視点



夢を見ました、
と彼は言った。事務所に出勤するなりぼんやりそんなことを言うものだから、僕は面食らってしまった。ここは成歩堂なんでも事務所。ここは僕の砦だ。何度も名前は変わってきたが、僕の砦は常にここだ。城と違って、攻めるためではなく、大事なものを守るための。だがそこに入社してきた僕の部下は、盾を持つというよりは寧ろ剣を携える方だった。彼は受動的な僕の砦とは正反対の性質を持っていた。めったに振り回さないが構えるだけでも空気を変えるのが剣。緩んだ弦を張り直すよう。加えてそれ以外はほぼ丸腰、ときたもんだから僕の砦は彼が来てからすっかり雰囲気が変わってしまった。いや、戻ってきた、というほうが近いかもしれないけど。だが、今日に限っては彼はそうではないようだった。青年特有の慌ただしさが特徴的で好意的で少しうるさかったりするのだけど、しかしこうまで彼の様子がいつもと違うと、その夢というのが妙に気になった。彼の行動は見違える程に落ち着いていた。というより静か過ぎていた。僕には全然、どんな夢だったのか見当もつかない。
「オドロキくん。」
呼び止めると確かに応答があった。何でしょうか、そう言いながら歩み寄って来た。その彼に、僕は、いつも彼にするように言ったのだ。
「君の見た夢ってどんなだったんだい」
この一言さえ言わなければと、今でも思う。
彼は、王泥喜法介は、その質問をされると直ぐに眉をひそめた。唇が引き結ばれて、少し経った。そして、彼は言ったのだ。
「はじめから、ですか?つづきから、ですか?」
はじめ、が分からなければつづき、もどこからのつづきなのか分かるはずがない。僕は、これは彼の夢ではないのだろうかと思いつつ、半分ハッタリで選択をする。
「はじめから、で。」
それを聞いた途端、彼は笑みを浮かべた。良く分からないけど、正しい道を選んだらしい。二人向かい合わせで座ったテーブルに置かれた二つのティーカップに波紋が揺れた。
彼はぽつぽつと語り始めた。4月20日、午前9時37分、地方裁判所、被告人第3控え室。そこが始まりだった。控え室の様子が細かく話されていく。両開きの大きな木の扉。その前に警備員が二人。脇に背の高い観葉植物と髭の長い人物の横顔を描いた絵画があって、小さくて安そうなソファーが控えていたそうだ。しかし、それだけだった。話し手である彼自身は何も行動することはなかった。目の前の彼は言葉を探しながら言い澱んでそしてこれ以上はわかりませんと静かに言った。それから、
「保存しますか?」
また選択だった。どの辺りを保存するのか、それすらも想像出来なくて、とりあえず頷いた。話終わった彼は、いつもの騒がしい彼に戻っていた。

彼はよくこの話をするようになった。毎朝、夢を見ました、と宣告するようになった。僕は彼から毎日のように物語を聞いた。それは毎回はじめから、か、つづきから、を選ぶことから始まった。僕は2日目にはつづきから、を選んだ。彼は自分が物語に登場したことを饒舌に語った。そして、僕は大変なことを聞いた。牙琉が夢に出た、というのだ。しかも、オドロキくんの"先生"として。彼は、牙琉に軽く注意されたことを話した。大丈夫を言い過ぎると誤解を生む、と。そこでしっくりきた。どうやら彼の初公判、デビュー戦の話のようだった。かなり緊張していたのが、あの時も傍目から伺えたが、本人の口から聴くとまたその緊張は新鮮だ。しかし、それは自然ではない。彼は最初の裁判で師匠を告発し、職場と拠り所を失い僕の所へ転がり込んだ。そしてまた、今度は裁判員裁判制度のモデルとして牙琉に関する事件を扱い、またも師匠だった男を告発して勝訴を納めた。それらは何ヶ月も前の話だ。しかも彼は、その裁判の後一度も牙琉には会っていない筈だった。ならば、なぜ今このタイミングで彼のデビュー戦が克明に語られていくのか。それはかなり不可解だった。しかし、彼の夢には何か引き込まれるものがあった。たかが夢、しかし僕はそれで何年も苦悩した男を知っているし、こういう理論じゃない現象が目の前に起こる事にも慣れてしまっていた。僕はその夢に興味が湧いた。しかしいつも彼はある一点で語るのを止めるのだ。そこから先は覚えていないと言うように。そしてまた、そこまで進んだことが、保存されるかどうか選択されるのだった。

