見つけてくれたなら



闇夜が浮かぶ路上の上に立ち尽くしていた。空を見上げる。何も見えない。星一つない重たい空だけがあった。
二度目の干渉弾を使って訪れた地は、以前と違っていた。
立ち並ぶ箱のような家が、大路を挟んだ両側果てしなく続いているのがわかった。その家々から、賑やかな団欒の声が聞こえる。思わず我が家の様子を思い出していた。
幸せな気分になって、道路の真ん中を大股で歩く。
すると、一軒だけ、電気のついていない家を見つけた。気になって近づく。
「××××」
中から、女性の声が聞こえてきた。聞き取れないから日本語ではないようだ。
「××××」
次に男の太い声が聞こえた。やっぱり言葉はわからないが、声を荒げている。
ざわつく感情に胸が締め付けられた気がしたと同時に、ドアが開かれた。
「二度と、だれが、お前なんかを!!」
急に日本語での罵倒が聞こえてぎょっとした。
声の主――まだ小さな少年だ――は、後ろにいる女性に押し出されるようにしているが、ドアノブを内側に引っ張って必死に抵抗している。痺れを切らした女性は少年の背中を蹴飛ばして追い出した。勢いよくドアは閉められ、鍵のかかった音がした。
気づけば俺は路上に座り込んだ少年の肩を掴んでいて、その顔を覗き込んだ。
確認するまでもなかった。ブルーブラックのストレートヘア、髪よりは純度の高い青の瞳はもちろん、変わらない髪型もそう。あまりにも骸だった。
「ねえ君、あの女の人は?」
「母親。男ができたので僕は用無しだそうで」
「そんな!」
「いえ、あれとは血の繋がりはありません。初めに捨てられてから誰かに拾われてその旦那がどこかに売り付けて……」
それ以上は聞けなくて、無造作に目の前の子供を抱きしめた。とても冷たい体をしていた。
「あの、おにいさんは誰ですか?」
「俺?俺は……」
――友達?未来の上司と部下?守る者と守られる者?
全部、しっくりこない。
「……ただの通りすがり。君が転んだのが見えて、助けたかっただけだよ」
「そうですか」
骸は表情を変えずに立ち上がった。
「これから行くところがありますので。さようなら」
「待って!それって、マフィアとかじゃないよね……?」
骸はきょとんとして、ここで出会って初めて笑った。
「マフィアのなにが悪いんです?前の主人に紹介してもらったんです。僕はもうすでにれっきとした構成員ですよ」
スタスタと歩き去る骸を追い掛けると早送りのように風景が変わる。
気づいたときには森の中に入り込んでいて、さらには巨大な石造りの研究施設の入口に立っていた。
骸は我が家の門を開くように簡単に入り込んだ。骸の怪訝な視線を受けたがすぐにそらされた。
廊下を歩いているときに、それまで黙り込んでいた骸が「おにいさんは幽霊なんですか?」と俺に話し掛けた。
「え?」
「もう5個くらいセンサー通りましたけど、鳴りませんでしたね」
「えっ?!」
「もしかしてエストラーネオの身内だったりします?」
「いや……。いや、ゆ、幽霊だよ!!」
「ずいぶんと世話焼きの幽霊がいたものです」
「あははは……」
俺は何となく足元を見遣った。幽霊のごとく、影がついてなかった。
――ここはおそらく、骸の過去の記憶。俺がその記憶のなかに入り込んで、そして、骸の過去自体に干渉することもできる……それが本来の干渉弾の効力なのだとようやく気づく。
「エストラーネオの人たちは、とても優しいです。ここにいて良いと言ってくれました。僕の居場所はここなんです。だからあんな女はどうでもいい」
何も言えない。
これから先骸がどうなってしまうか、俺は知っている。だけど言ったとして誰が信じるだろうか。こんなにも愛されていると盲信している少年に、お前はモルモットにされるだけだと言ったって。
それから、俺には骸の過去に干渉する勇気はなかった。それって骸を冒涜することにならないのか。過去を捩曲げて得た何かは、果して幸せだろうか……。
精一杯の作り笑いを貼付けて、骸の頭を撫でてやることしかできない。



