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パンドラ 11



「八重!?」
「・・・大久保さん」

無理矢理付き合わされた買い物で、
黒髪を纏め、黒い洋装姿、
まさに、出会ったばかりの八重に再会した。

   ****

事の始まりは坂本君たちの帰京予定まで、
あとひと月と迫った頃だった。

ある日、藩邸に戻ると見知らぬ女が
私を出迎えた。

「おかえりなさいませ、利通さま」

当然のように名前で呼ぶ。
女中頭の鶴が血相を変えて飛んできた。

「お、おかえりなさいませ、大久保様」

「鶴、この女は誰だ?」

「あ、あの、小松様からのご紹介でいらした、
杉浦様のご息女の志津様でございます」

「杉浦・・・?」

目の前の女に覚えはないが、
杉浦という名前は聞き覚えがある。

「お忙しい利通さまはお忘れでしょうね、
一度しか会っていない、
見合い相手のことなど・・・」

しおらしく言っているが、
言い回しに虫唾が走る。

「小松様が言っていたのは、この女のことか」

「小松様に便宜を図っていただき、
こちらへお邪魔しております」

薄っぺらな作り笑いをする。

自室に戻り着替えを済ませ、女の待つ客間へ向かう。

杉浦は薩摩の豪農だ。
薩摩藩としても敵に回したくない都合上、
一度だけ見合いをしたことがある。

「見合いはお断りしたはずだが?」

「ええ、でも、私は納得がいきません。
何故断られたのか・・・」

澄ました顔をしながら志津という女が言う。
断った理由?

「好みではなかった」

本音を言わせてもらえば、
これに尽きる。

「利通さま・・・好みかどうかは、
あんな短い顔合わせではわかりませんわ」

「・・・・・」

「ですから、小松様にお願いしたのです。
私をちゃんと知ってもらうために
この藩邸に置いてもらえるように・・・と」

そう、先日、小松様がいらしたときの話には
これがあった。


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『実は、以前見合いした杉浦の娘さんが、
見合いを断られたのが納得がいかないと』

『・・・・・』

『そこで、ひと月でいいから、藩邸に娘を
置いてほしいらしい。
ひと月も居れば、お主にその気がないことを
娘も納得してくれるはずだ』
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まさか一度断ったはずの見合い相手が、
藩邸に乗り込んでくるとは。

「お断りしたいが、小松様との約束だ。
ひと月経ったら、出て行ってもらう」


「了解しました、十分です」

しかも、見合いの時の印象と違い、
意外と自信家のようだ。

共に暮らせば、私がその気になると
思っているらしい。

再び女は張り付いたような笑顔を見せた。

翌日からはまるで女房気取りで、
朝から晩まで世話を焼き始めた。
一応、殊勝な妻を演じているらしい。

しかし、藩邸内での評判は、著しく良くない。
普段は文句を言うことのない矢部からの苦情。

「あの・・・・大久保様、お志津さまのことで」

「何事だ?」

「お志津さま・・・・
私たちの仕事にも興味があるようで」

矢部の話では、女は邸内の仕事全てに
口を出している。

いかにも私の妻だと言わんばかりの行動に、
女中たちも困り果てていると。

「何故、そんなことに・・・・」

「実は・・・お志津さまのお耳に
入ってしまったのです」

言い辛そうに矢部が言葉を続ける。

「以前、八重さまが藩邸内で
活躍されていたことを・・・」

「活躍・・・?」

そんな大層な仕事をしていたのか?
あやつは・・・?

私が理解できぬという表情をしたので、
矢部が話を続ける。

「八重さまは控えめなお方でしたが、
何かと的確な助言を下さって
私を始め女中共々、
とても慕っておりました」

邸内の者に八重が慕われていたのことは、
私でも知っていた。

その話が女の耳に入り、
真似ごとをしているということらしい。
真似ごとというよりは、
押しつけ作業に近いようだが。

「そうか」

「あ、あの、申し訳ありません!
大久保様の奥様におなりになる方に・・・・」

「矢部!」

「は、はい」

思わず口調が厳しくなる。
あの女が私の妻になる?
そんな認識が邸内に広まっているのか?!

