたこと、それは別段悪いことではない。現在の、このどこか張り詰めた緊張感を持つ情勢のなかで、変に関係を悪化させられるよりもよっぽどマシであることは確かだ。……なのだが。
(……どちらだ?)
二人が仲良く話しているのが、どうして腹立たしいのか。幸村はわけがわからず、時折振られる会話に適当にあいづちを打ちながら、ぼんやりと考える。
(どうして、俺は、悔しい、などと)
疎外感、は、無きにしも非ず。だが、それだけなのだろうか。もっと、何か、別の、苛立たしいなにかが、あるような。
(どちらに、苛立っている?)
琴の話を振られて、楽器を貸した経緯なんかを話せば、政宗はヒュー、と口笛を吹いた。
「聞かせてくれよ、晴!」
楽しそうな声に、びくりと肩が跳ねる。
………待て、だめだ、
「え、ちょっと、全然ヘタだから、やだなあ」
「なんだなんだ、オレの頼みは聞けねってか?」
「いだだだだ、ギブ!ギブアップ!弾くから離してくださいーっ!」
困ったような表情で断った彼女にほっとしたのも束の間、実に楽しげに彼女を締める政宗を見て、幸村はまたわけのわからない苛立ちにとらわれた。
………触るな、それは、
(それは、俺の)
握り締めた手のひらの、食い込んだ爪の痛みではっと我に返る。
今、自分は、何を考えた?
(俺の?……何が)
迷走してこんがらがった思考を、頭を振ることで脳内から追い出す。ついでに汗でも流してくればすっきりするだろうかと立ち上がり、二人にその旨を伝えて部屋を出た。
(………くそっ)
驚いたようにこちらを見上げた彼女の顔が、ちらつく。そして好敵手と認めた友人の顔が、隣に、
(くそ……!)
かたさのない会話、友だ、と顔を見合わせたときの二人の、柔らかな、笑み。
苛立ちだけがただ募る。気持ちを切り替えたくて、自らの頬を一発殴った。
(わからぬ、無意味なら、考えるな、邪魔だ)
よろめいた身体を叱咤して踏みとどまらせ、一途鍛錬場へと歩を進める。
(……引き止めて欲しかっただと?……世迷い言を)
未練がましく二人を思う自分の頭を、全力でもう一発ぶん殴ってやった。

