師弟逆転!


「先生、起きて下さい、先生?」

私は事務所の立派なデスクでうつらうつらと舟を漕いでいる所長に声を掛けた。さっきまで書類に目を通していた筈なのに、私が紅茶を入れて帰ってくると早くもこんな感じである。昨日遅くまで仕事をしていたというから、その所為だろうか。或いはまさか、発声練習疲れなんて…いや、そんな筈はない、と思いたい。王泥喜法律事務所の所長がこんなことではこの事務所はどうなってしまうのだろう、と私は前髪をよけて溜め息をついた。
けれども、彼は私の尊敬する師匠だ。確かに弁護の仕方は危なっかしいし、小さな揺さぶりから矛盾をつつき出すやり方は古いものではある。しかし、証人の動揺を見逃さない目、ここぞ、というときの集中力。加えて、大丈夫!と豪語する彼のあの大声に安心させられる依頼人は多いとか、少ないとか。とにかくそれは彼の魅力だ。カリスマ性というのか、彼には付いていきたいと思わせる何かがある。この事務所に入る時に、ぼくの執務室に働きにくればいいのにと弟から散々愚痴を聞かされたし、他の事務所に誘われたりもした。しかしこの赤いスーツの彼の所へ行くことを曲げなかったのは、やはり彼に何かしらの力があったのだろう。
私は紅茶をデスクに置いて、彼の肩を揺する。そろそろ起きて貰わねば、お客様が来てこの状態では事務所の沽券に関わる。
「先生?…開廷しますよ、裁判長が呼んでますよ、先生」
しかし返事はない。これで起きなければ弁護士として失格だろう。やれやれ、と溜め息が漏れる。
「いい加減起きて下さい、オドロキくん」
それは少し前に彼から自分をそう呼んで欲しい、と頼まれたものだった。その時は無理です、と即答した。の、だが。それを言った瞬間、がば、と先生が顔を上げた。突然過ぎて一瞬彼が起きたことを認識できなかった。彼の二本の角がぴこぴこと揺れて、こちらをじっと見つめている。見つめられている。そして、泡を噛んだようなきょとんとした第一声。
「あ、れ…牙琉、さん?」
「おはようございます、先生」
「う、うん…って、今さっき、オドロキくん、て言ったよね!?」
「言ってませんよ」
「え、いや、絶対言ったよね!?」
「言っていませんと私が言うのですが」
そうぴしゃりと言うと、先生は納得いかないなあと角を揺らして唸り始めた。その表情はなんとなく寂しそうで、或いは懐かしんでいるようで、理解に苦しむものだった。それは変に私の心に隙間を作ったような気がした。けれど、
「資料検証をしていたのではないのですか、先生」
と言うと、きょとんとした後、そうだったそうだった、と慌てて資料を掴んでいつもの苦笑いに戻っていく。その動作に私の口の端が自然に上がるのを感じてしまう。
「そこに紅茶を淹れておきましたから、」
ちょっと温いかもしれませんけど、飲んで気分を入れ替えましょう、先生。そう言って眼鏡を押し上げることで、やっと頬の緩みを隠せた。手の甲が引きつったが気にしないことにして、私は資料を見つめる彼を見つめた。


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まさかの逆転。
霧人さんと王泥喜くんの立場を入れ替えてみまし、た。ぶっちゃけ有り得ないけれど。
書いてる側はかなり楽しいのですが王泥喜法律事務所、と打つ時だけは盛大な違和感に笑いました←

2010.05.14

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