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パンドラ 9



寺田屋事件から2か月が過ぎようした頃。
坂本君を始め寺田屋の連中は、大阪港より薩摩へ向かった。
その中には、私の小姓であるはずの八重もいた。

出発前に意識確認をしたが、どうしても付いていくと。

『それに、誰かついていないと、また龍馬さんは無茶しますよ?』

あ奴は上手く誤魔化したつもりなのだろうが、
私にそんな口先の、出まかせなど通じるはずもなく。
本音を隠した・・・・と、確信した。

彼等が薩摩に行った入れ替わりに、小松様と奥方の千賀様が京へ戻られた。
お二人は薩長同盟直後に祝言を挙げられて、霧島まで旅に出られていた。

「久しぶりだな、大久保殿」
「お帰りなさいませ、小松様、千賀様。お変わりもないようで何よりでした」

旅から戻られて、すぐに千賀様を連れて藩邸に現れた。
おそらく寺田屋事件の詳細を聞きに来たのだろう。

「私が京を空けてるうちに、何やら忙しかったようだな?」
「ええ、新選組とひと悶着ありました、今、彼らは薩摩へ行ってますが」
「うむ、その話を詳しく聞こうか」
「その前に、このような血生臭い話は千賀様には聞かせられません、
ぜひ奥の間でお待ち頂きましょう」


女中を呼びつけて準備させている間、千賀様が何やら様子を伺う。

「どうかされましたか?」
「あの・・・八重さんは?」

遠慮がちに口を開く千賀様に、今気が付いた、とばかりの小松様。
「おお、そういえば大久保殿の小姓が見当たらぬな」
「八重ならば、坂本君たちと薩摩に行っております」
「なんと!大久保殿の小姓がか?」

わざとらしく大仰にいう。
小松様と坂本君は昵懇だ、八重が坂本君たちと共に薩摩へ
行っていることは、既に聞いているはず。

「元は坂本君からの預かり者、返したにすぎませぬ」
「そうだったか、八重さんがいないと、
この藩邸も少しばかり殺風景に感じるな?」

含みのある言い方をする。
何を勘ぐっているかは察しが付く、が、今は話を流して先へ進むのが先決。

千賀様が奥の間へ移られてから、小松様にこれまでの経緯と
これからの計画について話合いを始めた。

   *****

小松様との話は夜半過ぎまで続いた。
千賀様は夕餉を共にしてから、一足先に家へと戻られた。

「近江屋ならば土佐とも薩摩とも通じており、融通が効く・・・か」

腕組みをして一息つく。

「帰京については初秋頃に薩摩へ行って、
相談してまいります」

「・・・よし、では手立てについては、お主に任せる」
「承知仕る」

「おおそうだ、大久保、いまひとつ別件があったのだ」
「別件とは?」
「実はな・・・・」

小松様からの別件の話は、頭痛の種となる話だった。
しかし、今はそちらに関わり合っている暇はないので、
とりあえず、頭の片隅に追いやった。

それから様々な根度しを行い、薩摩に行ったのは当初の予定より遅れ
山の色づきが鮮やかになった神無月―10月―に入ったころだった。

   ****

久方ぶりに薩摩を訪れた。
要件としては坂本君たちの様子を見ること。
寺田屋事件が沈静化を見せているので、帰京の相談だ。

薩摩に着いてすぐに坂本君たちの屋敷へ向かう。
表座敷には岡田君が留守を預かっていた。

「龍馬なら先程、八重と海まで散歩に行くと言ってました」

そうして、目と鼻の先にある海辺に辿りつくと、そこには
背後から八重を抱きしめている坂本君がいた。
私はすぐに踵を返し、屋敷に戻った。

二人が屋敷に戻ってきたのは、私が戻って間もなくだった。

「おお〜大久保さん、久しぶりじゃのう!」

いつもと変わりない様子で、坂本君が声をかけながら広間へ入ってきた。
その後ろには、これまた、いつもと変わりない八重が。

「お久しぶりです、大久保さん」

以前と変わらぬ声と表情で挨拶をする。
ただ小姓姿でなく娘姿であったが・・・。

「坂本君も元気になったようで何よりだ」
「長いこと大久保さんの大事な小姓殿をお借りしてて、
まっこと済まんのぅ、ワシらはおかげで助かったがのぉ」


にししっと特有の笑い声と笑顔で坂本君が言う。

「余計な面倒を掛けたのではないか?」
「滅相もない、実に八重さんは良く出来たお人じゃよ」
「ほう?」

坂本君が薩摩にきて八重がいかに、献身的に尽くしてくれたかの
話をする。
大体の想像はついていたが、話を聞くうちに何故かムっとした
感情が湧き出でる。

「ならば、坂本君の小姓にしたらどうだ?中岡君一人では大変なことも多いだろう」
「な?!お、大久保さん、なぞことを申すんじゃ!」
「なに、小姓一人おらぬでも、私は何も困りはせん」

