嫌いな理由

彼に会ったのは、とてつもなく久しぶりだった。

久しぶりに裁判記録を借りに行って、久しぶりに牙琉検事を見た。でも見るのは久しぶりじゃないかも。たまにテレビを点けると、そこには良く牙琉検事が居る。PVで歌ってたり、トークで笑ってたり、彼の顔とは意外と良く会っている。
「あ、オデコくん。」
牙琉検事もこちらに気づいたらしい。書類を抱えたオレに颯爽と近づいてくる。
「久しぶりだね」
「ええ」
一応は。と口に出さず呟く。この人は今アーティストじゃなくて検事だ。不思議なことにミリオンセラーを3つもかっ飛ばしたアーティストと検事局の若きサラブレッドは同一人物。どっちも、苦労したってそう簡単に手に入るモノじゃない。彼の才能と努力は尊敬するし憧れる。でも。
「ねえオデコくん。今度新曲聴きに来てくれない?」
「え、オレちょっとそういうのは」
「こういうのはね、素人の意見が大事なんだよ」
「し、……行きます」
「え」
「行きます、って言いました」
「本当」
「本当です」
「嬉しいなあ」
このひとは、全体的に言うと、嫌いだ。ちなみにこの嫌い、は好きじゃない、っていう意味ではない。好きじゃないのは興味ない、と等しい。嫌いと興味ないは違うんだ。どういうわけか言葉にし辛くてうやむやで曖昧だけど、嫌いだ。いつか言葉に出来る日が来るだろうか。その日は直ぐに別れた。

事務所に戻るとみぬきちゃんが学校から戻ってきていた。パンツを広げたりしまったり、マジックの準備だろうか。オレは借りてきた書類を机に置く。オレは書類を家には置かないことにしている。家で書類を読むのは好きになれない。確かに家での時間を効果的に使うには持って帰って読むべきなんだろうけど。オレとしては、家は休む場所で仕事をする所じゃない。裁判の前だってギリギリまで資料を読み込んだら後は帰る。しっかり寝る。ぴしっとけじめを付ける。そうしないと後がぴしっとしない。折り紙の角と角をしっかり合わせるのと同じだ。そうしないと、後で何かしら矛盾が生じる。牙琉検事は折り紙なんかしないんだろうか。
「ね、どうなんだろう」
「なんですかオドロキさん」
「牙琉検事って折り紙するのかな」
「…うーん、どうでしょうね。でも作れても鶴が限界みたいな、そんな気がします」
「鶴、」
「鶴です」
「なるほどなあ」
「で、何の話だったんですか」
「いや、特に。イメージできなかったから」
「折り紙とガリューさん。確かに例を見ない取り合わせですね。」
じゃあ折って貰ったらどうですか。実際に。みぬきちゃんは未だパンツを上げ下げしながらついでみたいに言う。当然だけどオレはパンツのベストポジションなんて分からないから、みぬきちゃんの行動はかなり不審に映る。その動きは新技か、それとも見せ方の最終確認か。でも、やってる本人にしかその真意は分からない。ふうん、と彼女の調整現場をぼんやり眺めながら、さっきの折り紙の人を頭に描いた。思い出されるのは、あの時の。嬉しいなあと言った微笑みくらい。もちろん傍らは言うまでもなく同じ画面にすら折り紙は鎮座していない。よし次会ったら折らせてみよう。これは決定。そういえば素人とか言われて頭にきたから新曲聴きに行くって言っちゃったっけ。
「みぬきちゃん」
「なんですかオドロキさん、」
「ガリューウエーブのCD貸してくれる」
「え」
みぬきちゃんの目が点になる。まあそりゃあ散々音が苦なんて言ってたからびっくりするかもな。でも気になったのだ。彼の考え方、とかそういうものが。CDから流れたベストアルバムの歌声をヘッドホンで耳に入れながら、オレは久しぶりにロックなんかに集中した。

「いらっしゃい」
「どうも。」
次の日。ちょうど牙琉検事は休みがとれたらしくて、オレは折り紙を携えて検事局に行った。防音の扉を開けて出迎えてくれた牙琉検事に礼を言って、オレはふわりと纏わる毛足の絨毯を踏みしめた。直ぐに座らされてお茶が出されて、オレは検事と向かい合う。正面に居る検事はニコニコするだけで、何も言わない。まるでオレがいいたいのを知ってるみたいに、ニコニコの奥で執拗に要求をしている。オレはとりあえず手始めに折り紙を取り出した。昨日の話題に出た、極普通の折り紙。10枚程の赤から黒までと金銀が収まった懐かしの折り紙。金と銀は結局使わずに余ったっけ。オレはそんな懐かしの折り紙を、二人の間にあるローテーブルに置いた。牙琉検事は不思議そうな顔をする。あたりまえ、か。
「なにこれ」
「折り紙です」
「知ってる、けど」
「なら良いんですけど」
「…折るのかい」
「ええお願いします」
「僕、苦手なんだけどな折り紙」
鶴でいい?そう尋ねられて、思わず笑ってしまう。さすがみぬきちゃんだ。よく分かっている。しかし、
「…結構静かなんですね」
「まあ、集中するなら無音じゃないと。…あ、そういえば新曲、聴いてくれるんだったよね?」
鶴の羽根に当たる長いひし形を折り広げながら検事はさらりと会話をずらした。片手で羽根を広げながらオーディオのリモコンが操作される。たちまち皺になる羽根の付け根。でもそれに牙琉検事自身はあまり頓着してないらしく、一瞥して直ぐに裏返した。オレも折り紙をビニールの包装から取り出す。赤い折り紙。作るのは検事と同じ、鶴。三角の折り癖を最初に付けて、それから正方形を作る。ともなくして昨日聴いたばかりのエレキやベースの音源が聞こえてきた。ドラムが柔らかいスナップでクラッシュシンバルを連打する。キーボードが上から下へ滑る。それから、誰かの歌声。いつものより少し掠れた牙琉検事、だろうか。オレは折り紙の手を止めてロックに身を投げる。耳の奥へ奥へ弾かれた音符の振動が伝わっていく。やがて、波は終わり、牙琉検事がまたリモコンを操作する音がした。

