法廷。


覚えている。

そのスペースは確かに形で存在していた。手で触れるとつるりとした手触りと冷たい温度。磨かれた木の質感が指をなぞった。後ろを振り返ると厚い板張りの壁が下半分。壁紙との境目には丁寧な装飾が施されていて。それも指でなぞって、それから思いついたようにオレは息を長く吐き出した。凛、とした空気がそこにはあった。朝の湖畔のようなぴん、とした空気の張りにじわりと鳥肌が立った。傍聴で訪れて入廷した時とは明らかに違う。法廷。その名前と雰囲気を初めてきちんと自覚した。思わず両手をズボンで拭う。目線を上げると同じようにもう一カ所磨かれた机があるのが見えた。知覚した瞬間凄くドキドキした。検事席だ、と声に出さずに唇を震わせる。ここに検事が立つのか、と思う。これが法の下りる場所だ。今までずっと遠くにあった検事席が、弁護士席が、被告人席が、裁判官の席が、天秤が、すぐ触れることのできる位置にある。生きている。この場所でオレは喋る権利を与えられている。判決を変える力を持っている。思わず握っていた両手を開いて、もう一度掴む。言葉にはならない、何にも代え難い感情が全身を渡った。困惑はないというと嘘になるけど、それよりも何かでかい感情がオレを浸している。それはぴりぴりする代わりにとてもどきどきするものだった。もう一度手のひらの汗を拭う。

「オドロキくん、こら、落ち着きなさい」

頭に手が乗せられる。隣を見上げるとそこには苦笑を浮かべた上司が立っていた。いつもの質の良い群青のスーツは今日もすっきりと着こなされている。頭を撫でる手を少し味わってから、こちらもちょっとした苦笑いを浮かべる。
「すいません、オレ、嬉しくって」
「…まあ、気持ちは分かるけどね、」
私も初めてここに立った時は同じことをしたものです、と上司は目を細める。それから、頭の上の手を離して言った。でも視線はオレではなく壁の方を向いている。その目は正に弁護士の目で、オレは胃の下辺りがすん、とするのを感じた。
「分かるでしょう、」
「…え」
「この場所では、真実が一番強いんだよ」
「…はい」
「常に真実を求めていなさい、小細工はいりません。それだけでいい」
「、真実」
「…ええ。ここだと説得力があるでしょう?」
「はい!」
「…まあ今日は私がするのを見ていれば良いのですがね」

裁判が始まって、検事が向かいに立って裁判長が高い席に座って、オレは、ひたすら目と耳と、全部で法廷を感じた。隣で鮮やかに指を突きつけて矛盾を指摘する先生も。言葉を探して言いよどむ検事も。木槌の響く音も。証人を追い詰める緊張も。
「異議あり!」
響いた隣のバリトンに震えたことも。空気が弾力をなくして一気に張り詰めたのを肌で感じたのも。結局、オレは書類を握りしめたまま、一歩も動けなかったのも。先生から意見を求められた時も、上手く舌が回らなくて、言いたいことは全部細切れになってしまったのも。あの言葉も。

全部、全部今も覚えている。



(それは遠い日の、)

______

私の尋問なら何度か見たことが〜っていう4ー1の先生の一言からヒントを貰って。
何事も初めてのは世界の広がる感じがするものよというイメージだったけれど上手く伝われば嬉しいです。

2011.02.26

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