次の日は僕という依頼人が彼の目の前に立ち、会話を交わして、それからやっと開廷した。もっとも、法廷の外観を身振り手振りを交えて説明された後直ぐに彼の話はまた保存されてしまったが。彼は続きを話せないことになんとなく申し訳なさをも感じているようだった。けれどばあれは夢なのだ。客観的に考えればそこまで思い悩む必要もない。だが、同時に何かの予兆である気もした。

僕は何度も彼の夢の話を聞いた。彼の夢は全く、事実に正確だった。何ヶ月も経っているはずなのに、彼は僕の証言をはっきりと覚えていた。僕のだけではない。牙琉のアドバイスであったりとか、裁判長とのロケットの話だったりとか。どんな些細なことにさえ、緊張して、何かを受け取って、心の中で呟いて、自分の中にしまっていく。昔の僕みたいだなあ、と思った。そっくりだ、と頬を緩めると今日もまた終わりが来た。保存しますか?という質問に今日も頷く。
こんなことが毎日続いて、公判は、ついに牙琉を告発する一歩手前まで、やってきた。やって来てしまった。その日、僕はちょうど用事があって、朝から外に出ていた。オドロキくんに留守番を頼んで。一人で出かけていた。その日、用事が終わって事務所に帰ってくると、オドロキくんは眠っていた。ソファーに寝転がって、ゆっくりと寝息をたてていた。いつもは僕が寝ていて怒られるのに、逆は然りとは言えないのか。そんなことを考えて、でも僕は彼を起こさずにおいた。これは借りだ、と小さく呟いたが、むしろ借りを返したという方がいつもの様相からは近い気がして。ならばと更に事務所の押し入れから毛布を出してかけてやった。昼寝くらいならこの事務所なら許容範囲だ。
と思ったのだが。
彼は起きなかった。みぬきが帰ってくる時間になっても、みぬきがビビルバーに行く時間になっても、遂には事務所を閉めようという時にすら、起きなかったのだ。
「…パパ、オドロキさんは寝てるだけだよね?」
「うん、大丈夫だよ」
みぬきを見送る時もそう言って宥めた。しかし実際は、死んでない、という表現がぴったりだった。まるで水底に埋まっている石の一つのようで、彼は動くこともなく静かに息をしているだけだった。僕は彼を事務所の仮眠室に運んで、ベッドに下ろした。狭い部屋だがとりあえず一晩ここで寝て貰うことにする。スーツのベストだけ皺になるからと脱がせて、ついでにネクタイも取る。シャツのボタンも開けるといつもの格好とはかなり違うものになった。布団を彼の肩までしっかり掛ける。更に起きた時の為に書き置きまでして、僕は部屋を出た。
が、彼は僕らの予想に反して、全く起きなかった。窓もカーテンも開けずに、寝返りもうたずにただ昏々と眠り続けていた。表情にも苦しそうな所はなくて、ただ目を閉じているだけの味気のない寝顔だった。深くてゆっくりした呼吸だけが部屋に吸い込まれていく。夢も見ていないような深い眠りのようだった。僕は何回もむりやり起こそうかと思ったけど、彼の寝顔を見るなりその発想は毎回直ぐに消えた。理由らしい理由ではないが、触れてはならない、と僕の中の何かが言ったような気がしたのだ。みぬきも無理にそうしなかったのを見ると、同じことを考えたに違いないと思った。
彼はごくたまに起きてほんの少しだけ水分や食べ物を口にした。しかし何も言わずにまた静かに行儀よく寝息をたてはじめる。まるで冬眠だった。体の働きを限界まで低下させて命を保つ。しかし彼は何のために眠っているのだろうか。疑問に解が出たのは彼が眠り続けて2週間ほど経った時だった。
不思議なことに、その時の違和感はあまりなかった。つい、納得した。そういえばあの日は牙琉を見送った日だったのだ。極刑の場に立ち会うことはできないから、刑務所に近い所で手を合わせて。その後帰ってきたらオドロキくんが眠っていたのだ。彼は牙琉の死のことを知っていたのだろうか。二人はどこかで会ったりしているのだろうか。あの師弟はなんだかんだで仲が良かったから、牙琉も言い積もる話があったのかもしれない。でもとにかくみぬきには原因不明の主張を貫くしかなさそうだった。彼がまだ起きることは、ない。
ずっと、話はついに後に動くことはなかった。



(留めた生煮えは真実になる)


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メタ的な話が書きたかったシリーズ。
先生の告発直前で止めたまま、DSを置いてきたので私の4は未だそのままです。

2011.04.18


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