shouldの恵撫




気まぐれに居座り、気まぐれに去り、しかし自分の居場所だけはきちんと空けていく。いつでも帰ってこれるように。帰ってきたときにその洞穴に棲まうために。
半ば、帰ってくることを期待しているのだと綱吉は知っていた。だから洞穴に土を被せたりしない。むしろ身を呈して守ってきたとすら思える。
気まぐれに棲まう男は、穴熊だった。
そしてその穴を守る自分自身は――そのままの意味で――同じ穴の貉というか何と言うか。
ああもしかすると、実はその穴は蟻地獄で俺は飲み込まれたのだろうか。そんなことを思った。
いずれにせよ、動かなくてはいけない。
骸が帰って来たのだから。



実に九ヶ月ぶりの顔合わせとなった。穴熊は――骸は、蒸発する前と何も変わらない様子で、当たり前のように綱吉の家に居た。
眠っている綱吉を揺すぶり起こし、会いたかったですよと首筋に顔を埋めてくる骸に、綱吉は呆れ果てた。
――どれだけ時間とお金を費やしても、それが一瞬にして消え去るときがある。死だ。
一方で、どれだけ時間とお金を費やしても、手に入らないものがある。愛だ。
こうやって考えてみると、死と愛は、やはり両極端で、それ故に似ているものですねと、九ヶ月前の骸が言っていた。
だから僕は、自分のために時間とお金を使います。骸は、そう言う。そう言って、自分のために時間とお金を浪費して、洞穴から吉行に出る。

「今までどこに行ってたの」
「橋を見に行きました。あと山に登りました。空は白いんですね」

それから君も白いです。と付け加える。肩に痛みを感じた。
聞かれたくないから答えがちぐはぐなのか、答えられないからちぐはぐなのか。それとも、答えなんて存在していないのか。
チリチリと胸の底を燻らせる一本のマッチ棒は、その炎を肥大させようと目論む。――まるで瞬間的な衝動のようだった。綱吉はその衝動の抑え方を知らなかったのではなく忘れていた。飽くまで動物性を醸して。
ベッドに寝転がっていた身体を起こして、骸と向かい合う。逡巡は無く、下唇を狙った。
あってもなくても変わらない存在、ある助動詞。唇って、そんな感じなんだろうかと、熱を孕む頭で思う。
そんなことは無いと思いたかった。ただ熱を交換する道具であったとしても、欲を誘う装飾品であったとしても、愛を知るためだけに存在しているのだとしても。
むしろそれだけで十分なのではないか。
だって唇が無ければキスはできないのだし。
助動詞は助動詞なりに、存在意義を貫いているのだから。

「骸に空けられた穴は、骸にしか埋められないんだよ」

骸は、ベッドの上でしか見せない顔に変わる。蛇を連想させる顔だ。
綱吉も、真意はそうではないのだから恥じることはないのに、酷く低俗に感じて赤面する。
だが、いつ消えてしまうか分からない骸には、言わなければならないことがたくさんある。

「俺は、お金じゃ買えないから。でも、骸をくれるならあげる。俺は、骸でしか買えないよ」

骸が動揺した――瞼が震えて、綱吉を凝視する。きみ、自分が何を口走ってるか分かってますか。揺れる声で尋ねる。それから、綱吉の額に唇を付けて、躊躇いながら呟いた。

「朝焼けの綺麗な場所を――……。一応、写真撮ってきてるんですよ。見せるつもりはなかったんですけど」

骸は詳らかには言わなかった。だけれど、言わんとしている旨は掴めた。恥ずかしさに埋もれたくなる。
それでも、すっぽりと抜けた穴が塞がるのを感じる。甘い液体が氾濫しそうな感覚。
――主語と動詞はキスしてるんだ、なんて素面では考えつかないようなことを甘い脳で思い、省略されていてもそれは「穴」なのではなく、昇華に似た普遍性を手に入れるに違いなかった。見えなくてもエスとブイは結ばれていたのだ。
或いは、その距離すら愛おしいと感じるほどに。



以降、骸は一人で出かけることはなくなった。仕事中の綱吉を連れ出すようになったので、善し悪しの判断はしかねる。
――もう穴熊の住みかは埋められたのだろうかと、ふと思う。
思ってから、思考を手放した。今からデートに行くのだから別の事を考えるのは勿体ない。
綱吉はこれから穴を空けに行く。骸とお揃いのピアスをつけるためであり、それは恵撫。





2011/5/9