プラトンの想起沢田綱吉は、何度か通ったことのある廃墟の荒れた廊下を、早足で歩いていた。その心中では感情がまざりあって、気分は真っ黒に近い。 大扉を開けば傷んだフローリングが床一面に広がっていた。その中央に置かれたソファに骸が座っている。肩越しに綱吉の方を振り返った。 「おやおや、いらっしゃい、綱吉くん。連絡くらいいれてくれたらよかったのに」 骸は相変わらずうさんくさい笑みを浮かべて、手を振る。綱吉はつかつかと骸に歩み寄っていった。 「お前、わざとやってるだろ」 「別に、構ってもらいたくて君の目に入るようにあれこれ画策しているわけ……ではないんですよ?」 次のいたずらを考える――そう骸が言ったのが数日前で、すでに新たな「いたずら」の被害が綱吉に及んでいるのだった。 「あのなあ!こっちだって暇じゃないんだぞ!」 そういえば、数日前の骸も「僕も暇じゃないんで」のようなことを言っていたな、と思い出して綱吉はうんざりする。骸の言葉遊びに乗せられていることを否応なしに分かってしまうからだ。 綱吉はソファの周りを迂回して、骸の正面に立つ。 ――本当は、綱吉にとっては、今回の「いたずら」に構ってやって骸に会いに行くのに比べて、宿題のひとつやふたつを終わらせる方が幾分かはマシなのだ。精神を擦り減らす量を比べて、である。 そうはいっても、骸をどうにかしないと、落ち着いて宿題もできないのだった。文句を言いにきたのだ、今日は。 「日中に邪魔してくるんなら対処しようと思えたかもな。でも、安眠妨害は反則じゃないかあっ!?」 「はて、困りましたねえ。僕が、一体、君になにをしたっていうんですか?」 骸は綱吉を見上げて、ニヤニヤと笑っている。性格の悪さはボンゴレファミリーでトップクラスだな、と綱吉は本気で頭を抱えた。 「ゆ、夢見が、悪い。夢に必ずお前が出てくる」 「へえ、それで」 「絶対にお前の仕業だ……!毎日毎日お前の夢なんておかしいだろ!」 「僕が夢に出てくるだけで夢見が悪いと言われちゃうなんて悲しいですねえ」 「お前が夢のなかで、……は、ずかしいことしてくるから、お前に決まってるんだよ!」 「恥じらっちゃって、かわいいですね。オトコノコなのに。さらにいえば夢の中での素直な君は、もっとかわいかったな」 精神直下に大打撃を受けた綱吉は、うめき声をもらしながらその場に崩れ落ちた。 「うう、本当に迷惑してるんだよ…!信じられないくらい迷惑してるんだから……!」 「朝の処理が大変で?」 「あああ!もう!」 綱吉は涙目で骸を睨んだ。骸はソファに踏ん反り返って、優雅に足を組み直す。 「夢とはいわばイデアの世界だ。理想の環境は夢でこそ作り上げられるんですよ」 心にざらつきを感じて、綱吉は顔をしかめた。 ――じゃあ、あれは一体、だれの願いだというんだ。 「もしも君が僕と過ごすことを望み、それが君の理想というのなら、僕の理想は君のとは違います。君の理想を崩した先に僕の求める世界があるのだから」 綱吉は以前の骸の言葉――二人が幸せになるよう努力してみろ、そしてそれが不可能だということを示してやる――を、思い出していた。それから、確かにそうかもな、と納得して、 「……大丈夫だよ。俺の理想は、お前の側にいることじゃないから」 と告げた。 骸の目が、たまゆら見張られた。 「俺の願いは、お前を自由にすることだから。それでもお前は、俺の理想を否定するの」 すぐに貼付けた笑みを取り直して、特に取り乱した風もなく、骸は例によって演技くさく、悲しみの声をあげた。 「こんなにお互いのこと大事にしてるのに、僕たちは一生分かりあえません。そんな気がします」 「そうかな」 「そうですよ」 骸の声が僅かに低くなる。 綱吉は立ち上がって、もう一度骸を見下ろして、微笑んだ。 「いっぱい話そう。お互いの理想も、現実も。分かりあえませんって言うのはそれからだ」 骸はやれやれといった風に被りを振って、ため息をついた。それから、その日初めて不機嫌な態度を剥き出しにした。 「君のイデア論だけは理解したくもない」 そう、低く呟いて。 その日の晩から、綱吉は安眠を取り戻したという。 2012.9.25 |