慌てた様子の坂本君を越して、視線だけを八重に向ける。
面を食らったような表情でこちらを見ている。
そんなに意外な言葉だったか?
自分から小姓役を放り出したであろうに。

しかし、その表情も一瞬のことで、すぐに普段の表情に戻すと

「そうですね、大久保さんは一人で何でも出来る人ですから。

小姓一人いなくても困りませんね」


と、可愛くないことを笑顔でのたまった。

「さてと、私お茶を淹れてきますね」

スッと立ち上がり広間を出ていく。

「八重さん・・・」
「さて、そんなことよりも、本題に入らせてもらうぞ!」

    *****

大久保さんと龍馬さんの広間を後にして御勝手に向かう。
湯を沸かしているあいだ、私の頭の中はグルグルと大久保さんの
言葉が回っていた。

『ならば、坂本君の小姓にしたらどうだ?中岡君一人では大変なことも多いだろう』

遠回しだけど、解雇通告みたいなものだ。
確かに私の代わりなんて、いくらでもいるだろう。
もしかしたら、私が薩摩に来ている間に新しい小姓役が出来たのかもしれない。

「小姓役っていうよりは・・・・」

『伴侶』

になる人が出来たのかもしれないと、感じた。
生涯を共にし、大久保さんを一生支える女性(ひと)。
そんな人が現れたなら、私は大久保さんの傍にいてはいけない。

大体にして正体不明の女が、突然転がりこんできて、
薩摩藩の重鎮である、大久保さんの傍にいられたこと自体が奇跡。

たまたま外国の言葉が出来たり、少々仕事の手伝いは出来たけど、
そんな人はきっと沢山いる。

そう考えると、帰京しても薩摩藩邸に戻るのは難しい。
元の世界へ戻る手立ても見つからない。

なら、私はどうする?
先延ばしにしていた、答えを出す時なのかもしれない。

戻る方法が見つからない以上は、
ここで生きていくしかない。
さっき龍馬さんに甘えた時、父の言葉を思い出していた。

『どんな時も、どんな場所でも、覚悟を持って存分に生きろ』

私は覚悟を決めた。

そこまで考えると、ちょうど鉄瓶が湯気を激しく吹いた。

先日、西郷さんが置いていった、特級茶葉を取り出し、
龍馬さんには普通に、大久保さんには5倍ぐらいの極渋を
淹れて広間にお茶出しをする。

二人は話し込んでいたので、挨拶だけしてさっさと下がる。
御勝手に盆を返し、部屋に戻ると着替えて、
木刀を2本持ち、表座敷へ向かった。

表座敷ではちょうど買い物から帰ってきた、武市さんと慎ちゃんが、
以蔵と話をしていた。

「おかえりなさい、武市さん慎ちゃん」
「ただいまっス、姉さん」
「留守番、御苦労さま」

二人が笑顔で言う。
きっといい軍鶏が手に入ったのだろう。

「龍馬と大久保さんは広間かい?」
「はい、帰京の相談をされてるようですよ」
「姉さんはなにするッスか?そんな格好で木刀なんかもって・・・」

手元を指さしながら慎ちゃんが聞く。

「ああ、ちょっと以蔵に稽古つけてもらおうかと」
「稽古?!」
「稽古?!」

面白いように以蔵と慎ちゃんの言葉がシンクロする。
この二人って年が近いせいか、双子の兄弟みたいな雰囲気があるんだよね。
性格も面構えも全っ然違うのに。

「八重さんは剣を扱ったことがあるのか?」

疑惑の眼差しの武市さん。
確かに私、薩摩に来てから剣術も武術もやってないからなあ。

「護身術程度ですが」
「・・・・・」

何かを計りかねてるような表情の武市さん。
しばらく思案した後、口を開いた。

「僕たちも一緒に稽古場に行きましょう」

そういうと買ってきた材料を手早く御勝手に片づけ、
4人で中奥の稽古場へ向かった。

    ****

「ほいじゃあ、大久保さん、これで決まりで良いかのぅ?」
「うむ、これなら問題ないであろう」

坂本君と帰京の段取りも決まったのは、すっかり日が落ちた頃だった。

「そういや、武市と中岡はまだ戻らんと?」

すっかり冷めきってしまった、茶を啜りながら言う。

「さすがに迷子というわけではないだろう?」

私も乾いた喉を潤す為に、茶に手を伸ばした。

「!」
「どうかしたかの?大久保さん」
「・・・いや、何でもない」

久々に私好みの茶を飲んだ気がした。
淹れたてならば、美味かったであろう極渋茶。

八重が今でも私の好みを覚えていたことに、
不思議と満足をした。

坂本君が武市君達の様子を伺いに広間を出て、間もなく
走り戻ってきた。

「大久保さん大変ぜよ!」
「何かあったのか?」

尋常ではない坂本君の様子に、腰を浮かせて続きを促す。

「八重さんが、大変ぜよ!」
「八重?」

とにかく来てくれ、と急かす坂本君に案内されたのは、
中奥にある稽古場。
そこには、袴姿の八重と対峙する岡田君の姿があった。
二人は木刀を用いて、睨みあったまま動かない。
お互い隙を伺っているのだ。