「どうだった」
いつもの笑顔の牙琉検事。でも少し緊張を感じる。これから言われるだろうことについての、期待とか、不安とか。でももしオレに腕輪がなかったら、力がなかったら、それは多分読み取れなかっただろう。完璧な笑顔に何かを思い出した。
「素直に言っていいよ」
「じゃあ、」
「うん」
「素直に言いますけど」
「…」
「この曲、好きですか」

沈黙があった。目を丸くする牙琉検事。思考回路は多分止まっている。予想はしてたが、それ以上だ。しばらくして何かを拾い上げたみたいに、牙琉検事は言った。
「もちろん。嫌いな曲なんてないよ」
拾い上げたのは多分ガリューウェーブのリーダーが必要とする何かだ。でも、その答えは所詮剥がれる類の何かに付随する模範的な答えであって、素直な気持ちでは、多分ない。
「誰にも言いませんから、」
「…何を言わせたいわけ」

「この曲に満足してんのか」

オーディオがさっきの曲を、今度は少しボリュームを落として流している。柔らかいスナップがクラッシュシンバルを連打して、キーボードが上から下へ滑る。牙琉検事とガリューの声の出だしがすっとハモって、流れた。
「…王泥喜法介。アンタまさか」
「聴けないわけじゃあ無いですよ、音楽」
昔からじいちゃんの趣味でなんとかのオーケストラとか、なんとかのピアノ協奏曲、なんてのは良く聴いてた。流行りのJーPOPは分からなかったから、じいちゃんの形見のクラシックばかり聴いていた。金管楽器のうねる躍動とか、弦楽器の繊細なステップとか、ピアノの色の付け方とか、打楽器の鼓動とか。そういうのが好きだった。弁護士になってからは先生と趣味が合って、初めて生でオーケストラを聴いたりだとかして。だから電気の音はあまり耳慣れない。しかも
「…しかも?」
「ここ、とか。オレだったら1オクターブ上げて歌います、」
「…」
「牙琉検事が思わないはずは」
「ない、けど。…まじかよ」
何についてのまじかよなのだろう。もうテレビ用の、黄色い声用のガリューの顔はない。視線は斜め下を睨んで、手元に落ちている。羽根の根元が歪んだ鶴がそこに鎮座している。
「妥協ですか」
「とんでもない!そんなのは許さないよ!」
「じゃあ、」
「…」
「…だから分かんないんだ」
多分だけど、あの1オクターブは歌いやすさのためだと思う。ガリューがじゃなく、一般人が。ロックなんか知らない、音楽を聴けない女の子たちが歌うための。そこだけじゃない。複雑なコード進行の割には平坦なメロディー、派手な装飾音符。みんなが好きになる工夫が随所に見られた。でも、
「牙琉響也は、この歌が好きですか」
「…」
「満足ですか」
「…」
「この鶴だって、これで」
「…僕は、売るために曲を作ってるんじゃない」
「ミリオン3つ飛ばしといて」
「だけど、」
「…だから、」
7年前のことも気づけなかった、
心の中だけで静かにいった。オレがアナタを嫌いな理由。
「分かった、」
「…は」
「売れなくしてやるよ、これ」
検事の目の色は変わっていた。本気の人の目。向かい合うオレは目を合わせて、ああこれだと思った。こういう目を彼にもさせたかった。牙琉検事は肘をついて両手を口元に組む。表情が隠された。ただ目だけが射殺すように此方を睨む。
「キーだって上げる。僕がしたいようにやる。絶対僕が満足するまで出さない。やってやろうじゃないか、王泥喜法介。」
意気込みに気迫を感じた。そうこなくては、と心の奥底がじりじりと燃えた。
「それじゃあ、待ってますよ。あと、鶴も。」
検事の紫色の鶴の隣に赤い鶴を置く。隣より背筋がぴんとしている。羽根の先まで尖っている。いつもにないくらい集中して折った。牙琉検事が息を呑む。
オレは残った折り紙を鞄の中に入れて立ち上がった。



(上手いやり方を知らないので)


______

ミリオン飛ばすって音楽的には凄いのかと思ったのが始まりから王→響みたいになってしまった、な。ところで王泥喜くんが音楽分かるのはあめこの願望であり捏造なのでどうか宜しく。だってお母さんはそうだし、…だといいんだけどなあ。

2011.01.22


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