その日の目覚めは、いつもと違っていた。
まるで金縛りにあっているように、身動きが取れない。息苦しい。呼吸すら辛い。
あ、と息を漏らしたときには、自分の身に何が起こっているか悟った。

「君はいつまでもお子様ですよね」

彼は自身の唇を親指で拭う。俺の腰を跨いだ姿勢、濡れた唇、赤ら顔。彼の様子から理解できる。
キスされていた。骸に。
頭の重みを枕に預けたまま、骸を見上げる。目が合うと彼は花が咲いたように微笑んだ。
俺の唇を一舐めして額にも口づける。

「いい加減自立しましょうね、ボンゴレ」

ある程度して、これは夢だと気づく。骸は死んだのだから、もう目の前に現れることはない。骸を失ってからいままで、俺は夢の中で骸の記憶を追い掛けることだけでしか、その姿を見ることができなかったのだから。
しかし、今日は明らかに、骸が意思を持って俺に話しかけてくる。それなのにいつもどおり夢の中で俺に発言権はない。俺に話し掛ける骸なんて、もう二度と見られないかもしれないのに、何も言葉を返せない。

「もう君は一人で起きられるでしょう。いつまで僕に頼るつもりですか」

彼は目覚まし時計を枕元から拾い上げた。没収です、とにこやかに微笑んで。
そこで夢が終わる。









目が覚めても信じられなかった。
目覚まし時計が消えている。
呆然としているときに自宅の呼び出しベルが鳴り、ハッとした。

「お届けものです」

配達員から渡された一辺が十センチほどの小さな箱を受け取った。

「誕生日プレゼントだそうなのですぐに開封してもらいたいそうです」
「あの、差出人は」
「お誕生日おめでとうございます」

見知らぬ俺を祝ってくれた親切な配達員は、肝心なことは何も答えず笑顔で去っていった。
差出人不明のその箱は、結構な重みがあった。今日は俺の二十二歳の誕生日だったので、母からのケーキかもしれないと思い、玄関で靴を履いたまま蓋を開けてみた。

チッチッ、と、決して狂わないリズムで文字盤が点滅する。さっき無くしたと思った、俺と骸の目覚まし時計。

「なんで、これが」

どのくらい見つめていたのだろうか。突然、画面の数字が変わったことで我に返る。
“01:00”と表示された。規則的なリズムで数字がどんどん減っていく。00:50になった。
時間が経つにつれて、胸が痛くなった。

00:45。玄関から飛び出して辺りを見回すと、さっきの配達員は道路を挟んだ向こう側に待ち構えるように立っていた。

「骸、骸っ、お前、骸だろう!」

考えるより先に、俺はがむしゃらに叫んだ。配達員はにこにことして答えない。

「何なんだ、一体、お前、なんで、どうして」

00:30。

「何を考えている。いますぐこれを止めろ。お前が遠隔操作してるんだろう!」

配達員は身動きもしない。

「骸、お願いだから、止めてくれ!」

00:15。
液晶と配達員を交互に見る。彼は微笑して、嘆息をついた。

「じゃあ、少しお話をしましょうか」

カウントダウンは00:10で止まり、彼は俺を手招いた。俺は道路を渡って、配達員――骸の正面に立った。

「お久しぶりですね、綱吉くん」
「本当に、骸なんだな」
「君はもう、一人で起きられますよね」

話が噛み合わない。眉をしかめた。

「もう僕が居なくても平気ですよね」
「何を言ってる」
「だから、僕を忘れてくださいって言ってるんです」

骸は俺が握っている時計を指差した。俺も時計を見た。00:10。

「まさか、嘘だろ」

その目覚まし時計は、一度も狂うことなく、毎朝俺を起こしてくれた。幸せな夢を、骸の記憶を、毎日欠かすことなく見せてくれた。
寂しい朝を迎えることがなかったのは、目覚まし時計と夢のおかげだったのだ。

「今まで見守ってましたけど、君は過去を振り返ってばかりで、僕が死んでもう二年も経つのにまだ骸、骸、骸って……そういうの迷惑なんですよ」
「違う、俺は、骸との思い出があったから、立ち直って、ちゃんと……」

生きてきたんだ、とは言えなかった。骸の言った通りだった。骸との思い出に依存していることなんてとっくに分かっている。

「でも、好きなんだ、まだ。ううん、ずっと!」
「僕を忘れて、ちゃんとマフィアするんですよ、綱吉くん」
「そんなの骸の我が儘だよ! 俺の気持ちも知らないで!」
「君こそ僕の気も知らないで。したくても成仏できないんですよ、君がそんなだから」

言い訳を探しても、何も言葉が見付からなかった。

「綱吉くん。最後の賭けをしましょう」
「賭け?」
「君が僕を思い出したら、僕は君の願い事を一つ聞いてあげます。思い出さなかったら僕の勝ち」

骸は俺の頭に手を乗せて、優しく撫でた。
そのとき、脳裏を過ぎったのはビアンキだった。
ある記憶――七年前の、十五歳の誕生日のこと――を思い出した。なにもかも、偶然ではなかったんだと知る。

「いいよ、乗る」
「記憶を消さないでって言わないんですね」
「俺は、その賭けに、絶対に勝てるって知っているから」
「へえ。では、君の願いを聞きましょうか」

再びカウントダウンが始まる。十秒しかない。何を頼むかなんて、考えるまでも無かった。
そう、あの時計は、十五歳の沢田綱吉の幸福を祈った者――俺からの贈り物だったのだ。