「あの女は私の妻ではない」

「あ、あの、今はまだ・・・
とお志津さまが・・・」

「今も先もない、小松様の手前、
仕方なく藩邸に置いているが、ひと月だ」


「ひと月?」

「あの女を娶る気は更々ない、
ひと月経ったら、出て行ってもらう」


そう、あの女がきて10日も経つが
一向に惹かれる要素などない。

むしろ、あまりにも八重と違い過ぎて、
八重を思い出してしまう。

確かに八重は、私に初対面で挑発してくる
気の強い女だった。

しかし、それは利己的な理由など一切存在せず、
常に周りの人間に、気を使っての行動だった。

町中で狼藉者を伏せた時も、
新撰組が走り回っている中
助けを求めている者の為に、
躊躇うことなく出ていく。

その人柄に邸内の者も坂本君や長州の二人も・・・
そして私も惹きつけられた。

「そ・・そうなんですか」

明らかにホッとしたような矢部の態度。

「なんだ、矢部はああいう女が好みか?」

「え、ええ?!そ、そそそれはないです!」

「はっはっは、冗談だ気にするな」

  ****

そして、約束のひと月が過ぎようとしていた。
小松様からは明日には
迎えに来ると連絡があった。

「長い・・・ひと月だった」

思ったよりも精神的に苦痛だった。
いっそのこと10日ぐらいで追い返してやれば、
良かったのかもしれぬ。
女には明日に迎えが来ることを伝えた。

「・・・どうしても、利通さまは私を妻に
してくださりませんか」

「くどい、初めからする気などないと
言ったはずだ」


それでも猶予はやった、
感謝してもらいたいぐらいだ。

「そうですか、それでは一つお願いがあります」

「今さらまだ何かあるというのか?」

「そうおっしゃらないでくださいな」

作り笑いで言う。

「明日、迎えが来る夕方まで、
買い物に付き合ってくださいな」

「断る」

「まあ、意地悪ですね、別に抱いて欲しいと
言ってるわけではないのですよ」

「当たり前だ!」

「そんなことを仰ってよろしいのですか?
私、知ってますのよ?」

「何をだ?」

「利通さまが大切にしている、女性がいることを」

「確か・・八重さんってお名前でしたわね?
もうすぐ京に戻られるそうですね」

女は優越に浸るように言葉を続ける。

「私、京には不作法者の知り合いも居りますの。
京に来るなり、その八重さんを襲わせるように
指示しておくことだって、できますのよ?」

「狼藉者にやられるほど軟な
奴ではない」


「まあ、すごい自信。
でも人数がいたらどうなりましょうね?」

「・・・・・」

ただ買い物に付き合うだけで、
身を引きますから・・・。
と恩着せがましく言う。

今まで邸内での冷たい
仕打ちの仕返しのように、
性悪な表情でその女は言った。

     ****

この女との買い物は、苦痛以外何物でも
なかった。

いっそのことすべて拒否して
追い出せたら、どんなに良かったか。

しかし八重の身を案じると
それは出来ない。

勿論、あ奴ならそう簡単にやられるとは
思わないし、そもそも土佐の連中がいる。

それでも、何かあってからでは、
取り返しがつかぬ!

女に京の町中を連れまわされ
半ばげんなりしていた。

そんな中、小物屋で薄紫の桔梗をあしらった
髪飾りが目にとまった。

その凛とした作りは、八重を思い出させた。
あ奴の黒髪にさしてやれば、さぞ似合うであろう。

そういえば、あ奴の為に仕立てた着物が
まだ自室の箪笥に仕舞ってあることを、
思い出した。

この桔梗の髪飾りとあの着物、
相性が良さそうだ。
それを店主に包んでもらった。

「・・・あ、あなた!」

「?!」

眩暈と吐き気を同時に覚え、悪寒がする。
買い物に付き合うだけのはずが、
何故『あなた』呼ばわりされる?!

今すぐ、怒鳴り散らかしたい衝動に駆られるが、
深呼吸をし怒りは手だけに留めた。

「・・・・何かあったのか?」

至って平常心を装い声のほうへ振り向いた。
しかし、その判断が誤っていたことを
すぐに思い知らされる。

「変な男たちに絡まれたところを、
この方たちに助けて頂いたんです」

そういって紹介されたのが、
西洋の衣服を纏った八重と岡田君だった。

「八重!?」
「・・・大久保さん」

八重は躊躇いがちに口を開く。
岡田君は驚いたような顔をして、私を見ている。

「まあ、貴女が八重さん?
藩邸では貴女のことを、よく聞いてましてよ」

何を思ったか突然、女が八重に話しかけた。

「この人のお小姓でいらして、
とても優秀だったと、お聞きしましたわ」

「・・・はぁそうですか」

「今は・・・違うみたいですけど?」

そう言って意味ありげに岡田君を見る。
この二人が恋仲とでも思っているのだろう、
馬鹿馬鹿しい。

「・・おい、くだらないことを話しているな、
藩邸に戻る」

「はい」

これ以上、ここに居てわけのわからないことを
話されても迷惑だ。
とっとと連れ帰って、小松様に引き取って頂こう。

歩き出して少し振り返ると、
八重が岡田君に促されて歩き出した。
明らかにおかしな誤解をしているだろう。

 ****

夕刻、約束通り女を引き取りに
杉浦を従えて小松様が来邸した。

一通りの挨拶を済まし、藩邸を出る時になり

「ふふっ」

不意に女がこちらを見て、不気味に笑う。

「何が可笑しい」
「八重さんに、夫婦と思われたことを
利通さまが苦々しく感じているかと思うと可笑しくて」

「・・・良い趣味をしているな」

「誉め言葉として取っておきますわ」

そして向き直る寸前に、思い出したかのように
女が口を開く。

「そうそう私、あの女が八重さんだって知っていましたのよ。
ぶつかった不作法者も私の子飼い」

「そうか・・・お前は・・!」

「ふふ、今頃お気づきですか?
八重さんが私たちに衝撃を受けて、
落胆しているかと思うと可笑しくて」

ただの演技・・・偽物夫婦でしたのに。
と言葉を続ける。

「薩摩の重鎮も女が絡むと、
冷静ではないようですわね」

やられた!
この私が見抜くこともできなかったとは・・・!

初めからこの女は意趣返しの為に
藩邸にやってきたのだと。

目的は八重を傷つける為・・・。

矢部たちの仕事に口出ししたのも、全ては
坂本君たちの動向を探るため。

そして、1日町中を歩いていたのは
八重を探していた。

女の口車に乗せられたことよりも、
自分の迂闊さと愚かさで、
腸が煮え繰り返る思いだ。

女は満足そうな笑みを浮かべて、
迎えに来た小松様と杉浦に連れられて戻った。


そして、この夜は更に最悪な事態を
迎えようとていた。
<end>

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