向日葵と天秤


オレはなんで弁護士してるんだろう。毎日毎日毎日、事務所に出勤しては掃除して迷い猫探してお茶淹れて。普通につつがなく日々を送って王泥喜法介、大丈夫です!って。あれ、本当に大丈夫なのか?

今日は何だかいつも気にならないことが気になってしまう日らしい。普段気にしない窓の桟のホコリとか、冷蔵庫の混雑具合とか。オレはそれをこっそり「気になる日」と呼んでいる。そしてそれは例外なく何にでも当てはまる。たまにとてつもなく不安になって、オレ弁護士してないんじゃないかって思ってしまうのだ。まあ、確かに過去の公判の記録を読んだりすることもあるし、書類を纏めたりすることもある。だけどオレの日常に弁護士としての充足感はどこにもない気がするのだ。認めるのは少し悔しいけど、もはや胸元に光る弁護士バッジ以外に、オレを弁護士たらしめている証拠品はないような気がする。なんかそれって、おかしくないか?たまにやってくる依頼はどっちかというと探偵業に近くて、確かにそれで満足なんだけど、満足しちゃって本当にいいものか。
「あーもー、分かんないや」
事務所のソファーに足を投げ出して座って、弁護士バッジを襟から外す。ぷち、と音がして、向日葵のバッジは簡単に手に収まった。親指と人差し指でつまみ上げて目の前に翳すと溜め息が出て、くたり、と前髪が折れる。
「なんなんだよ…」
こんなバッジ一つで、オレは弁護士だし成歩堂さんは弁護士じゃない。やってることは大して変わらないというのに。ぐ、と人差し指に力を込める。向日葵の形の金属が指に食い込む。痛いとか、刺さるとか、そういう感じじゃないのに何故か気にくわない。金色を睨みつける。と。
「あ、ちょっ!」
思わず声を上げた。金色が指から飛び出して弾んで転がって、そのせいでうっかり行方を見失ってしまった。床に光る向日葵は見当たらない。食品模型やら、フラフープやらの方に転がってしまったような。おいおい、どこに、…どこにいった?床に散らかる小物を避けても見つからない。床に這いつくばってみても、ソファーを動かしてみてもバッジはなかった。どうする、オドロキホースケ、こういう時、成歩堂さんならどうする、先生だったらどうする?…ダメだ、成歩堂さんはそういうの探さないし先生は床に這ったりしない。あああもう、頼りにならない人たちめ!
「…呼んだ?」
「っえ、」
ちょ、な、なんで。噂してるとその人が来るとはいうけど、噂というかオレは声にすら出してないハズなんですけど。どうして、成歩堂さんが。だってこの時間はあるでん亭にいるんじゃないのか。
「…今日は休みだったんだよ」
「そう、ですか」
あれ、オレは何も言ってないハズなのに会話が成立してる。でも相手が成歩堂さんでいつものことなので気にしない。いつ帰ったんですか、に生返事でため息とか、たわいもない会話をする。これも今では良くやる掛け合い。さて、と成歩堂さんがオレを見据える。
「今日はみぬきもビビルバーに直接行くって言ってたし、もう事務所閉めちゃおうか、」
オレはそこで、はい、と言うべきだったのだ。なんの迷いもなく。だってバッジが一晩無い位で弁護士人生に支障なんかないし、もし無くしたとしても確か申請すれば新しいのが貰えるはずで。それなのに、
「え、いや…」
「…どうしたの、珍しい」
口ごもってしまったのは、多分今日が「気になる日」だからだ。…そうに、違いない。
「オドロキくん?…どうしたの?」
「う、いや別に特にはないんですけど」
「ないんなら帰ろうよ、僕眠いんだけど」
「…わかりました」
最後のは半分気合いで息を気管にねじ込んだ。ギリギリ声になった、ような気がする。オレはできるだけ自然に事務所を出た。成歩堂さんに迷惑を掛けるわけにはいかなかった。オレはできるだけ事務所を振り返らならいように、家路を急いだ。鼻の奥の方がツンとして、気管のはじめがピリピリした。
家に帰っても、実は気になり通しだった。スーツを脱いで私服に着替えても、モヤモヤは変わらなかった。肌身離さず付けすぎてもうバッジがないと寂しくて仕方がない。でもそんなことでウジウジしてるのも情けない。とりあえずご飯を食べて、風呂に入ってさっぱりしたけど。でもハンガーにかけたスーツの襟を見る度、喉が乾く。やっとの思いで貰った弁護士バッジ。先生を、成歩堂さんを受け継ごうと誓った日のこと。大丈夫、と叫びながらもやっぱり大丈夫じゃなかった心境を勇気づけてくれた、向日葵のバッジ。思えば何度もそういう時、お世話になってきた。…やっぱり、探しに行こう。決意はすんなり頭に染み渡った。事務所の合鍵も持っているから大丈夫。とりあえずケータイと財布と鍵だけ持って、急いで家を出る。その時刻、ほぼ夜11時半。スーツも着てない、前髪もツノじゃない、そんな状態で事務所に向かうのは初めてに近かったけどとにかく一刻も早くバッジを見つけたかったのだ。

