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パンドラ 13




「大久保様!!」

矢部が血相を変えてやってきたのは、
あの忌々しい女が去って、ほどなくした頃だった。

「何事だ?」
「八重さまからの文が届いております!」
「八重から?」

矢部が差し出した文は、この時代では見ない硬質の紙(手帳の用紙)に
独特の墨(万年筆)で宛名が書かれていた。
おそらく八重の持ち物であろう。

そこには近江屋で坂本君と中岡君が襲撃されて重篤であること、
火急的速やかに救援を求めていることが、簡潔に書かれていた。

「矢部、この文を持ってきたのは誰だ?」
「近江屋の丁稚です、真っ青な顔で藩邸前で私の名を叫んでおりました」

使いに来た丁稚は近江屋が襲撃され、部屋は血の海の惨状ということだった。

救護・護衛班の招集をかけ近江屋に向かった。
当然、賊の姿はなく、虫の息となっている坂本君と中岡君の治療を
血まみれになって処置をしている八重と岡田君の姿があった。

八重は二人の処置を終えると、私に気づきそのまま気をやってしまった。
後に残った岡田君と戻った武市君に後処理を任し、
八重と二人を藩邸に運んだ。

    *****

惨劇から二日。
八重は執務室の隣室で眠り続けていた。

夜半過ぎ八重の部屋から声が聞こえた。
音を立てないように襖を開け、布団の脇に腰を下ろすと
八重がゆっくりと目をあけた。

「・・・目が覚めたか?」
「・・・大久保さん・・?」

疑問形で聞くあたり、意識がしっかりしていないのかもしれない。
薬師を呼ぼうと立ち上がりかけた時、袖をひっぱられた。

「・・・ここは薩摩藩邸ですね?」

先程よりしっかりとした言葉。
言葉なく頷くと、嬉しそうに微笑んだ。

「良かった、手紙届いたようで」
「なかなか派手な使いだったがな」
「大人しく渡したら、後回しにされそうですよ」

相変わらずの減らず口。
袖から手を離し、上半身を起こした。

「今はどんな現状なのでしょう?」
「丑三つ時で八重の目が覚めたところだ」
「聞きたいことは・・・」
「冗談だ」

事件から今までの状況をかいつまんで話す。
瀕死の重傷だった二人は一命を取り留めたこと。
襲撃した賊の正体が大方目星がついていることなど。

「まあ、坂本君たちはまだ油断ならぬ状態だがな」
「大久保さん、ありがとうございます」

八重は姿勢を正して礼を言った。

「ここ・・・前と同じ部屋ですよね?」

何かを確認するように八重が聞く。

「そうだ」

何故、そんなことを聞いてきたのか訝しがると、八重はどこか
寂しげな表情をした。
先日まで居座っていた女には、この部屋を使わせていない。
中奥の客間を与えていた。
ここは・・・八重だけの部屋だ。

「大久保さん、私、坂本さんたちがいる離れに移ります」
「なに?」
「大怪我されてる龍馬さんたちのお世話をしないといけませんし」
「そんなことは薬師と女中に任せておけ」
「事件のことを武市さんと共に検証して相談しないと・・・」
「武市君と岡田君の二人で十分だ」
「これからのことを相談しないと・・・」
「坂本君たちの回復を待って行えばよい」
「あと・・・・」
「何を企んでいる?」
「企むなんて、そんな大それたこと・・・」

作り笑顔で答える八重。

「八重、私にそんな誤魔化しが通用すると本気で思っているのか?」

腕組をし八重を正面から見据える。
先程からの作り笑いの中に、動揺が見てとれた。
視線を反らすように、黙り俯いた。
夜の静かな時間だけが流れる。

しばらくして、意を決したように八重が口を開いた。

「私は大久保さんの傍にいてはいけないのです」

思いがけない言葉だった。
何故・・・と言いかけて、口を閉じ八重の言葉を待った。

「私は大久保さんの小姓を勝手に辞めて坂本さんたちの元へ行った人間です。
本来、助けを求められる立場ではないのに、助けて頂き本当に感謝しています」


八重は布団から下りて三つ指ついて頭を下げた。
その姿といい、先程までの会話といい、どこか他人行儀に見える。
離れている間に、見えない壁でも出来ているかのような錯覚に陥る。

しかし、その態度も何か”本音”を隠しているに過ぎなく感じるのは
気のせいだろうか?

「八重、何を隠している?」
「隠し事などありませ・・・!」

顔を上げて言う八重の不意を突くように、抱き締める。
こ奴にしては隙だらけの瞬間だった。

「お、大久保さん!?」
「同じことは二度言わぬ」
「!!」

しばらく硬直していた八重の体が、力が抜けていくのと同時に呟きが聞こえた。
その意味を確かめようと、腕の力を抜いて表情を確認する。

「いつまでも大久保さんの傍にいたら、奥方様に刺されます」
「妻を娶った記憶はないが?」

何を言い出すかと思えば。
何故、いきなりそんな話になったのか・・・?

「この部屋だけでなく、大久保さんからも羅国が・・」

力なく言う八重は今にも消え入りそうな表情をしていた。
羅国・・・香木の一種だが、私が使った記憶はない。
私が不可解な表情をしたのだろう、八重は私の胸に手を当て
距離を取った。

「私、組香で外したことないんですよ?」

先程の言葉とは違い、自信たっぷりな言い方をする。
何の話だか皆目見当がつかず、返答に詰まる。

「この部屋からも・・・そして大久保さんからも羅国の香りがします」
「羅国など使った記憶はないが?」
「では、きっと・・・」
「?」

言葉を切って、俯いて言い淀む。
だが、すぐに顔を上げると、何故か笑顔で口を開く。

「先日、お会いした女の人ですね」

先日・・・・あの嫌な女のことか!
そういえば、まだ虚偽であったことを言ってなかったな。

「あれは何の関係もない」
「この香りは、大久保さん愛用の伽羅と羅国が合わさった香りです」

きっぱりと言い切る。
そして、私を真正面を見て言葉を続けた。

「目が覚めて、最初に気がついたのはこの香りでした」

伽羅に少量の羅国を混ぜた混合香・・・練香に近い香りだという。

「大久保さんの・・・夜着からも香りがします、部屋だけならともかく、
夜着や布団に移り香なんて・・・奥方様か恋仲の人でしょう?」


そこまで言うと視線を布団にうつす。

「だから、私は大久保さんのお傍に居られないんです」

奥方様に刺されますから・・・と言う。

しばしの沈黙の後、口を開いたのは八重だった。

「大久保さん、明日の朝には移りますから、今夜はこのままお引き取りください」
「・・・・・・・」

有無を言わさず強制退去を命じられる。
今の八重には何を言っても、届かない、そんな気がした。
静かに席を立ち、自室に戻る。

いつの間に香りが入れ換わった?
それに気がつかない私も間抜けだが・・・・。

あの女が奥の間に来るのは私が帰ってきたときだけで、それ以外は
立ち入らせないように女中頭を始め、矢部にもきつく言いつけていたはず。
どのように八重の部屋へ立ち入ったのか?

思案の末、半次郎を呼びつける。

「あの女の行動の詳細を今一度、報告せよ」



<end>

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