     ×××

「………うん?」
「What's up?」
なんだか鈍い音が聞こえた気がしたのだが、政宗くんは聞こえなかったらしい。首を傾げる彼になんでもないと手を振って、わたしは琵琶を抱えなおした。
さて、何を弾こうか。とりあえず適当に爪弾きながら、どうしたものかと眉根を寄せる。
「……昔むかし、ある王国に、玉のような姫がお生まれになりました」
「おっ、なんだ、語り物か?」
「うん。遠い異国の物語。細部は覚えてないので、適当に脚色しちゃいます。さてさて、姫の誕生を喜んだ王様は、十二人の善き魔女を招いてパーティを開きました。魔女たちはひとりひとつ姫に贈り物をしていたのですが、実は、一人だけ呼ばれなかった魔女がいたのです」
じゃかじゃん、と劇的な感じの和音をかき鳴らして、わたしは声を低くひそめる。
「彼女こそ、十三番目の魔女。彼女は、自分がパーティに呼ばれなかったことに腹を立て、姫にとんでもない呪いをかけるのです。いわく」
眠れる森の美女でいいかな、と記憶を発掘しながら語っていたのだが、ふと気がついて政宗くんを覗き込んだ。
「魔女って言ってわかる?」
「Ya.巫女みたいなもんだろ」
「うん。じゃ、続き行くね。呼ばれなかった魔女は、祝いの言葉のかわりに呪いを吐いたのです。姫が十八になったとき、姫はつむに刺されて死ぬだろう!」
フラジオレットで高音を弾き、徐々に刻んでいく。
「魔女の呪いに、王様たちは打ちひしがれました。このままでは姫は十八で死んでしまう。嘆く彼らを慰めたのは、唯一贈り物をしていなかった十二番目の魔女でした。彼女は言います。姫は死にません。ただ、百年の間、深い眠りにつくだけです」
何か言いたげな政宗くんを目で制して、わたしは声のトーンを上げた。
「王様は城中のつむを焼き捨てました。ところが、十八になった姫は、王様が出かけている間に、唯一残っていた古いつむで指を刺してしまったのです」
「待て!ちょっと待て!Wait!それ変だろ、おかしいだろ!なんで残ってんだ!いやその前に、呪いを無効にすることは出来なかったのかよ!あとお前、バチはどうした!それ琴の爪だろ!」
「ええい、ツッコミ禁止!いま裏づけしたってつまんない細部でしょ、そこは!そういうところの解釈は後で話す!あとバチは苦手だ!」
「くっ、この……続きだ!」
「よしきた!」
堪えきれずに突っ込んできた政宗くんを理不尽に言い負かして、弾き方も何もなってない琵琶を爪弾きながら、エンディングまで話してやった。話し終えて、おざなりな拍手の後は予想通り彼に質問攻めにされた。かつて読んだ童話の解釈集の記憶をサルベージしつつ、自分の解釈も交えて答えれば、一応満足してもらえたらしい。
「Hmm…なるほどな、そういうふうにも取れるか……」
「ただまあ、完全にご都合主義じゃないとは言い切らない」
「ああ、だろうな。だからこそ面白いとも言える」
「それは言えてる」
「琵琶も、上手かったぜ。弾き方おかしいけどな」
「う、うるさいな。やってみたらド下手だったんだからしょうがないじゃん」
これがまた、びっくりするほど弾けなかったのだ。指南してくれた冴さんが唖然としていたのが印象深い。これは無理だと早々にバチを諦めて、琴の爪で弾くことにした。まだマシに弾ける。
「じゃあ今度は琴を弾いてくれよ」
「うん、また今度ね。今日は終了します」
「Oh…宴か」
「そうそう。だから、またね」
「お前は行かないのか」
表向き、良いところのご令嬢なんだろ。そう言った政宗くんをきょとんと見返して、そういえばそうだったねとわたしは苦笑した。
「ご令嬢さんは記憶が混乱してるから作法とかわかんないんだ、きっと。………どこまで知ってるの、政宗くん」
「表向きに通ってる身の上が嘘ってとこまでだ。お前の正体は知らねえ」
「それなら一安心。さすが真田さん。わたしもボロ出さないように気をつけなくちゃなあ」
「まだ話すつもりはねえか」
「ないねえ。もしかしたら来世になっちゃうかも」
「HA!オレはそんなに気の長い男じゃねえよ」
くすくすと笑いあいながら、この妙に心地いい腹の探り合いを楽しむ。どうしても他人との間に一線を引いてしまうわたしだけど、政宗くんとの間にあるのはひどくわかりやすいものだ。その気になれば、越えられる。これを越えられるくらい彼と仲良くなれる日が来るのかなあ、来たらいいなあと微笑んだ。
「それじゃ、準備もあるしオレは失礼するぜ」
「うん、またね」
ゆるりと手を振りながら廊下に消えた彼を見送って、振り返していた手を下ろす。傍らに琵琶を置き、文机を引き寄せて、乗せてあった教科書やプリントをずり落としながら突っ伏した。
寂しくないといったら嘘になる。幸村くんも佐助さんも政宗くんも、冴さんもいない。一応離れには寝ずの番をしてくれている兵士がいるが、頻繁に交代するので一人ひとりを覚えていられるわけがない。知り合いは一人もいない。ひとりぼっちはさみしい。寂しい。
「…………寝よ」
東窓のために西日の差さない部屋は、もう十分に暗かった。



...to be continued.

back

- ナノ -