自転車を飛ばして事務所に付くと、何故か灯りがついていた。おかしいな、と思う。あ、…まさか、消し忘れ!?瞬間、頭の中で事務所の電気代をはじき出す算盤が踊り始める。みるみる血の気が引いていく、只でさえカツカツしてる事務所なのに!ていうか確かに事務所の電気消したハズなんだけど、そこまで考えて、気づいた。泥棒とかじゃないのか、アレ。そう思った瞬間、引いた血の気がもっと引いた。それヤバくね?算盤が頭の中から退場する。電気代とか平和なことを言ってる場合じゃない。いや、電気代をナメてる訳じゃないけど、泥棒の驚異はそれより何倍も暴力的じゃないか。どうしよう、どうしよう。何か手近な…と考えて、そこらへんに捨ててある新聞を巻いて棒を作る。同じく捨ててあった針金をその上から巻いて。しかしこんなもので勝てるだろうか。だ、大丈夫、大丈夫。オレ若いし、男だし、弁護士だし。そう自分で自分を鼓舞して、しかし握ろうとした襟はすっかりとすり抜けて。
「…大丈夫、だ」
一瞬だけ泣きそうになったけど、オレがやらなきゃ誰がやるんだ。と袖で涙に似たものを拭う。とにかく、突撃するしかない。今までこういう修羅場がなかった訳じゃあない。心の準備は直ぐできる。ある種の冷静さをもってオレは事務所に乗り込み。ドアを蹴っ飛ばして武器を振り上げて得意の大音声を響かせて、
「ウチの事務所に何を!…をぉ…?」
勢い良く叫んで飛び込んだ。が、瞬間、飛び込んで事務所の中を見た途端、言おうと思った台詞が軒並み消えた。そこにいたただ一人の人物はピアノの脇に腹這いになっていた。明らかに泥棒の姿勢ではない。というかむしろその人は。
「…ここは僕の事務所だよ」
なんで成歩堂さんが。しかしそう思うとこの戦闘態勢は非常に恥ずかしい。新聞の棒持って振り上げて、明らかにアヤシイ。そしてその体制でバッチリ目が合う。
「…何してるの」
「え、ええ、あ、いや…」
「…まあいいや、それ貸してよ」
え、と言う前に成歩堂さんの手が伸びてきて、言い訳する前に武器は取り上げられてしまった。そのまま彼は這いつくばったままピアノの下に腕と武器、もとい細長い新聞棒を差し入れる。俺はやっと成歩堂さんが探し物をしているという現実が理解できた。さっきまでは理解出来なかったのだ。成歩堂さんが何か探す為に這いつくばっているなんて。今更、彼のだらしない実態を知った後でさえ、どうしてか。彼に対するどこか信仰めいた憧れは健在するのだ。そう思うと彼には今でもあの青スーツが似合うとか、また叶わないことを夢見てしまう。
「…取れた」
しかし、そんなある意味での葛藤は彼が指に摘んだ物をみた瞬間に、文字通り弾けた。彼の指にあるその金色は。その向日葵と天秤は。
「ああああっ!」
見間違えるワケなかった。裏には正真正銘俺だけの番号、そんなところにあったのか、口が開いたり閉まったり止まったりで忙しい。必死で頭をしっかりがっつり下げるいつもより深い礼を繰り返した。
「ありがとうございます、成歩堂さん!」
「…うん。もう無くすなよ、」
せっかく似合ってるんだから。
そんな言葉を聞きながら弁護士バッジを胸元に付け直す。やっぱり安心する。ないのとあるのじゃ全然違う。安心するとなんだか凄く力が抜けてきた。涙腺の筋肉が緩む。
「よ、…良かったあああぁ…」
語尾が震える。良かった、オレ、まだ弁護士だ。情けないけど止められなくなった涙をぼろぼろ落としながら、久しぶりに泣いた。途中からなんで泣いてるのか分からなくなってきて、それでも泣いた。
「ん。オドロキくんは、いつでもちゃんと弁護士だからね、大丈夫。」
成歩堂さんが頭を撫でながら言った。
何も今までと変わらないけど、変わらないことが嬉しかった。心配しすぎかもしれない。でもそれくらいでいいのかもしれない。とりあえず、オレは今を歓喜する。



(無くしたままの人と見つかった人)



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この話、受験前から長らく考えていたせいでちょっと文体がギャグチックだけど直すのもアレなのでそのままにして、やっとまとめられました。
だるほどパパンのセリフには気を使ったつもりではあるけど、これは成王なのかなあ。彼らをそれぞれ立てて書くのは難しいです。


2011.04.18


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