次の記憶は、搾り出すような悲鳴から始まった。
びくっとしたのは俺だけではない。隣にいる見知らぬ少年は目に見えるほど体を震わせている。怯えるのが骸ではないと安堵したつかの間、
「死んでも殺してやる!!!」
と、聞き覚えのある声で憎悪の言葉が吐かれた。はっとして中央を見遣る。
ベッドの上で手足を拘束されたオッドアイの子供が、泣いていた。少し成長している。何年かの時が流れていた。
「今まで、ずっと……ずっと!お前らも、汚い人間と何も変わらない、人間は、みんな、」
骸の目は絶望に暮れている。ベッドに固定されている骸は、天井からぶら下がるライトを呆然と眺めていた。
骸の視線が動く。エストラーネオの人間を見る。骸の視線は恐ろしいほどに冷たかった。そして無感情でもあった。
やめろと叫びだしそうになる瞬間、骸の目が「一」の文字を宿す。
後の流れは早かった。まず拘束を壊し、自由になった骸はメスを握る。あとは俺が知っている通りの光景だった。
骸と戦ったときに見た光景と同じ。俺が感じたことは、ちょっと変わっていたけれど。
前は同情だった。かわいそうだと思った。
けれど今は、心から、骸を愛したいと思っていた。すべて投げ売ってでも骸を抱きしめずにはいられない、そんな衝動だ。
すべてを終えた骸はその場に座り込む。メスを適当に床に放り投げた。
「骸」
「……おにいさん?」
俺の存在に気づいた骸が、顔を上げた。俺は正面から子供を抱きしめてやった。
「骸が怖かったのは、自分だったんだね」
骸の狭い肩に額を埋める。骸に泣いていることは悟られたくなかった。
干渉はしない――しないけれど、これくらいの関わりだけなら許されてもいいじゃないかと思ってしまうのは甘えだろうか。



初めに干渉弾を使って訪れた真っ暗な世界にいた。星がまたキラキラと浮いている。一つ違うのは、目の前に骸がいること。ただし子供だ。
「……以上があなたの知りたがった骸の過去です。あなたにどうにかできる問題ではないと思いますが」
「骸は、お母さんに追い出されるとき、抵抗してた。愛されてるって信じたかったんじゃないの……?」
「違います。あんな人間には嫌味の一つや二つを残さないと出ていけなかったからです」
「エストラーネオを殺したのは、ずっと愛されてるって信じてた人たちに裏切られて悲しかったからじゃないの」
「違います、人間をモルモットとしか見ていないやつらが憎かったからです」
骸の返事は全然嘘っぱちだと超直感なんてなくても分かる。でも骸は、嘘ではないと自分を含めてだましているつもりなのだ。
――それって救われない。
「骸は、お母さんもエストラーネオのことも、好きになってしまった自分をごまかしたくて嫌ってるだけだよ……。好きでいる自分を認めるのが怖いから、嫌いって言い訳使って逃げてるだけだよ!」
ぴくっと骸の眉間にシワが寄った。唇を噛み締めていた。
「骸は、愛されたかったんだよな、ずっと……。ううん。みんな愛されたいんだ。当たり前なんだよそんなこと。なんにも恥ずかしくなんかないんだよ」
「僕は、もう、そんなの、ほしくない」
「それでもいいよ。俺が、お前に勝手にあげたいだけだから」
――なあ、骸。
もう、偽らなくて良いんだよ。
無理矢理嫌いにならなくてもいいんだよ。憎まなくていいんだよ――。
膝をついて、骸をできる限り優しく抱きしめた。
「もういいんだよ。これからは俺が骸を守るから。もう心を傷つけさせないから。だから……」
目の前の小さな骸は、俺より何倍も脆くて繊細な少年のトラウマそのものだ。自分を傷つけることでしか存在を確かめられなかった心は、成長することのないまま摩耗し、今にも擦り切れそうだったに違いない。
忘れたいのに、忘れないことが唯一の免罪符になりうるような、重い枷を引きずって生きてきたのだ。
「今までありがとう。骸を守ってくれて」
「……僕が消えても、過去の記憶や事実は無くなりませんよ。むしろ抑圧していた記憶を呼び起こされて苛立ったあまり、君を殺すかもしれません」
「どうかな。帰ってみないと分からないや」
「……骸はあなたを求めています。でもあなたが裏切るのを、それ以上に怖がっています。僕が言えるのはこれくらいです」
骸はその言葉を最後に消えた。俺は目を閉じる。暖かい滴が頬を辿った。


(title:逆睫)

prev next

 

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -