催眠術の日





予期せぬ来客だった。
俺は、寝巻き代わりのスエット上下で、ベッドの上で正座した。休日の昼過ぎ――寝起きである。
「お久しぶりですね、沢田綱吉」
「ひ、久しぶり、って!他に言うことは?!」
珍しくも正面、ドアを潜ってやって来た(以前は窓からだった)骸は、わざとらしく申し訳なさげな顔をした。
「すみません、お邪魔しますが先でしたね」
「そういうことを言ってるんじゃねえよ!!」
半ばツッコミ本能のままに、枕を奴に投げつけた。軽く首を傾げる程度の動きで、美しく避けられる。さらさらと流れるミディアムな蒼髪すらも絵になるようだった――。
はたとして、大きく頭を振る。
「何しに来たんだよ!今日はどんな嫌がらせだバカヤロー!」
俺は決して忘れた訳ではない。骸の数々の嫌がらせ――もといイジメを。
発端はバレンタインデーの夜中の出来事だった。
死人のような顔色の骸が、例によって窓からやって来た。何事かと思えば、奴は一言だけぼそりと「チョコが不足してます」と言った。
お前の顔はチョコで出来てるのか?と尋ねれば、あんぱんとチョコを一緒にするなと怒られた。一応、日本の常識は有るらしかった。そのくせ非常識な事ばかりするくせに。
骸はチョコをねだった。だけど、我が家にチョコは常備されてないし、深夜にコンビニに行くのも躊躇われた。
「ごめん、チョコない」
寝ぼけていたのもあり、その後の記憶は無い。そのままベッドに潜り込んだに違いない。
何が直接な原因になったかは、俺には分からない――が、理由ができたのは間違いなくその日で。
以来、毎日のように陰湿なイジメが――掛け布団をめくるとぬめった生き物がいたり、お弁当が空になっていたり、電波時計が狂ってたり――施された。およそ1ヶ月である。謝ろうにも怒ろうにも、奴姿を見せなかった。
そんなこんなで、3月21日である。
「さて沢田綱吉。今日が何の日か知ってますか?」
「春分の日です」
「0点」
「100点だろ?!」
思わずカレンダーを見た。赤字で数字の下に春分の日と書かれてある。紛うことなき春分の日だ。
「ちなみに、バレンタインデーから1ヶ月と1週間またはホワイトデーから1週間という答えは30点です。まあ、あながち間違いではありませんからね」
じゃあ春分の日も間違いじゃないだろ、と心で突っ込みを入れた。
――と。こんなことをしている場合ではなくて。骸の仕掛ける嫌がらせの真意を尋ねると回答はシンプルだった。
「君が僕を怒らせたから」
「俺、骸を怒らせるようなことしてないと思うんだけど……」
「はあ?」
声ががらっと変わった。明らかに骸が機嫌を損ねたのが分かる。額に冷や汗が滲んだ。
陰険に眉間にしわを寄せて不良というかマフィアというか、人を殺せそうな目をしているに違いない。恐ろしくて顔を上げられないから分からないけれど。力強く、スエットのズボンを握り込んだ。
「言いましたよね、今日はバレンタインデーから1ヶ月と1週間後またはホワイトデーから1週間後だって。分かります?最終リミットから1週間経ってるんですよ沢田綱吉」
「は、はい……?」
「バレンタインにわざわざ僕自ら受け取りに行ったのに準備してないわホワイトデーも待てども待てども貰える気配はない。舐めてんですか…?ぶっ殺しますよ」
「遠慮します骸さん!!」
全力で拒否りながら、内心では半泣きだった。
――なんでチョコごときで殺されなきゃいけないんだよ!
骸なら女の子から抱えきれないほどのチョコを貰えるだろうに。男として羨ましい限りだ。
「いくらチョコ好きだからって際限なさすぎるだろ?!貰えるなら誰でも良いのかよ!」
「僕は何時だって君一筋ですけど!?」
何言ってンですか馬鹿なんですか、と続いた。さらりと言われたからさらりと頭から抜けて行った。
「え?何?」
「だから、僕は何時だって君一筋ですけどって。耳まで悪いのか君」
真顔の骸と目が合った途端に額を青くして、正座のまま後ずさった。
「え?!お前、いまなんつったよ!最強の嫌がらせか何かか?!何言ってんのお前ええええ」
「好きな人からチョコ貰いたいのは道理に適ってるでしょう。まさか気付いてなかったんですか?」
コクコクと頷いた。というか、気付かなくてよかったのに、今も。
「まあ、そういうわけで、バレンタインとホワイトデーの恨みですから」
にっこりと、普段の骸からは想像も出来ないような輝く笑顔をはりつけて、楽しげに笑い出した。
「今日はね、催眠術の日なんですよ。君は僕にチョコをあげたくなる。必ずね」
そう言って、骸はジーンズのポケットから糸を通した5円玉を取り出した。
「大丈夫。気持ちなんて後から着いてきます。君は僕を好きになりますよ」
ぶるると背筋に悪寒が走った。
逃げられない恐怖というより、骸の言った言葉――僕を好きになる――が何となくリアルに聞こえたのが恐かった。そして抵抗しようとしない自身が一番恐ろしい。脳裏がちかちかと明滅する心地。
催眠術をかけられるより以前に――チョコをあげたくないなんて言ってないのだけれど。
「骸のは催眠術っていうか、脅迫だぞ」
しかも、かなり悪質な。
まるで、自白を迫るみたいに。



2011.3.21