「これは一体?」
「・・・姉さんが、以蔵君に稽古をつけて欲しいって言ったんッス」
「稽古?」
「稽古ってより手合いッスね、これで5回目ッス」

疑問に答えるように中岡君が、二人を見たまま答える。
審判役は武市君のようだ。

「大久保さん、気づいちょぉか?」

八重に視線を向けて言う。

「ああ、八重の構えは居合術だ」

「八重さんは剣術に自信があるのじゃろうか?」

普段になく真面目な顔で坂本君が言う。
確かに、居合術は普通の剣術の構えと違って、剣を抜かずに構える。
それ故、ひと動作が多いため実戦向きではない。

しかし・・・八重はどこで、剣術を会得したのだ?
未来では刀では戦をしないと、以前話していたが・・・。

「やぁ!」

痺れを切らしたのは、どうやら岡田君のようだった。
一歩を強く踏み出すが、八重は動かない。

岡田君が木刀を振り下ろす。
次にはカンという木刀の当る音と共に、
八重の木刀が岡田君の首元に当てられていた。

「・・・くっ!」

苦虫を潰したような岡田君と対照的に涼やかな表情の八重。

「それまで!」

武市君の声を合図に八重が木刀を引く。

「くっそぅ・・・八重、お前実は男だろう!」

悔し紛れのように岡田君が言う。

「残念だけど、お・ん・な。確認してみる?」

挑発するかのように八重は、袷を開く振りをする。

「以蔵、お前の負けだ。修練が足りないようだな?」
「先生・・・すみません、不肖な弟子で・・」

武市君に頭を下げる岡田君。

「それにしても、八重さんは強いですね、どちらで剣術を?」
「家が道場でして、子供の頃から護身術として鍛えられました」

護身術・・・というには域を超えた強さだ。
今、この時代、これほど剣の使える女子はいないであろう。

そういえば、まだ八重が来たばかりの頃・・・・。

「八重、いつしか京の町で狼藉者を伏せたことがあったな?」

記憶を探るように、「そういえば・・・」という。

「あれも護身術か?」
「ええ、あの時は合気道でしたけど」

そう、八重が小姓になるきっかけになった出来事。

「全くお前は・・・一人でも生きていけそうだな」
「まあ、そうですね」

嫌味のつもりで言った言葉に、真面目な返事。
言葉の重みは八重の真面目な表情で、加重される。

「な、なんじゃ八重さん」

動揺する坂本君と冷静な八重。

「自分の、元いた場所に帰れそうにないので、今を存分に生きることにしたんです」

迷いのない、すっきりした表情で話す。

「というわけで、龍馬さん、私を仲間に入れてください」

すっと流れるような動作で、坂本君に向き直り、姿勢を正して頭を下げる。
動揺していた坂本君だが、すぐに持ち直し八重に真剣な眼差しを向ける。

「八重さん、ワシ等の仲間になる、意味はわかちょるか?」

少し間を置き、八重が頭を上げるのを待つ。
そして、八重の目を真っ直ぐに捉えて、再び話す。

「先日の寺田屋のように、いつ何時も命を狙われる、そういう立場にワシ等はおるんじゃ」
「承知しています、自分の身は自分で守ります」

先程の手合いがその自信を裏付ける。

強い意志を宿した八重の目。
そうだ、初めて会ったとき、自分の信念を曲げない、
そんな強さが透けて見える、強い目に私は興味を持ったのだ。

坂本君が黙ると代わりに、武市君が口を開いた。

「キミは、大久保さんの小姓なのだろう?」

八重はチラリとこちらを見てから、武市君に向き直り口を開く。

「小姓役はお払い箱になりました」

微笑と困った様子を混ぜたような、表情で言う。

「キミを・・・お払い箱?」

疑わしそうにこちらを見る。

「正確には『お払い箱』というより、自ら『出て行った』だ」

事実をありのまま伝えたが、武市君は会得していない。
坂本君は腕を組んで考えていたが、やがて口を開く。

「八重さんは、それでいいんじゃな?」

ゆっくりと確認をするように聞く。
八重は静かに頷く。

「よし!八重さんは、今日からワシ等の仲間じゃ!
今夜は美味い鶏鍋で八重さんの歓迎の意味を込め、宴会をするぞ!」


この日を境に八重は事実上、私の小姓役を降り、
坂本君たちの仲間となった。



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☆目次☆


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